こんばんは。
今週、まだ一度もキャンプに行っておらず、
敷地内と界隈をうろちょろしてただけでした。
なんて閉鎖的。笑
本当は今日、同僚にくっついて行って
文字通り縦横無尽に駆け回る予定だったのですが
セキュリティの問題で行けませんでした。
閉鎖的と言えば、僕が高校一年だった時の部活の合宿の時のこと。
5泊6日で、宿と体育館はとても近い。歩いて2,3分。
なので毎日この超狭いエリアを行ったり来たりするだけ。
合宿が終わった帰りのバスで、今まで生活していたエリアから出た瞬間、
「ああ、今までこの狭いエリアから全く出ていなかったのだ」
と同じく久しぶりに聞いたiPodを楽しみながら感じたのをよく覚えています。
この時隣にいた親友も同じことをほぼ同時に感じて、
お互い共感しあってました。
ちなみに昨日、ラマダーンが終わったので今日は祝日らしいです。
ADEOは仕事してました。
さて、今日は、今日のことをさらりと振り返った後、
仕事について書きたいと思います。
他にもここに書けるようなことがまとまってきたので近いうちにアップします。
6時半起床。今日初めて6時間台に睡眠時間が突入。
午前中、建設現場見学行けず、オフィスでひたすらレポート書く。
13時40分ごろ、地元のユースに会うべく敷地内を移動。
しかしすっぽかされる。
その後、オフィスに戻りひたすらレポート書く。
19時過ぎ夜ごはん。
日記を書きつつブログを書きつつ今に至る。
レポートについては仕事のところで触れます。
ユース。もう何度も会って話を聞いているのですが、
今日は約束をすっぽかされた。
昨日約束を取り付けた時に、今日は祝日だからやめた方がいいんじゃないかと言ったのに。
明日16時に会うことに変更。
ユースは最後まで重要なので頼むから約束守って欲しい。。
仕事について。
Documentaiton Trainee Officerの肩書のもと、
host community(難民キャンプを受け入れている地元の村のこと)における
HIV感染者(PLWHA, People Living With HIV/AIDS)に対する差別の調査と
その後の活動の展開を担当しています。
(プラス、web掲載用の文章準備)
簡単に言うと、役職名はあまり意味がなくて、
host communityでのHIVの問題を分析してそれに対する解決策・改善案を提示する、
それを実践に移す、という3段階を仕事にしています。
日本にいた時は全くに近いほどHIVに触れていなかったのですが、
ここに来て、特に今日、HIVを仕事にできたことを良かったと思いました。
なぜなら、文系である自分が人の生死にダイレクトにつながる分野に
関われる数少ない機会だからです。
僕は本当は医者になりたかったのですが、
人には向き不向きがあって理系科目が超苦手でした。
苦手だから諦めるといのも嫌な話ですが、それは置いといて
医者になることを諦めたわけです。
でも今こうしてHIV/AIDSの予防や差別撲滅という活動に携われているのは
とても恵まれていると思います。
今挙げた理由以外にも、
refugeeではなくhost communityと関わる機会が増えた
といった理由でも今の仕事に就けて良かったと思ってるのですが、
これを書き始めると話が超大きくなるのでやめます。
とにかく今の仕事には充実感を感じています。
こんなことをリリーフランキーの『東京タワー』を読みつつ感じた今日この頃です。
以下、今までの仕事の過程です。
上司なるものは最初の2週間存在し、今は休暇3週間が過ぎてそろそろ帰ってくるはず、です。
本当は先週の土曜に帰ってくるはずだったのになぁーーーーーーーーーーー。
彼がいるうちは彼の仕事についていっていろんなものを見てました。
定例のinteragencyの会議や病院での活動、ドナーの視察同行など。
彼がいるうちから仕事は始まるようにサポートしてくれていたはずだったのですが、
今考えれば、彼の怠慢と自分の無力さ故に何も進みませんでした。
まあでも最初の2週間は他の同僚について行ったりして、
いろいろ見学して慣れて言った感じだったので
仕方なかったと今は割り切ってます。
で、上司がいなくなった後、代理の上司が入ったのですが、
住んでるところがとても離れている、かつ仕事の種類が若干違うことが原因であまり意味なし。
ということで自分で何もかもやらざるを得ず、
仕事に慣れるのにまた一週間くらい使いました。
自分でミーティングやらインタビューやらセッティングしていて、
最初は、情報を得て消化して次の得るべき情報を考えて、というサイクルに
全然はまれてなくて暗中模索な感じがかなりありました。
ユースグループとは地元の若者が20人くらい?集まって形成されている集団で
HIVの啓発やその他いろいろな活動をしています。
ユースにインタビューしている理由がわかったと思います。
彼らはほぼ唯一の啓発主体です。
8月の24日に初めてミーティングをして、
その後2週間は毎日1つかインタビューまたはミーティングして、
今は情報がかなり揃ったので、それをレポートにまとめているという段階です。
今週末に書き終えて上司に見せて、具体的な対策を同時に提示していくというイメージで来ています。
仕事の具体的な中身に関してですが、
ここのHIVの問題はかなり特殊だと思います。
①宗教、②社会、③文化
という3点で特殊です。
HIV感染率(prevalence of HIV)は0.07%です。
実際、この数値は明らかにおかしいんですが、とても低いことは事実です。
①住民の大半がイスラム教であること。
イスラム教では婚外での性交を禁止しています。
そのため、
1) HIV感染の機会をとても少なくしている。
つまり、低いHIV感染率を維持している大きな要因である。
2) 一方でHIVに感染しているという事実はこのタブーを犯していることを
人々に連想させるため、HIVは病気ではなく、禁忌を破った者への
神からの呪いと考えられている。これがHIV感染者への激しい差別を招いている。
3) コンドームを使用すると呪い,HIVが広がると大半の人々は思いこんでいる。
これは、コンドームの使用が婚外での性交という禁忌を連想させるからだと考えられる。
②氏族社会であること。
ソマリ族が住民の大半を占めており、
ソマリ族は家族の他に氏族という単位を持つ。
氏族とはいくつかの血縁?のある家族が集まってできた集団で
氏族内での結束が強い。
これがソマリ族の社会が閉鎖的であるという結果を招いている。
そのため、上記の宗教的要因も重なって
1) HIVが取り上げられにくい環境を作っている。
この閉鎖性(排他性?)がHIV感染者に対する差別を招くと同時に
HIVのstatusを気軽にチェックできない環境を作りだしている。
2) 閉鎖的な社会で、さらにHIVが忌避されているため
HIV感染者は、感染している事実を他人と共有できる環境にない。
これがHIV感染者に対する心的ケアや医学的ケアを妨げている。
③性器切除という伝統的慣習
これはアフリカ全体で起こっている問題で、
特にFGM (Female Genital Multilation), circumcisionという名称で
問題にされている。
皮肉にも、これが性交の機会を減らすことに貢献しているため
低い感染率維持の一つの要因になっている。
これが今まで調べたことで、この他、啓発活動についても調べています。
それはまだまとめてないので今後、機会があれば書きます。
要点だけ述べると、
1, 厳格なイスラム教義が感染率の低さに貢献している一方、
激しい差別も招いている。
この誤解を解くことで、HIV感染者が有効なサポートを得られる
環境を作るべき。
2, しかしHIVに対する認知度は上がってきているように、
啓発活動の効果は上がってきているので、
HIVに対してよりオープンな社会にするべく
禁忌に触れない範囲で啓発を続けていくべき。
こんなことを今レポートに書いています。
以上、簡潔に仕事の説明でした。
今後、
「人をまとめる理念」
などといった観点で掲載していけたらと、思います。
ではでは。
2010年9月11日土曜日
2010年9月10日金曜日
引きこもり
こんばんは。
ネットにつながって2日目です。
もう残り17日しか残されておらず
やることがいっぱいあって、
ブログに書けるようなたいしたことを構想できてません。
昨日パーティーがあってだいぶいい気晴らしになり、
昨日までとは打って変わって、
今日は暑いテントのオフィスでずーっと作業してました。
本当はRed Crossのオフィスに2回行ったんですが、
なぜか今日は一日閉まっていて誰にも会えませんでした。
しかし2回目の帰りに、ドライバーがRed Crossの職員を見つけて教えてくれたので
今度の土曜に会う約束を取り付けられました。
タイトルの引きこもりの意味ですが、
コンパウンドに引きこもっていたの意ではなく
今週はDadaab内から一歩も外に出ていない、という意味です。
本当は今日の13時~、VCT(Voluntaery Counseling and Testing) centerの建設地を見学に
行く予定だったのですが、
同僚が他の仕事で忙しいため行けず。
明日の午前中に行くことに変更になる。
ちなみに、今日までラマダーン(イスラム暦で8月に当たる時期に
イスラム教徒は断食する。)で、
明日はお祝いのためにムスリムはお休みだそうです。
僕の仕事の相手も大半というか全員がムスリムな気がするので
仕事にかなりの制約が。。。
といいつつ明日は午後に人と会う予定が既にあります。
前にも書いたと思いますが、ブログのための文章と並行して
自分の日記も書いていて、とても時間をとられています。
日記の内容も、前より書くために確保できる時間が短くなっていて
だんだん内容が薄くなっているという始末。。
おかげで睡眠時間も段々短くなってきて
最近は7時間睡眠で乗り切ってます。昼眠いですが。
仕事の効率が上がればなぁ、と思いますがなかなか。。
今日仕事のレポートを書き始めたのですが、
なかなかレポートの英語って難しい。
主語の制限と動詞のバリエーションの付け方が。。
英語力の無さを痛感。
類語辞典さまさま。
うう、ブログの内容もちゃんと推敲したいんですが、
それも時間がない。。
しかも情報の制限があるから
リアリティを持って伝わってない自信がある。
できたら日々考えていることも掲載するつもりです。
仕事のことをあまり書き記していないと思うので
近いうちに掲載したいと思います。
ではでは。
ネットにつながって2日目です。
もう残り17日しか残されておらず
やることがいっぱいあって、
ブログに書けるようなたいしたことを構想できてません。
昨日パーティーがあってだいぶいい気晴らしになり、
昨日までとは打って変わって、
今日は暑いテントのオフィスでずーっと作業してました。
本当はRed Crossのオフィスに2回行ったんですが、
なぜか今日は一日閉まっていて誰にも会えませんでした。
しかし2回目の帰りに、ドライバーがRed Crossの職員を見つけて教えてくれたので
今度の土曜に会う約束を取り付けられました。
タイトルの引きこもりの意味ですが、
コンパウンドに引きこもっていたの意ではなく
今週はDadaab内から一歩も外に出ていない、という意味です。
本当は今日の13時~、VCT(Voluntaery Counseling and Testing) centerの建設地を見学に
行く予定だったのですが、
同僚が他の仕事で忙しいため行けず。
明日の午前中に行くことに変更になる。
ちなみに、今日までラマダーン(イスラム暦で8月に当たる時期に
イスラム教徒は断食する。)で、
明日はお祝いのためにムスリムはお休みだそうです。
僕の仕事の相手も大半というか全員がムスリムな気がするので
仕事にかなりの制約が。。。
といいつつ明日は午後に人と会う予定が既にあります。
前にも書いたと思いますが、ブログのための文章と並行して
自分の日記も書いていて、とても時間をとられています。
日記の内容も、前より書くために確保できる時間が短くなっていて
だんだん内容が薄くなっているという始末。。
おかげで睡眠時間も段々短くなってきて
最近は7時間睡眠で乗り切ってます。昼眠いですが。
仕事の効率が上がればなぁ、と思いますがなかなか。。
今日仕事のレポートを書き始めたのですが、
なかなかレポートの英語って難しい。
主語の制限と動詞のバリエーションの付け方が。。
英語力の無さを痛感。
類語辞典さまさま。
うう、ブログの内容もちゃんと推敲したいんですが、
それも時間がない。。
しかも情報の制限があるから
リアリティを持って伝わってない自信がある。
できたら日々考えていることも掲載するつもりです。
仕事のことをあまり書き記していないと思うので
近いうちに掲載したいと思います。
ではでは。
2010年9月8日水曜日
ネット導入
こんにちは。
ついさっきオフィスにネットが導入されました。
かなり嬉しいです。
ネット環境が一気によくなりました。
ブロードバンドだし。
Dadaabに来ても世界中の人とコミュニケーションがとれる。
すごいことだとつくづく思います。
最近すごく暑くて
(東京も負けないくらい暑いと思いますが)
オフィスのサウナ具合がレベルアップしてる今日この頃なのですが
残り研修期間も頑張りたいと思います。
日記の更新ペース上げます。
今晩はちょっとのっぴきならない用事があるので
更新できませんが、
明日から更新します。
ついさっきオフィスにネットが導入されました。
かなり嬉しいです。
ネット環境が一気によくなりました。
ブロードバンドだし。
Dadaabに来ても世界中の人とコミュニケーションがとれる。
すごいことだとつくづく思います。
最近すごく暑くて
(東京も負けないくらい暑いと思いますが)
オフィスのサウナ具合がレベルアップしてる今日この頃なのですが
残り研修期間も頑張りたいと思います。
日記の更新ペース上げます。
今晩はちょっとのっぴきならない用事があるので
更新できませんが、
明日から更新します。
2010年9月5日日曜日
日々の生活で感じたこと
ずっと、日々の出来事とちょっと考えたこと
程度しか書き留めていなかったので、
ここで自分に大きな変化を与えたことについて
少し書きたいと思います。
勉強不足な面が多いにあるし、
自分の中での思考もそこまで深くできてないので
まだ掘り下げられていないのですが
僕自身、最初気づいた時はとても衝撃的でした。
本当はもっと思考を重ねて、勉強した上で書きたいのですが
途中経過を書き留めておくのもありかな、と思い
書くことにしました。
僕が気づいた時の衝撃をできるだけそのまま伝えたいと思ったので
以下の文章は少しわかりにくくなってます。
民族とは何か。
民族問題とは何か。
僕が研修しているキャンプはソマリア難民が圧倒的多数を占める。
ソマリア人のほとんどはムスリム、つまりイスラム教徒なので
少なくとも女の人は、衣服が違うのですぐにわかる。
この人はソマリア人なのだな、と。
また、地元の人もケニア人だがムスリムが大半を占める。
そのため、元々黒人の区別すら難しいのに、
僕にはケニア人とソマリア人の区別が全くつかない。
中には、エチオピア人のように僕でも違いがわかる民族もいるのだが、
ソマリア人とケニア人は僕から見てそこまで顕著な違いはない。
国連やNGOは、施設の建設や
食事の用意などのためにincentive workerという名で
難民や地元の人を雇っている。
このことはだいぶ後になってから聞き、
Dadaabに到着したその日は、同僚からSomaliを雇っていると聞いた。
だから、正規の職員じゃない人はみな難民なのだと思った。
Dadaabに最初来た時、incentive workerについて知らなかった時、
職員の中で明らかに待遇に差があることに気がついた。
そして、ドライバーや料理をしている人は難民なのだなと思った。
ADEOでドライバーをしている人にソマリア語を教えてもらったことがある。
彼が難民だと思ってソマリア語を聞きに行ったら教えてくれたのだ。
だから最初は彼が難民だと思っていた。
しかし実際は彼は難民でなく、Dadaab出身のケニア人だった。
彼もムスリムである。
Dadaabに住む人々の家は木造りだ。
細い木の枝をいっぱい集めてきて
それを縦に並べて壁にするのだ。
屋根はUNHCRから支給されたと思われるシートや
その他ビニールで覆って作っている。
一方、難民の家は、
土造りの家も多くあるが、Dadaabと同様、木の枝で出来た家も多くある。
Ifo,Hagadera,Dagahaleyは
難民キャンプ発祥ではなく、もともとあったケニア人コミュニティが元になっている。
だからキャンプの中にはケニア人も混ざっている。
しかし、宗教は一緒だし言葉も一緒だし
生活水準も一緒だし食べるものも一緒だし
当然区別はつかない。
同僚に教えられるまで全く知らなかった。
日記の中で登場しているQaliti。
僕の上司代理。
彼女はIfo HospitalでClinical OfficerをしているADEO正規職員だ。
彼女はムスリムで今はラマダーンなので昼ご飯を食べずに仕事をしている。
しかし、ムスリムなのだが、すごいおしゃれに気を遣っている。
なんかムスリムっぽくない。時々普通にシャツ着てたりするし。
ムスリムだからもしかしたらDadaab出身なのかなー、
だけど生活水準が違いすぎるよなー、と思いつつ、同僚に聞いたところ、
彼女はSomaliだと言われた。
いろんな意味でびっくりした。
僕が気付くのに時間がかかったように、
読んでくれているみなさまにも話がわかりにくいと思う。
わかればとても簡単なのだが、気付くのが大変。
英語というのは分かりにくい言語である。
ソマリア人もソマリア語もソマリ族もみな
Somaliなのだから。
つまり、Qalitiはソマリ族なのだ。ソマリア人ではない。
現にソマリア語はしゃべれない。
ムスリムでソマリ族だが、ソマリア語はしゃべれないケニア人。
僕にソマリア語を教えてくれたドライバーは
Dadaab出身でソマリア語がしゃべれる。
彼はSomaliなのだ。
ムスリムでソマリア語がしゃべれるソマリ族のケニア人。
もうここまで来ると核心に触れているが、もう少し。
Ifoに住むケニア人。
Dadaabに住むケニア人と同様、ムスリムでソマリ族でソマリ語がしゃべれる。
上記の例からさらに加えて、住んでる土地まで一緒である。
紛争前は国境を越えた交流があったらしいから
もしかしたら血縁もあるかもしれない。
ムスリムでソマリア語がしゃべれてソマリ族で、
ソマリア人と地縁があって血縁もあるかも知れなくて
文化の違いもほとんどない、ケニア人。
Dadaabに住む人もSomaliaから来た人もみな
Somaliなんです。
言葉も宗教も生活習慣も同じ民族で、
血縁・地縁があり、生活水準すら変わらない。
住んでいる家も生活もほとんどかわらないのだから。
違うことはと言えば、
国籍だけである。
ソマリア人かケニア人か。
物理的には存在しない国境をまたいで
国籍だけが別々。
住んでいる場所がちょっと違っただけで
片方は難民になり、片方は難民ではない。
難民になると祖国への自発的帰還は認められるが
キャンプとホストコミュニティ(Dadaab)間の移動以外は認められない。
これに最初気づいた時に何とも言えぬ違和感に襲われた。
なんて不条理な構造だろうと。
民族境界と国境の不一致とはこういうことなのかと。
複数民族が一つの国家に存在することで
紛争になるという意味で、この不一致の不条理さを理解していたけど
こういう意味でも不条理なのかと。
難民の移動の自由、に関しては
この不条理さに気づく前から必要だと思っていたので
これに気づいたことではがゆさが増した。
特にこのキャンプは世界最大かつ20年間ずっと存在する
ばかでかいキャンプで、
出来た当初の1991年や2年に来たという人もそれなりに居る。
そういう人はその間ずーーーーーーーーーーーーっと
この約30km四方程度のエリアから出ることなく生活してきたのだ。
事前に勉強すれば、少しでも難民キャンプについて考えれば
これくらいのことはわかったのか。
研修前の自分を思い出す限り、
難民キャンプという漠然とした文字しかなくて
調べてもよくわからなかった。
言い訳なのかなー。
言い訳は嫌だなー。
でも過去には戻れないからな。
意味のない後悔はやめよう。
なぜ「民族」というテーマになるかというと、
紛争を生み出すきっかけになっているから。
でも「民族」っていう言葉そんなに単純じゃなくて
その言葉すらよくわからない、というのが僕の意見です。
民族とはなんだ、と。
民族問題と簡単に言うけど
そんな単純なことじゃないと。
民族という観点で考察を深めていこうと思ってます。
ではでは。
程度しか書き留めていなかったので、
ここで自分に大きな変化を与えたことについて
少し書きたいと思います。
勉強不足な面が多いにあるし、
自分の中での思考もそこまで深くできてないので
まだ掘り下げられていないのですが
僕自身、最初気づいた時はとても衝撃的でした。
本当はもっと思考を重ねて、勉強した上で書きたいのですが
途中経過を書き留めておくのもありかな、と思い
書くことにしました。
僕が気づいた時の衝撃をできるだけそのまま伝えたいと思ったので
以下の文章は少しわかりにくくなってます。
民族とは何か。
民族問題とは何か。
僕が研修しているキャンプはソマリア難民が圧倒的多数を占める。
ソマリア人のほとんどはムスリム、つまりイスラム教徒なので
少なくとも女の人は、衣服が違うのですぐにわかる。
この人はソマリア人なのだな、と。
また、地元の人もケニア人だがムスリムが大半を占める。
そのため、元々黒人の区別すら難しいのに、
僕にはケニア人とソマリア人の区別が全くつかない。
中には、エチオピア人のように僕でも違いがわかる民族もいるのだが、
ソマリア人とケニア人は僕から見てそこまで顕著な違いはない。
国連やNGOは、施設の建設や
食事の用意などのためにincentive workerという名で
難民や地元の人を雇っている。
このことはだいぶ後になってから聞き、
Dadaabに到着したその日は、同僚からSomaliを雇っていると聞いた。
だから、正規の職員じゃない人はみな難民なのだと思った。
Dadaabに最初来た時、incentive workerについて知らなかった時、
職員の中で明らかに待遇に差があることに気がついた。
そして、ドライバーや料理をしている人は難民なのだなと思った。
ADEOでドライバーをしている人にソマリア語を教えてもらったことがある。
彼が難民だと思ってソマリア語を聞きに行ったら教えてくれたのだ。
だから最初は彼が難民だと思っていた。
しかし実際は彼は難民でなく、Dadaab出身のケニア人だった。
彼もムスリムである。
Dadaabに住む人々の家は木造りだ。
細い木の枝をいっぱい集めてきて
それを縦に並べて壁にするのだ。
屋根はUNHCRから支給されたと思われるシートや
その他ビニールで覆って作っている。
一方、難民の家は、
土造りの家も多くあるが、Dadaabと同様、木の枝で出来た家も多くある。
Ifo,Hagadera,Dagahaleyは
難民キャンプ発祥ではなく、もともとあったケニア人コミュニティが元になっている。
だからキャンプの中にはケニア人も混ざっている。
しかし、宗教は一緒だし言葉も一緒だし
生活水準も一緒だし食べるものも一緒だし
当然区別はつかない。
同僚に教えられるまで全く知らなかった。
日記の中で登場しているQaliti。
僕の上司代理。
彼女はIfo HospitalでClinical OfficerをしているADEO正規職員だ。
彼女はムスリムで今はラマダーンなので昼ご飯を食べずに仕事をしている。
しかし、ムスリムなのだが、すごいおしゃれに気を遣っている。
なんかムスリムっぽくない。時々普通にシャツ着てたりするし。
ムスリムだからもしかしたらDadaab出身なのかなー、
だけど生活水準が違いすぎるよなー、と思いつつ、同僚に聞いたところ、
彼女はSomaliだと言われた。
いろんな意味でびっくりした。
僕が気付くのに時間がかかったように、
読んでくれているみなさまにも話がわかりにくいと思う。
わかればとても簡単なのだが、気付くのが大変。
英語というのは分かりにくい言語である。
ソマリア人もソマリア語もソマリ族もみな
Somaliなのだから。
つまり、Qalitiはソマリ族なのだ。ソマリア人ではない。
現にソマリア語はしゃべれない。
ムスリムでソマリ族だが、ソマリア語はしゃべれないケニア人。
僕にソマリア語を教えてくれたドライバーは
Dadaab出身でソマリア語がしゃべれる。
彼はSomaliなのだ。
ムスリムでソマリア語がしゃべれるソマリ族のケニア人。
もうここまで来ると核心に触れているが、もう少し。
Ifoに住むケニア人。
Dadaabに住むケニア人と同様、ムスリムでソマリ族でソマリ語がしゃべれる。
上記の例からさらに加えて、住んでる土地まで一緒である。
紛争前は国境を越えた交流があったらしいから
もしかしたら血縁もあるかもしれない。
ムスリムでソマリア語がしゃべれてソマリ族で、
ソマリア人と地縁があって血縁もあるかも知れなくて
文化の違いもほとんどない、ケニア人。
Dadaabに住む人もSomaliaから来た人もみな
Somaliなんです。
言葉も宗教も生活習慣も同じ民族で、
血縁・地縁があり、生活水準すら変わらない。
住んでいる家も生活もほとんどかわらないのだから。
違うことはと言えば、
国籍だけである。
ソマリア人かケニア人か。
物理的には存在しない国境をまたいで
国籍だけが別々。
住んでいる場所がちょっと違っただけで
片方は難民になり、片方は難民ではない。
難民になると祖国への自発的帰還は認められるが
キャンプとホストコミュニティ(Dadaab)間の移動以外は認められない。
これに最初気づいた時に何とも言えぬ違和感に襲われた。
なんて不条理な構造だろうと。
民族境界と国境の不一致とはこういうことなのかと。
複数民族が一つの国家に存在することで
紛争になるという意味で、この不一致の不条理さを理解していたけど
こういう意味でも不条理なのかと。
難民の移動の自由、に関しては
この不条理さに気づく前から必要だと思っていたので
これに気づいたことではがゆさが増した。
特にこのキャンプは世界最大かつ20年間ずっと存在する
ばかでかいキャンプで、
出来た当初の1991年や2年に来たという人もそれなりに居る。
そういう人はその間ずーーーーーーーーーーーーっと
この約30km四方程度のエリアから出ることなく生活してきたのだ。
事前に勉強すれば、少しでも難民キャンプについて考えれば
これくらいのことはわかったのか。
研修前の自分を思い出す限り、
難民キャンプという漠然とした文字しかなくて
調べてもよくわからなかった。
言い訳なのかなー。
言い訳は嫌だなー。
でも過去には戻れないからな。
意味のない後悔はやめよう。
なぜ「民族」というテーマになるかというと、
紛争を生み出すきっかけになっているから。
でも「民族」っていう言葉そんなに単純じゃなくて
その言葉すらよくわからない、というのが僕の意見です。
民族とはなんだ、と。
民族問題と簡単に言うけど
そんな単純なことじゃないと。
民族という観点で考察を深めていこうと思ってます。
ではでは。
残り滞在期間3週間
こんにちは、2週間ぶりの更新です。
このブログで公開しているこの文章は
日記の内容を参照して書きなおしたものなのですが、
自分の過去の日記を見直してると恥ずかしくなってくる。笑
最初の方は特に慣れてなくて、
読んで頂いた方にはわかりにくかったなぁと。
一瞬だけ公開して一部の方は読まれたようなので
恥ずかしい。笑
最初に普段の生活で気になったことを抜粋。
次にここ2週間の活動を簡単に振り返るという感じです。
※言葉の整理
以下に言葉を整理します。
Google mapで見てくれれば楽なんですが。。
●Dadaab:難民キャンプそのものではない。ケニア人のコミュニティ。ここで働いてる人がDadaabという時はコンパウンドの目の前にある市街地や、コンパウンドのことを指す。Dadaab自体は村で、国連・NGOの敷地に沿って走っているメインストリートに沿って住居や店があるだけ。
●Hagadera, Ifo, Dagahaley:Dadaabにある3つの難民キャンプ。総称としてDadaab難民キャンプと呼ぶ。難民キャンプである以前にケニア人のコミュニティが存在。コミュニティがあってその上にキャンプがある。
●国連・NGOの敷地:僕がこの言葉を使う時は、Dadaabにある国連・NGOの敷地を指します。というのは、Dadaab以外にも、DagahaleyにMSFやCareやUNHCR、HagaderaにIRCやUNHCRやgtz、IfoにUNHCRやCareといったように各NGOは活動に応じて拠点を構えているからです。
●ADEOコンパウンド:2009年10月からADEOはDadaabでの活動を展開し始め、2010年8月の頭までgtzの敷地を借りて活動していた。今も多くの職員がgtzに暮らす。gtzとADEO新コンパウンドは敷地内で正反対にあり1.5km離れている。ネットを使う時はPCを抱えてgtzまで行く。新コンパウンドは宿泊施設もオフィスも完成しておらず、どちらもテントがあてがわれている。昼のオフィスは時にとてつもなく暑い。
●Ifo:一番僕らの敷地から近く4,5km。車が新しくなってからは10分以内で着く。ADEOが活動を展開しているキャンプ。ソマリア国境から一番近く、New Arrivalのためのtransitセンターや難民登録所がある。あまりにNew Arrivalが多いためIfo-2の建設計画がある。また、約95%を占める圧倒的多数のソマリア人の他に、スーダン人・エチオピア人を中心としたマイノリティがおり、マイノリティの多くはIfoの特定のブロックに生活している。
●Hagadera:ADEOは活動を持っていない。Ifo、Dagahaleyと正反対に敷地から10km程度で直線のオフロードを高速で突っ走って着く。土壌がかなり砂っぽく風がかなり強いため、窓を閉めてないと髪・顔等が大変なことになる。一番古いキャンプで、道の整理や拡張、家の敷地の拡張などが課題になっている。
●Dagahaley:ADEOは少し活動を持っている。敷地からは15kmくらい。Ifoを通り過ぎてさらに行くと到着。人口最大。
●Dadaabの病院(Dadaab Health Center):地元のケニア人を主な対象にした病院。運営は政府とADEOとRed Crossだが、ADEOが大半を運営。Ifo Hospitalに比べ小さいので、ここで対応できない患者はIfoに送致される。ADEOコンパウンドから一応歩いていける距離にあるが、徒歩25分。車だと一瞬。
●Ifoの病院:gtz(ドイツ政府系の援助組織)とADEOが運営する、Ifoキャンプのメインの病院。この病院の下部組織として5つのHealth PostとOld HospitalがIfo内に散在し、これらが中央病院に送るべき患者のスクリーニングを行う。ケニア人も利用できる。上司の仕事の関係でよく来る。
●Hagaderaの病院:IRC(International Rescue Committee)が運営する病院。仕事の関係で一度見学したが立派。
●Dagahaleyの病院:MSF(国境なき医師団。正式名称はフランス語で曖昧なので割愛。笑)が運営。ここも立派だが施設の中身まではわからない。
●Dadaabの病院のナース:ADEOの職員の知り合いが3人いて、一人に大変お世話になっていて、最初の方はユースや女性グループとのミーティングをアレンジしてくれた。彼女自身へのインタビューも2回した。
●ユース:Dadaab内に住む18歳~30歳弱の男性だけ(?)で構成される組織。組織としての登録を行い活動を展開している。今のところ4回ミーティングをした。
●女性グループ:Dadaab内に住む女性で構成される組織。Income Generating Activity(IGA)の分野で活動。リーダーのみ英語を話せる。
●District Office(DO):Dadaabの病院の近くにある村役場のようなもの。ちょっと話を伺った程度。
1、諸々
◆ハブディ
子供の名前です。
ブログにこの子のことを書いたか覚えてないのですが、
僕が仕事の関係上よく行く、Dadaabの病院のすぐ近くに住んでる1歳半の子です。
最初に会ったのは1ヵ月近く前で、
その時からこの子は黒人でない僕に興味を持っていて
最近はとても仲良くしてます。
何よりかわいい。笑
父親に最近初めて会ってやっと名前がわかりました。
僕を見つけると笑顔で歩いてきて隣に座ります。めっちゃかわいい。笑
おとといは、病院の人にインタビューをするため待っている間、
一緒に遊んで、肩車してあげました。
親に許可をもらって、笑
かわいいよー。
でも言葉の壁があるのがもどかしい。。
加えて、僕が日本に帰る時になったら
ハブディが悲しむ気がするので気の毒。
僕も悲しいですが。笑
今でさえ、僕が帰ろうとすると嫌がるので...。
◆生き物
依然、新しい宿泊施設ができてないので
キャンプ暮らしなのですが、いろんな生き物がいます。
①カエル
②やぎ
③アリ
④蚊
⑤ハエ
⑥ロバ
⑦コオロギ
⑧牛
⑨トカゲ
...
最初の3つについてエピソードが。
①カエル
ここには水がないところでも生活できるという珍しいカエルがいます。
さらにおもしろいことに、なぜか高いところ好き。
Dadaabに来てから1ヵ月経ちますが、彼を2回目撃しており、
1回目はオフィスのPCのディスプレイの上。
なんだこのカエルって感じでした。笑
同僚も珍しがってた。
2回目は水浴びするところの上の方。
水浴びするところには当然電球があるのですが、
それの配線の上に居座ってます。
ここ2週間ずーーーといます。
何も食べないでよく生きてられるなと。
そこにいるだけで楽しませてくれるエンターテイナー。笑
②ヤギ
いっぱいいます。地元の人でヤギを家畜にしてる人も少数ですがいます。
野良ヤギもかなりいます。いろんなコンパウンドに出没して
そこの職員に追い払われてます。
で、今週の月曜、31日の朝。
いつも通り起きる。
毎朝、鳥の声やハエの音やら鶏の鳴き声やらいろいろ聞こえるんですが、
今日は普段聞かない鳴き声がかなり近くから聞こえる。
音源と思われる場所にテントの中から近付いて触ってみてもよくわからない。
まあ何かいるんだろうと思いテントから出てみると
ヤギが一匹居座ってる。笑
朝ここにいるってことは昨日の夜からいるってことだろう。
ちょっと和んだ。笑
ヤギを見つけた31日の夕方も同じように戻ってきて
僕のテントの横で寝てたのでちょっと餌をあげてみた。
そしたら好きじゃなかったようで、近くのテントにちょっと移動。
一回起しちゃったせいでヤギは落ち着かなかったようだが、
その日も僕のテントに寄り添い寝ていた。
次の日の朝もまだいた。
午前中までコンパウンド内で草を食べたりしていたのだが、
コンパウンドの手入れのために雇われた地元の人に
足を捕まえられ、ひきずられながら追い払われていた。
鳴き声が悲痛でかわいそうだった。
一匹しかいなかったから集団からはぐれてしまったのだろう。
それでも一匹で生活してたのにひきずられるなんて。かわいそうに。
ヤギを追い払わないように、通訳もしてもらってお願いしたのですが、笑
ちゃんと英語では伝わってたのに、追い払った本人はよくわからなかったようで
ヤギは行ってしまいましたとさ。
③アリ
最近、朝ごはんによく群がってます。
それでも駆除して食べます。
僕はお腹がかなり弱いはずなのですが、
ここ一ヵ月全くお腹を壊してないので
ありぐらいにはめげなくなりました。
最初はさすがに嫌でしたが。
最近、テントの中に出没するので止めて欲しい...。
さきおとといと今朝、ベッドから起きたらテントの床にそれなりの数のアリが。
今までこんなことなかったはずなのになんでー。
おとといは、床に置いといたウエハースに群がっていた。
群がっていると言ってもちゃんと包装してたのでそこまでではなかったのですが、
テントの中までアリが来られるとさすがにたまらんので
朝ごはんをかきこみアリの駆除。
ハエとカはつぶせばいいから気にならんのですが、
アリは果てしない数いるので嫌です。。それでも全部つぶしますが。。
共存していくうちに慣れるのでしょう。
今朝もアリがいて、今度は何だと思ったら、
日本から持ってきたお菓子の袋と、(お菓子自体には被害なし)
スーツケースに移動したウエハースに群がっていた。
スーツケースの中に今も少しアリがいるのでしょう。。
まあ汚いだけだからいいんだが、駆除がめんどい。
加えて、今日はテントの床に小さい穴を発見。
ここからアリが来ていたらしい。
今朝は、テントの中がだいぶ砂っぽくなってきたこともあり、
豪快に洗剤入りの水をぶちまけて掃除。
もうすぐ引っ越しのはずなのでそれまでの辛抱なのですが。
今もテントは多少水浸しです。
が、日差しが強いのであっという間に乾くはず。
テントの周辺にも水をばらまけばあと3日くらいは耐えてくれるはず。。
もう一つ事件?が。
テントに入ってる仮オフィスにある自分のデスク。
ある朝オフィスに行くとなぜか大量のアリ。
オフィスのデスクぐらいなら、
ラップトップを壊さないでくれればそれでいいので
目に見えるアリをひたすらつぶしまくったんですが、
大量のアリ。なんでかな―と思い引きだしを開けてみると
誰かが入れたティッシュに群がる大量のアリ。
これはさすがにビビって、即座にアリが群がるティッシュをつまみ
外に放り投げる。引き出しを引っ張り出して水で洗浄。
アリがいる先には何かある。
アリの話で最後に一つ。
アリの巣はばかでかい。
◆ケニアのテレビドラマ
何についていきなり書き始めるのか、という感じですが、
ADEOコンパウンドにテレビが導入されてからほぼ毎日、
夕食の2,3時間、ずっとテレビがついてます。
ニュースもやるけどドラマが多い。
あくまで個人的な意見ですが、実際に見たらみなさんも同意すると思います。
・声に違和感がある。明らかに出演者の声じゃない。
全てアフレコみたおで、発音が普通のケニア人のと全然違う。
・話す人が変わる度にカメラが切り替わり、会話の間が長い。
しかもカメラは話してる人だけを映す感じ。違和感ありまくり。
・日常生活で聞こえる周囲の雑音が全くない。
気持ち悪い
要するに気持ち悪いんですが、笑
時間をかけて分析したとかじゃなくて、
内容を聞くわけでもなくぼーっと見てて感じたことです。
ひどい偏見ですね。苦笑
日々の活動
23日
・自分で仕事を進められるようになる。
・一人での外出は禁止されていたが認められるようになる。
・仕事から来るプレッシャーで疲れが溜まる
・Kさんに親子丼をごちそうになる。
この日は、休暇をとっている上司に代わる人に会って、
仕事のためにミーティングをアレンジしてもらう予定だったが、
オフィスに来なくて萎える。
(今の上司とは住んでいる場所が少し離れているので、
会うにはこっちから行くか、来てもらう必要がある。
しかも今の上司は病院での診察も仕事の一つなので
オフィスに必ず来るわけではない。)
来ると言っていたのに。
待っていたが来ず、さすがに無為過ぎたので
自分でミーティングをセットするべく歩いて
Dadaabの病院とDistrict Officeまで行く。
病院もDistrict Office前に何度も行っていたので
ここに来れば誰に会えるかはなんとなくわかっていた。
病院の医者と市長?村長?さんとのミーティングが決まる。
ケニアの文化なのか、Dadaabの文化なのかわからないけど
「お話が聞きたい」というと「じゃあ今日か明日の午前・午後で」
という感じで、当日または翌日の予定が決まる。
すぐにでも仕事を始めたいこちらとしてはありがたいけど
もうちょっと早くから予定決めときなよ、と言いたい。
ということで、この時のアクションをきっかけに
自分でミーティングをセッティングできるようになった。
ただ、この時はまだ、どういう方向性で仕事を進めていくか、
どういうことを相手から聞き出せるのか、今一わかってなかった。
仕事について改めて説明すると
HIVとともに生きる人に対する差別事例の調査。
ただ、Dadaab周辺地域は異常に感染率が低くて
どれだけ差別事例があるかわからない。
基本情報は以下(日記を投稿している9月5日現在)
感染率@Dadaab(難民含まない):0.03%
Dadaabの人口:16,830人
Dadaabの家庭数:約2,200
VCT(HIVのstatusを知ることができる施設 Voluntary Counseling and Testing center)に8月に来た人:34人
この一部は9月3日に得たデータで、調査を始めて2週間たってわかったもの。
今現在(9/5)、やっとだいたいこのコミュニティでのHIVの現状がわかってきました。
24日
・一日に4つのミーティング
・同僚のTopyが休暇から戻る
・新しい宿泊施設の最終工事が始まる
District Officer,病院運営を担当するADEOのClinical Officer,
youth,Department of Refugee Affair(DRA)
全部で4人の方にお話を伺う。
前述のように、自分の仕事の方針がほとんど定まっていなかったので
同僚の助けを全く借りないミーティングを経験した、というような感じだった。
とりあえず満足感を得た気がする。笑
25日
・ADEOのボス、Dr.Wesonga来る
・Education meetingに参加
・Dadaabの空港にWesongaをお迎えに行く。空港に行くのはDadaabに来た時以来。
Wesongaが来た。日帰り。
やったら怖いイメージがあったので、
ずんぐりむっくりかと思ってたら
背が高くて普通の体格だった。
最初に少し話をすることができたが、
やはり気後れしてその後あまり話しかけに行くことができず。
どうやらEducation meetingに出席するために来たらしい。
普通、meetingの出席者というのは
meetingのテーマで仕事をしている職員が各NGOから
集まるのだが、この日ADEOから僕を含め4人参加。
Wesonga, Pauline(Dadaabのボス), Topy(school programを持っている)と僕。
また、他のNGOやUNHCRからもかなり上の地位の方が来ていらしたよう。
ミーティング終了後、ADEOコンパウンドで昼飯。
やったら豪華だった。
昼飯のあと、WesongaはUNHCRの方に話をしに行く予定だったそうだが、
どうやらキャンセルになった模様。
Wesongaとは昼飯の後に話すことができたので良かった。
2011年、来年日本に来るらしいです。
26日
・Nutrition Surveyに参加
・Hagadera二回目の訪問
・難民の家にお邪魔しまくる
Nutrition Surveyに参加。朝6時にHagaderaに向かい出発。
終わったのは12時過ぎ。疲れる作業。
3つのキャンプに6チームがあり、
その上に監督チームがある。
23日~28日の6日間が調査期間。毎日6時出発14時ごろ終了。
その後監督チーム(各NGOのsurvey担当者)は夜にミーティング。
ADEOから一人参加していたのでお邪魔させて頂いた。
この日はHagadera_2のチームに加わり調査のお手伝い。
5歳以下の乳幼児とその母親が調査対象。
子供の身体測定とその他、水・食事・衛生に関する質問多数。
難民の生活の様子を見たのは初めてだったので、
言い方が悪いが、「いい」経験になった。
5歳以下ってことはほとんどがキャンプに来てから生まれたということ。
中には僕がケニアに来た日に生まれた子もいたりした。
これからどれだけの間キャンプで暮らすことになるのだろうか。
少なくとも、ケニアの義務教育ではあと13年後までは学校に行く必要がある。
あと、Dadaabには3つのキャンプがあり、
一番古いHagdera、ソマリアに一番近くnew arrivalが多いIfo、
一番人口が多いDagahaley。
そのうちのHagaderaに行ったのだが、
IfoとDagahaleyと比較してみると明らかに土地が狭い。
道は狭いし袋小路だし、
難民の家や庭は狭いし、土の性質から粘土が作りにくく木造が中心。
IfoとDagahaleyでは粘土の家もそれなりにある。
どちらがいいというわけではないのだが。
いろいろと学ぶことが多い新しい体験ができた。
27日
・新憲法施行?で国民の休日
・新しい車がUNHCRから提供される
・女性グループとのミーティングが日曜に(2日後に延期)
・体調が優れなかったが回復。
まあ休日だったんです。
だから仕事しないで休んでても問題なかったのだが
来週の予定を早めに詰めときたかったので
District Officeを訪れるが休日なので当然閉まっている。
その後、女性グループと会う予定だったがそれもできず
2日後の日曜に延期。
何もできなさそうだったのでそのまま休む。
日記を見返しても書くべきことも見当たらないので終わり。
28日
・Nutrition Surveyに参加
・Dagahaley訪問
・同僚のLindahが休暇に入る
Nutrition Survey最終日。今日はDagahaley。
surveyの研修ではIfoに行き、
前回のsurveyではHagaderaに行った。
でこの日はDagahaley。バランスよし。
しかし、前日にDagahaleyであったいざこざのせいで
NGO職員のsecurityのために警察のエスコートと
キャンプ内の安全確保が必要になる。
7時半くらいに着いて、拠点であるMSFの病院に待機してたのだが
9時近くまで待たされる。
その間、MSFの欧米人と話をする機会ができてよかったのかな?笑
Dagahaleyはともかく広い。
道が広いし家も広い。
家の広さが豊かさに比例しているわけでは全くないのだが。
昨日は休んだものの、実は昨日だけで一日10km以上歩いており
やはり疲れが溜まっていた。
前回の調査に比べ大分疲れた。
水も持ってきてなかった上に、前回より調査が終わるのが遅く、
しかもDagahaleyでコンパウンドから15km近く離れている。
さらに調査が終わった後、なかなか帰れず待つ。
昼飯もコンパウンドでとるため、surveyの終わりの方はかなり干からびていた。苦笑
難民の生活の厳しさを体で知った。
一方で、難民の家にお邪魔する調査チームは
家に保管してある水を普通に使ったり、
家に敷いてあるシートの上で住人を除けて寝ていたり
見ていて非常に微妙な気持ちになった。
といっても調査チームもリーダー以外は
難民で、水は地域の水道から無料でとってくることができる。
ただし水を運ぶのは重労働で、しかも非力な女の人の仕事である。
んー。
29日
・女性グループとミーティング
・ハブディの名前を知る
・今までの時間の過ごし方を後悔する
女性グループとミーティングする。
10時に会う予定が10時45分まで待つ。
その間ハブディのお父さんに会うことができたりしたので
あまり暇はしなかったが。
女性グループはリーダーの人だけが英語ができて、
通訳してもらいながらやった。
諸事情により、いろいろと置かれた環境が異なる僕は
コミュニティの人、特に年配の女性から
あまり良いように捉えられていないように見える。
諸事情、に関してはすごく重要だけれども
まだ考えがまとまってないので
研修が終わってからも勉強して発展させていきたいと思います。
翌日が月曜で仕事が始まる上に、
昨日はがっつり、今日はちょっと仕事をして疲れが溜まってるので
がっつり休む。
30日
・ユースとミーティング
・仕事が軌道に乗り気分が楽になる
・研修折り返し?
・久しぶりに運動
ユースと2回目のミーティング。
今日はユースのチェアパーソンとも会い、
HIV啓発活動についてがっつり聞いた。
といっても20分ちょっとくらいだが。
どの人とミーティングするにしても、
agencyで働いている人と違ってすぐに集中力が切れてしまうので
20分が限界。
だから毎回ちゃんと準備して聞きたいことを整理していかないと
最初の方みたいに無意味に終わってしまう。
話は少し変わるが、難民の友達と話をしていて感じたことが一つ。
どんな生活環境におかれても、
趣味、というか自分の好きなことをする、というのは非常に大事。
(それすら出来ないほど苦しい環境に置かれてる人にしたら
全く浮かれた話だということになるが。)
心に余裕を作るものだと思う。
余裕ができると他のことへの活力が湧いてくると思う。
人生が豊かになる。
だから趣味のレベルがどの程度であろうと、
それが自分にとって有意義で楽しいものなら
続けるべき。
ということで自分はバスケが大好きなので
今後もそれが有意義に楽しく続けられるように
今も努力すべきだという結論に至る。
27日の国民の休日の日、日差しが強い昼過ぎからランニングへ。
1周3km超あるコンパウンドを2周。
この日、30日は夕方にランニングでバスケのコートに行き
体を動かす。かなり疲れて、
帰ってきてすぐ夜ご飯にがっつく。
無理をすると体調を崩すと言われたが
9月5日現在、とりあえず異常はないです。
自分はお腹がかなり弱いのですが、お腹も壊すことなく来てます。
31日
・Dadaabにある病院のナース(ADEO)とミーティング
この日はこれ以外、他の人に会う予定がなかったが、
オフィスで仕事のプランを立てたり、今まで得た情報を整理したりした。
いろんな人に会って新しい情報を仕入れ、
それに対する疑問が湧いてそれを次回のミーティングで尋ね、
と言った感じで進んでいた。
情報を深いところまで探るのはいいことではあるが、
仕事の終点がどこにあるのかも意識しなければいけない。
また、先週のeducation meetingに出席したことで
education surveyの資料もメールでもらっていたので
それにも目を通す。なかなか興味深い。
実際問題としては、解決しなきゃいけない喫緊の課題であり、
できるだけ早く効果が出るような抜本的なアプローチが必要なのだ。
そして、先週のミーティングを聞いている限りでは
どのアプローチをすれば一定の効果が上がるのか、
キャンプの運営の面でもお金の面でも非常にデリケートな問題なのに
アクションに移るのが非常に速いようにも見える。
これは批判では全くなくて、素人の感想です。
このキャンプは世界最大だけど最年長ではないのかな。
他のキャンプとの情報共有はどれだけ行われいているのかが気になった。
具体的なことも僕はわかっているのですが間違いなくconfidentialなので
ここでは書けない、よって内容がわかりにくいという悪循環。申し訳ないです。
1日
・ボスのPaulineが休暇に。後から同僚に、ボスにもう会えないことを告げられる。ショック。
・ついで同僚のMaryも休暇に。これで新コンパウンドに居るADEO職員は僕を含め3人。
(※ADEO新コンパウンドの男女比の経過(男:女)
3:5(4日間)、3:4(14日間)、2:4(2日間)、1:4(12日間)、1:2(3日間)
要するにジェンダーバランスが珍しいと言いたかったのです。笑)
・午前中、ADEO主催のTB(結核)のtrainingに参加する。
・ユースにQuestionnaireをお願いする。ナースにインタビュー。
マダム(Pauline)と別れる。写真撮っておいてよかったー。
マダムと話すとどことなく緊張させられたけど良い人だった。
ADEOの中でも新規プログラムを2箇所で始めたすごい人。
本当に尋常じゃない能力だと思う。
本人からこのことを聞いた時は本当に感服した。
今度また来た時に会いたいな。
Maryは割とすぐ帰ってくるからいいや。笑
しかし三人は寂しい。
しかも同僚のTopyはProgram Officer(一番偉い人)とsite clerk(ADEOの在庫管理)と
自分の仕事をかけ持ってるのでかなり大変そう。
もうすぐナンバー2で僕の上司のGilbertが戻ってくるので、
2つかけ持ちで済むようになるが、それでもかなり大変だろう。
site clerkくらいなら、彼女が不在の時に代理できそうだから
申し出てみようかな。
この日はIfo hospitalでTB training。
TB(結核)はHIVと併発しやすいので
それなりの対策が取られている。
このtrainingはキャンプで働くCommunity Health Worker(CHW)を主な対象として行われたもので
基礎から実践まで網羅した講義のようなもの。ってか講義。
僕はお客さんのような感じで脇から聞いていた。
背もたれがない細い椅子に座ってたのでかなり疲れた。苦笑
午後はユースに予め用意したquestionnaireを渡し、
翌日までに記入してくることで合意、終了。
その後Dadaab Health Centerまで車で移動。
ADEOのナースにインタビュー。
そのナースが患者の対応に追われていたので
しばらく待つ。
その間、ハブディと戯れる。
ハブディの方からてくてく歩いてくる姿は本当にかわいい。
地元の人は、僕の近くに座ってるハブディを見るとくすくすと笑って通り過ぎていく。
いやー、まじで癒される。
で、インタビューへ。
HIV陽性者に対する差別のケースを調べるというのがメインの仕事で
これまでいろんな人に聞いてきたが、ここで初めて
差別のケースがあるという話を聞いた。
時間の制約もあり、あまり深いところまで聞けなかったが
有意義だった。
2日
・上司に意見を仰ぐためプレゼン作成
・ユースとミーティング
・運動しに行くが、同僚の友人に捕まり満足にできず。
Qalitiという、休暇中のGilbertに代わり僕の上司の籍に居るADEOの職員がいるのだが、
今はまだgtzに住んでおり、しかも普段の勤務地はIfo Hospital。
週に3回くらいはADEOコンパウンドに来るが、
そこまで長い時間いるわけではない。
Qalitiに用がある時は、電話して来てもらう。
本当は自分がgtzに行こうと思っているのだが、
向こうがこっちに来ると言って話が収まる。
まあこっちが正式なオフィスだから道理と言えば道理なのだが。
で、せっかく来てもらうのでちゃんと現状を分かりやすい形で報告しようと思い、
整理し始める。
最初はプレゼンなんか作るつもりはなかったが、
勢い余って作ってしまった。
9時から作り始め、昼休みを挟んで15時くらいまでかかった。
内容はそれなりだったと思う。
が、内容に沿った説明をする、というのはなかなか難しい。
マンツーマンで仕事の話をすることはそれなりにできるようになったが、
プレゼンは難しい。。
でもちゃんと伝わったので良しとする。
彼女と話していて、自分の仕事の中継点がわかったのでよかった。
その後、ユースの代表と会いアンケートを回収、その場で質問をしておいた。
Red Crossのお陰か、かなりちゃんとした活動をしているようだった。
それでも突っ込みどころはあるのでそれを仕事のレポートに反映させる。
ずっとDadaabの敷地内にいてデスクワークをしていたので体力が余っていた。
運動しに行く。
月曜よりかは体力が戻っていたが、同僚の友人が一緒に居たため
あまり本気でできなかった。
妙にまねしたがる。笑 どっか行けとは言えないので一緒に運動してた。
3日
・education meetingが延期
・最終日のTB trainingに参加
・District Office(DO)で統計データを少し入手
・Red Crossの事務所を発見。月曜に会う約束をとりつける
education meetingに行く前に、DOに寄り、何時から開いてるのか確認してみる。
時間にルーズここでは珍しく8時から開いていた。
しかし、秘書がもの凄く怠慢で、
来たばかりだからという理由であんまり情報を提供してくれない。
学校の人と話がしたいから連絡先教えてくれと言ってもわからんと言う。
じゃあ直接訪問するから場所を教えろというとわからんという。おい。
実際知らないのだろうが、そんなんでいいのかよ。苦笑
もう一人の秘書が知り合いなのだが、今休暇でナイロビにいる。
来月に帰ってくると言われて意気消沈。
各NGOの参加者が原因不明で多数欠席。
education meetingが延期になる。わざわざIfoまで来たのに。。
といいつつADEOも、人員不足のせいで1時間遅刻したのだが。。
参加者一同怒っていた。
ここまで人がいないとなると主催者側に何か問題があったんじゃねーのと思ってしまう。
この後最後のTB trainingに参加。
1から10までとりあえず叩きこむ感じなので内容の進行が早い。
僕はついていけなかった。苦笑
コンパウンドに戻り、休む。
この日はすんごい暑くてオフィスで仕事をする気になれず。
それでもなんとか仕事にとりかかり、
DOに再度向かう。
ユースのいろんな人と知り合いになったおかげで
Red Crossの人と次の月曜に会えるようになった。
というのも、ユースの一部の人はPeer Educatorとして
Red CrossのHIV啓発活動を行っているからだ。
少し話は逸れるが、町中を良く歩いているせいでだいぶ顔が知れ渡っているはず。
その上、ユースや他の知り合いから声をかけられて話をしたりすると
ただの訪問者じゃないという風に見せられる。
残された時間は短いけど、こうやってコミュニティに浸透していけたらいいな、と思った。
4日
・ADEO engineerの仕事見学
この日は早起きして技師(建築家)の仕事見学。
この工事は、ADEOの仕事ではなく、彼個人で受け持っているものらしいので
僕は特別来てもいいことになっているけど秘密にしてくれ、と言われいてる。
ので、ここでは具体的な情報が特定できない範囲で書きます。
ここのサイトの訪問は3回目。
かなり工事が進んでいた。
8時に到着して13時に帰路についたのだが、
3時間くらいずーーーっとコンクリートを固める作業を見ていた。笑
建設地がキャンプの中にある上に、その中でもかなり中心から離れたところにあるので
迎えが来るまで帰れないのだ。
ごく一部、機械作業もあるが、
地面を掘ったり、ブロックを下ろしたり、コンクリートの素材を作ったりなど
全て人がやっている。
ここのサイトを訪問する度に、一緒に地面掘ったり
砂を運んだり、ブロックを下ろしたりと
何かを体験するようにしているのだが、
果てしなく大変で地道な作業。
特にこの日のコンクリート固めは超大変そうだった。
でも成果が目に見えるので、見ていてわくわくする。笑
ちなみに、この日だけでものすごく日焼けしました。笑
5日
今日。
朝ごはんをかきこんで、洗濯をしてから、テントの大掃除。
その後読書。
日曜って最高だな、と思った。笑
今日は珍しく雲一つない快晴で、日差しが超強いです。
このブログで公開しているこの文章は
日記の内容を参照して書きなおしたものなのですが、
自分の過去の日記を見直してると恥ずかしくなってくる。笑
最初の方は特に慣れてなくて、
読んで頂いた方にはわかりにくかったなぁと。
一瞬だけ公開して一部の方は読まれたようなので
恥ずかしい。笑
最初に普段の生活で気になったことを抜粋。
次にここ2週間の活動を簡単に振り返るという感じです。
※言葉の整理
以下に言葉を整理します。
Google mapで見てくれれば楽なんですが。。
●Dadaab:難民キャンプそのものではない。ケニア人のコミュニティ。ここで働いてる人がDadaabという時はコンパウンドの目の前にある市街地や、コンパウンドのことを指す。Dadaab自体は村で、国連・NGOの敷地に沿って走っているメインストリートに沿って住居や店があるだけ。
●Hagadera, Ifo, Dagahaley:Dadaabにある3つの難民キャンプ。総称としてDadaab難民キャンプと呼ぶ。難民キャンプである以前にケニア人のコミュニティが存在。コミュニティがあってその上にキャンプがある。
●国連・NGOの敷地:僕がこの言葉を使う時は、Dadaabにある国連・NGOの敷地を指します。というのは、Dadaab以外にも、DagahaleyにMSFやCareやUNHCR、HagaderaにIRCやUNHCRやgtz、IfoにUNHCRやCareといったように各NGOは活動に応じて拠点を構えているからです。
●ADEOコンパウンド:2009年10月からADEOはDadaabでの活動を展開し始め、2010年8月の頭までgtzの敷地を借りて活動していた。今も多くの職員がgtzに暮らす。gtzとADEO新コンパウンドは敷地内で正反対にあり1.5km離れている。ネットを使う時はPCを抱えてgtzまで行く。新コンパウンドは宿泊施設もオフィスも完成しておらず、どちらもテントがあてがわれている。昼のオフィスは時にとてつもなく暑い。
●Ifo:一番僕らの敷地から近く4,5km。車が新しくなってからは10分以内で着く。ADEOが活動を展開しているキャンプ。ソマリア国境から一番近く、New Arrivalのためのtransitセンターや難民登録所がある。あまりにNew Arrivalが多いためIfo-2の建設計画がある。また、約95%を占める圧倒的多数のソマリア人の他に、スーダン人・エチオピア人を中心としたマイノリティがおり、マイノリティの多くはIfoの特定のブロックに生活している。
●Hagadera:ADEOは活動を持っていない。Ifo、Dagahaleyと正反対に敷地から10km程度で直線のオフロードを高速で突っ走って着く。土壌がかなり砂っぽく風がかなり強いため、窓を閉めてないと髪・顔等が大変なことになる。一番古いキャンプで、道の整理や拡張、家の敷地の拡張などが課題になっている。
●Dagahaley:ADEOは少し活動を持っている。敷地からは15kmくらい。Ifoを通り過ぎてさらに行くと到着。人口最大。
●Dadaabの病院(Dadaab Health Center):地元のケニア人を主な対象にした病院。運営は政府とADEOとRed Crossだが、ADEOが大半を運営。Ifo Hospitalに比べ小さいので、ここで対応できない患者はIfoに送致される。ADEOコンパウンドから一応歩いていける距離にあるが、徒歩25分。車だと一瞬。
●Ifoの病院:gtz(ドイツ政府系の援助組織)とADEOが運営する、Ifoキャンプのメインの病院。この病院の下部組織として5つのHealth PostとOld HospitalがIfo内に散在し、これらが中央病院に送るべき患者のスクリーニングを行う。ケニア人も利用できる。上司の仕事の関係でよく来る。
●Hagaderaの病院:IRC(International Rescue Committee)が運営する病院。仕事の関係で一度見学したが立派。
●Dagahaleyの病院:MSF(国境なき医師団。正式名称はフランス語で曖昧なので割愛。笑)が運営。ここも立派だが施設の中身まではわからない。
●Dadaabの病院のナース:ADEOの職員の知り合いが3人いて、一人に大変お世話になっていて、最初の方はユースや女性グループとのミーティングをアレンジしてくれた。彼女自身へのインタビューも2回した。
●ユース:Dadaab内に住む18歳~30歳弱の男性だけ(?)で構成される組織。組織としての登録を行い活動を展開している。今のところ4回ミーティングをした。
●女性グループ:Dadaab内に住む女性で構成される組織。Income Generating Activity(IGA)の分野で活動。リーダーのみ英語を話せる。
●District Office(DO):Dadaabの病院の近くにある村役場のようなもの。ちょっと話を伺った程度。
1、諸々
◆ハブディ
子供の名前です。
ブログにこの子のことを書いたか覚えてないのですが、
僕が仕事の関係上よく行く、Dadaabの病院のすぐ近くに住んでる1歳半の子です。
最初に会ったのは1ヵ月近く前で、
その時からこの子は黒人でない僕に興味を持っていて
最近はとても仲良くしてます。
何よりかわいい。笑
父親に最近初めて会ってやっと名前がわかりました。
僕を見つけると笑顔で歩いてきて隣に座ります。めっちゃかわいい。笑
おとといは、病院の人にインタビューをするため待っている間、
一緒に遊んで、肩車してあげました。
親に許可をもらって、笑
かわいいよー。
でも言葉の壁があるのがもどかしい。。
加えて、僕が日本に帰る時になったら
ハブディが悲しむ気がするので気の毒。
僕も悲しいですが。笑
今でさえ、僕が帰ろうとすると嫌がるので...。
◆生き物
依然、新しい宿泊施設ができてないので
キャンプ暮らしなのですが、いろんな生き物がいます。
①カエル
②やぎ
③アリ
④蚊
⑤ハエ
⑥ロバ
⑦コオロギ
⑧牛
⑨トカゲ
...
最初の3つについてエピソードが。
①カエル
ここには水がないところでも生活できるという珍しいカエルがいます。
さらにおもしろいことに、なぜか高いところ好き。
Dadaabに来てから1ヵ月経ちますが、彼を2回目撃しており、
1回目はオフィスのPCのディスプレイの上。
なんだこのカエルって感じでした。笑
同僚も珍しがってた。
2回目は水浴びするところの上の方。
水浴びするところには当然電球があるのですが、
それの配線の上に居座ってます。
ここ2週間ずーーーといます。
何も食べないでよく生きてられるなと。
そこにいるだけで楽しませてくれるエンターテイナー。笑
②ヤギ
いっぱいいます。地元の人でヤギを家畜にしてる人も少数ですがいます。
野良ヤギもかなりいます。いろんなコンパウンドに出没して
そこの職員に追い払われてます。
で、今週の月曜、31日の朝。
いつも通り起きる。
毎朝、鳥の声やハエの音やら鶏の鳴き声やらいろいろ聞こえるんですが、
今日は普段聞かない鳴き声がかなり近くから聞こえる。
音源と思われる場所にテントの中から近付いて触ってみてもよくわからない。
まあ何かいるんだろうと思いテントから出てみると
ヤギが一匹居座ってる。笑
朝ここにいるってことは昨日の夜からいるってことだろう。
ちょっと和んだ。笑
ヤギを見つけた31日の夕方も同じように戻ってきて
僕のテントの横で寝てたのでちょっと餌をあげてみた。
そしたら好きじゃなかったようで、近くのテントにちょっと移動。
一回起しちゃったせいでヤギは落ち着かなかったようだが、
その日も僕のテントに寄り添い寝ていた。
次の日の朝もまだいた。
午前中までコンパウンド内で草を食べたりしていたのだが、
コンパウンドの手入れのために雇われた地元の人に
足を捕まえられ、ひきずられながら追い払われていた。
鳴き声が悲痛でかわいそうだった。
一匹しかいなかったから集団からはぐれてしまったのだろう。
それでも一匹で生活してたのにひきずられるなんて。かわいそうに。
ヤギを追い払わないように、通訳もしてもらってお願いしたのですが、笑
ちゃんと英語では伝わってたのに、追い払った本人はよくわからなかったようで
ヤギは行ってしまいましたとさ。
③アリ
最近、朝ごはんによく群がってます。
それでも駆除して食べます。
僕はお腹がかなり弱いはずなのですが、
ここ一ヵ月全くお腹を壊してないので
ありぐらいにはめげなくなりました。
最初はさすがに嫌でしたが。
最近、テントの中に出没するので止めて欲しい...。
さきおとといと今朝、ベッドから起きたらテントの床にそれなりの数のアリが。
今までこんなことなかったはずなのになんでー。
おとといは、床に置いといたウエハースに群がっていた。
群がっていると言ってもちゃんと包装してたのでそこまでではなかったのですが、
テントの中までアリが来られるとさすがにたまらんので
朝ごはんをかきこみアリの駆除。
ハエとカはつぶせばいいから気にならんのですが、
アリは果てしない数いるので嫌です。。それでも全部つぶしますが。。
共存していくうちに慣れるのでしょう。
今朝もアリがいて、今度は何だと思ったら、
日本から持ってきたお菓子の袋と、(お菓子自体には被害なし)
スーツケースに移動したウエハースに群がっていた。
スーツケースの中に今も少しアリがいるのでしょう。。
まあ汚いだけだからいいんだが、駆除がめんどい。
加えて、今日はテントの床に小さい穴を発見。
ここからアリが来ていたらしい。
今朝は、テントの中がだいぶ砂っぽくなってきたこともあり、
豪快に洗剤入りの水をぶちまけて掃除。
もうすぐ引っ越しのはずなのでそれまでの辛抱なのですが。
今もテントは多少水浸しです。
が、日差しが強いのであっという間に乾くはず。
テントの周辺にも水をばらまけばあと3日くらいは耐えてくれるはず。。
もう一つ事件?が。
テントに入ってる仮オフィスにある自分のデスク。
ある朝オフィスに行くとなぜか大量のアリ。
オフィスのデスクぐらいなら、
ラップトップを壊さないでくれればそれでいいので
目に見えるアリをひたすらつぶしまくったんですが、
大量のアリ。なんでかな―と思い引きだしを開けてみると
誰かが入れたティッシュに群がる大量のアリ。
これはさすがにビビって、即座にアリが群がるティッシュをつまみ
外に放り投げる。引き出しを引っ張り出して水で洗浄。
アリがいる先には何かある。
アリの話で最後に一つ。
アリの巣はばかでかい。
◆ケニアのテレビドラマ
何についていきなり書き始めるのか、という感じですが、
ADEOコンパウンドにテレビが導入されてからほぼ毎日、
夕食の2,3時間、ずっとテレビがついてます。
ニュースもやるけどドラマが多い。
あくまで個人的な意見ですが、実際に見たらみなさんも同意すると思います。
・声に違和感がある。明らかに出演者の声じゃない。
全てアフレコみたおで、発音が普通のケニア人のと全然違う。
・話す人が変わる度にカメラが切り替わり、会話の間が長い。
しかもカメラは話してる人だけを映す感じ。違和感ありまくり。
・日常生活で聞こえる周囲の雑音が全くない。
気持ち悪い
要するに気持ち悪いんですが、笑
時間をかけて分析したとかじゃなくて、
内容を聞くわけでもなくぼーっと見てて感じたことです。
ひどい偏見ですね。苦笑
日々の活動
23日
・自分で仕事を進められるようになる。
・一人での外出は禁止されていたが認められるようになる。
・仕事から来るプレッシャーで疲れが溜まる
・Kさんに親子丼をごちそうになる。
この日は、休暇をとっている上司に代わる人に会って、
仕事のためにミーティングをアレンジしてもらう予定だったが、
オフィスに来なくて萎える。
(今の上司とは住んでいる場所が少し離れているので、
会うにはこっちから行くか、来てもらう必要がある。
しかも今の上司は病院での診察も仕事の一つなので
オフィスに必ず来るわけではない。)
来ると言っていたのに。
待っていたが来ず、さすがに無為過ぎたので
自分でミーティングをセットするべく歩いて
Dadaabの病院とDistrict Officeまで行く。
病院もDistrict Office前に何度も行っていたので
ここに来れば誰に会えるかはなんとなくわかっていた。
病院の医者と市長?村長?さんとのミーティングが決まる。
ケニアの文化なのか、Dadaabの文化なのかわからないけど
「お話が聞きたい」というと「じゃあ今日か明日の午前・午後で」
という感じで、当日または翌日の予定が決まる。
すぐにでも仕事を始めたいこちらとしてはありがたいけど
もうちょっと早くから予定決めときなよ、と言いたい。
ということで、この時のアクションをきっかけに
自分でミーティングをセッティングできるようになった。
ただ、この時はまだ、どういう方向性で仕事を進めていくか、
どういうことを相手から聞き出せるのか、今一わかってなかった。
仕事について改めて説明すると
HIVとともに生きる人に対する差別事例の調査。
ただ、Dadaab周辺地域は異常に感染率が低くて
どれだけ差別事例があるかわからない。
基本情報は以下(日記を投稿している9月5日現在)
感染率@Dadaab(難民含まない):0.03%
Dadaabの人口:16,830人
Dadaabの家庭数:約2,200
VCT(HIVのstatusを知ることができる施設 Voluntary Counseling and Testing center)に8月に来た人:34人
この一部は9月3日に得たデータで、調査を始めて2週間たってわかったもの。
今現在(9/5)、やっとだいたいこのコミュニティでのHIVの現状がわかってきました。
24日
・一日に4つのミーティング
・同僚のTopyが休暇から戻る
・新しい宿泊施設の最終工事が始まる
District Officer,病院運営を担当するADEOのClinical Officer,
youth,Department of Refugee Affair(DRA)
全部で4人の方にお話を伺う。
前述のように、自分の仕事の方針がほとんど定まっていなかったので
同僚の助けを全く借りないミーティングを経験した、というような感じだった。
とりあえず満足感を得た気がする。笑
25日
・ADEOのボス、Dr.Wesonga来る
・Education meetingに参加
・Dadaabの空港にWesongaをお迎えに行く。空港に行くのはDadaabに来た時以来。
Wesongaが来た。日帰り。
やったら怖いイメージがあったので、
ずんぐりむっくりかと思ってたら
背が高くて普通の体格だった。
最初に少し話をすることができたが、
やはり気後れしてその後あまり話しかけに行くことができず。
どうやらEducation meetingに出席するために来たらしい。
普通、meetingの出席者というのは
meetingのテーマで仕事をしている職員が各NGOから
集まるのだが、この日ADEOから僕を含め4人参加。
Wesonga, Pauline(Dadaabのボス), Topy(school programを持っている)と僕。
また、他のNGOやUNHCRからもかなり上の地位の方が来ていらしたよう。
ミーティング終了後、ADEOコンパウンドで昼飯。
やったら豪華だった。
昼飯のあと、WesongaはUNHCRの方に話をしに行く予定だったそうだが、
どうやらキャンセルになった模様。
Wesongaとは昼飯の後に話すことができたので良かった。
2011年、来年日本に来るらしいです。
26日
・Nutrition Surveyに参加
・Hagadera二回目の訪問
・難民の家にお邪魔しまくる
Nutrition Surveyに参加。朝6時にHagaderaに向かい出発。
終わったのは12時過ぎ。疲れる作業。
3つのキャンプに6チームがあり、
その上に監督チームがある。
23日~28日の6日間が調査期間。毎日6時出発14時ごろ終了。
その後監督チーム(各NGOのsurvey担当者)は夜にミーティング。
ADEOから一人参加していたのでお邪魔させて頂いた。
この日はHagadera_2のチームに加わり調査のお手伝い。
5歳以下の乳幼児とその母親が調査対象。
子供の身体測定とその他、水・食事・衛生に関する質問多数。
難民の生活の様子を見たのは初めてだったので、
言い方が悪いが、「いい」経験になった。
5歳以下ってことはほとんどがキャンプに来てから生まれたということ。
中には僕がケニアに来た日に生まれた子もいたりした。
これからどれだけの間キャンプで暮らすことになるのだろうか。
少なくとも、ケニアの義務教育ではあと13年後までは学校に行く必要がある。
あと、Dadaabには3つのキャンプがあり、
一番古いHagdera、ソマリアに一番近くnew arrivalが多いIfo、
一番人口が多いDagahaley。
そのうちのHagaderaに行ったのだが、
IfoとDagahaleyと比較してみると明らかに土地が狭い。
道は狭いし袋小路だし、
難民の家や庭は狭いし、土の性質から粘土が作りにくく木造が中心。
IfoとDagahaleyでは粘土の家もそれなりにある。
どちらがいいというわけではないのだが。
いろいろと学ぶことが多い新しい体験ができた。
27日
・新憲法施行?で国民の休日
・新しい車がUNHCRから提供される
・女性グループとのミーティングが日曜に(2日後に延期)
・体調が優れなかったが回復。
まあ休日だったんです。
だから仕事しないで休んでても問題なかったのだが
来週の予定を早めに詰めときたかったので
District Officeを訪れるが休日なので当然閉まっている。
その後、女性グループと会う予定だったがそれもできず
2日後の日曜に延期。
何もできなさそうだったのでそのまま休む。
日記を見返しても書くべきことも見当たらないので終わり。
28日
・Nutrition Surveyに参加
・Dagahaley訪問
・同僚のLindahが休暇に入る
Nutrition Survey最終日。今日はDagahaley。
surveyの研修ではIfoに行き、
前回のsurveyではHagaderaに行った。
でこの日はDagahaley。バランスよし。
しかし、前日にDagahaleyであったいざこざのせいで
NGO職員のsecurityのために警察のエスコートと
キャンプ内の安全確保が必要になる。
7時半くらいに着いて、拠点であるMSFの病院に待機してたのだが
9時近くまで待たされる。
その間、MSFの欧米人と話をする機会ができてよかったのかな?笑
Dagahaleyはともかく広い。
道が広いし家も広い。
家の広さが豊かさに比例しているわけでは全くないのだが。
昨日は休んだものの、実は昨日だけで一日10km以上歩いており
やはり疲れが溜まっていた。
前回の調査に比べ大分疲れた。
水も持ってきてなかった上に、前回より調査が終わるのが遅く、
しかもDagahaleyでコンパウンドから15km近く離れている。
さらに調査が終わった後、なかなか帰れず待つ。
昼飯もコンパウンドでとるため、surveyの終わりの方はかなり干からびていた。苦笑
難民の生活の厳しさを体で知った。
一方で、難民の家にお邪魔する調査チームは
家に保管してある水を普通に使ったり、
家に敷いてあるシートの上で住人を除けて寝ていたり
見ていて非常に微妙な気持ちになった。
といっても調査チームもリーダー以外は
難民で、水は地域の水道から無料でとってくることができる。
ただし水を運ぶのは重労働で、しかも非力な女の人の仕事である。
んー。
29日
・女性グループとミーティング
・ハブディの名前を知る
・今までの時間の過ごし方を後悔する
女性グループとミーティングする。
10時に会う予定が10時45分まで待つ。
その間ハブディのお父さんに会うことができたりしたので
あまり暇はしなかったが。
女性グループはリーダーの人だけが英語ができて、
通訳してもらいながらやった。
諸事情により、いろいろと置かれた環境が異なる僕は
コミュニティの人、特に年配の女性から
あまり良いように捉えられていないように見える。
諸事情、に関してはすごく重要だけれども
まだ考えがまとまってないので
研修が終わってからも勉強して発展させていきたいと思います。
翌日が月曜で仕事が始まる上に、
昨日はがっつり、今日はちょっと仕事をして疲れが溜まってるので
がっつり休む。
30日
・ユースとミーティング
・仕事が軌道に乗り気分が楽になる
・研修折り返し?
・久しぶりに運動
ユースと2回目のミーティング。
今日はユースのチェアパーソンとも会い、
HIV啓発活動についてがっつり聞いた。
といっても20分ちょっとくらいだが。
どの人とミーティングするにしても、
agencyで働いている人と違ってすぐに集中力が切れてしまうので
20分が限界。
だから毎回ちゃんと準備して聞きたいことを整理していかないと
最初の方みたいに無意味に終わってしまう。
話は少し変わるが、難民の友達と話をしていて感じたことが一つ。
どんな生活環境におかれても、
趣味、というか自分の好きなことをする、というのは非常に大事。
(それすら出来ないほど苦しい環境に置かれてる人にしたら
全く浮かれた話だということになるが。)
心に余裕を作るものだと思う。
余裕ができると他のことへの活力が湧いてくると思う。
人生が豊かになる。
だから趣味のレベルがどの程度であろうと、
それが自分にとって有意義で楽しいものなら
続けるべき。
ということで自分はバスケが大好きなので
今後もそれが有意義に楽しく続けられるように
今も努力すべきだという結論に至る。
27日の国民の休日の日、日差しが強い昼過ぎからランニングへ。
1周3km超あるコンパウンドを2周。
この日、30日は夕方にランニングでバスケのコートに行き
体を動かす。かなり疲れて、
帰ってきてすぐ夜ご飯にがっつく。
無理をすると体調を崩すと言われたが
9月5日現在、とりあえず異常はないです。
自分はお腹がかなり弱いのですが、お腹も壊すことなく来てます。
31日
・Dadaabにある病院のナース(ADEO)とミーティング
この日はこれ以外、他の人に会う予定がなかったが、
オフィスで仕事のプランを立てたり、今まで得た情報を整理したりした。
いろんな人に会って新しい情報を仕入れ、
それに対する疑問が湧いてそれを次回のミーティングで尋ね、
と言った感じで進んでいた。
情報を深いところまで探るのはいいことではあるが、
仕事の終点がどこにあるのかも意識しなければいけない。
また、先週のeducation meetingに出席したことで
education surveyの資料もメールでもらっていたので
それにも目を通す。なかなか興味深い。
実際問題としては、解決しなきゃいけない喫緊の課題であり、
できるだけ早く効果が出るような抜本的なアプローチが必要なのだ。
そして、先週のミーティングを聞いている限りでは
どのアプローチをすれば一定の効果が上がるのか、
キャンプの運営の面でもお金の面でも非常にデリケートな問題なのに
アクションに移るのが非常に速いようにも見える。
これは批判では全くなくて、素人の感想です。
このキャンプは世界最大だけど最年長ではないのかな。
他のキャンプとの情報共有はどれだけ行われいているのかが気になった。
具体的なことも僕はわかっているのですが間違いなくconfidentialなので
ここでは書けない、よって内容がわかりにくいという悪循環。申し訳ないです。
1日
・ボスのPaulineが休暇に。後から同僚に、ボスにもう会えないことを告げられる。ショック。
・ついで同僚のMaryも休暇に。これで新コンパウンドに居るADEO職員は僕を含め3人。
(※ADEO新コンパウンドの男女比の経過(男:女)
3:5(4日間)、3:4(14日間)、2:4(2日間)、1:4(12日間)、1:2(3日間)
要するにジェンダーバランスが珍しいと言いたかったのです。笑)
・午前中、ADEO主催のTB(結核)のtrainingに参加する。
・ユースにQuestionnaireをお願いする。ナースにインタビュー。
マダム(Pauline)と別れる。写真撮っておいてよかったー。
マダムと話すとどことなく緊張させられたけど良い人だった。
ADEOの中でも新規プログラムを2箇所で始めたすごい人。
本当に尋常じゃない能力だと思う。
本人からこのことを聞いた時は本当に感服した。
今度また来た時に会いたいな。
Maryは割とすぐ帰ってくるからいいや。笑
しかし三人は寂しい。
しかも同僚のTopyはProgram Officer(一番偉い人)とsite clerk(ADEOの在庫管理)と
自分の仕事をかけ持ってるのでかなり大変そう。
もうすぐナンバー2で僕の上司のGilbertが戻ってくるので、
2つかけ持ちで済むようになるが、それでもかなり大変だろう。
site clerkくらいなら、彼女が不在の時に代理できそうだから
申し出てみようかな。
この日はIfo hospitalでTB training。
TB(結核)はHIVと併発しやすいので
それなりの対策が取られている。
このtrainingはキャンプで働くCommunity Health Worker(CHW)を主な対象として行われたもので
基礎から実践まで網羅した講義のようなもの。ってか講義。
僕はお客さんのような感じで脇から聞いていた。
背もたれがない細い椅子に座ってたのでかなり疲れた。苦笑
午後はユースに予め用意したquestionnaireを渡し、
翌日までに記入してくることで合意、終了。
その後Dadaab Health Centerまで車で移動。
ADEOのナースにインタビュー。
そのナースが患者の対応に追われていたので
しばらく待つ。
その間、ハブディと戯れる。
ハブディの方からてくてく歩いてくる姿は本当にかわいい。
地元の人は、僕の近くに座ってるハブディを見るとくすくすと笑って通り過ぎていく。
いやー、まじで癒される。
で、インタビューへ。
HIV陽性者に対する差別のケースを調べるというのがメインの仕事で
これまでいろんな人に聞いてきたが、ここで初めて
差別のケースがあるという話を聞いた。
時間の制約もあり、あまり深いところまで聞けなかったが
有意義だった。
2日
・上司に意見を仰ぐためプレゼン作成
・ユースとミーティング
・運動しに行くが、同僚の友人に捕まり満足にできず。
Qalitiという、休暇中のGilbertに代わり僕の上司の籍に居るADEOの職員がいるのだが、
今はまだgtzに住んでおり、しかも普段の勤務地はIfo Hospital。
週に3回くらいはADEOコンパウンドに来るが、
そこまで長い時間いるわけではない。
Qalitiに用がある時は、電話して来てもらう。
本当は自分がgtzに行こうと思っているのだが、
向こうがこっちに来ると言って話が収まる。
まあこっちが正式なオフィスだから道理と言えば道理なのだが。
で、せっかく来てもらうのでちゃんと現状を分かりやすい形で報告しようと思い、
整理し始める。
最初はプレゼンなんか作るつもりはなかったが、
勢い余って作ってしまった。
9時から作り始め、昼休みを挟んで15時くらいまでかかった。
内容はそれなりだったと思う。
が、内容に沿った説明をする、というのはなかなか難しい。
マンツーマンで仕事の話をすることはそれなりにできるようになったが、
プレゼンは難しい。。
でもちゃんと伝わったので良しとする。
彼女と話していて、自分の仕事の中継点がわかったのでよかった。
その後、ユースの代表と会いアンケートを回収、その場で質問をしておいた。
Red Crossのお陰か、かなりちゃんとした活動をしているようだった。
それでも突っ込みどころはあるのでそれを仕事のレポートに反映させる。
ずっとDadaabの敷地内にいてデスクワークをしていたので体力が余っていた。
運動しに行く。
月曜よりかは体力が戻っていたが、同僚の友人が一緒に居たため
あまり本気でできなかった。
妙にまねしたがる。笑 どっか行けとは言えないので一緒に運動してた。
3日
・education meetingが延期
・最終日のTB trainingに参加
・District Office(DO)で統計データを少し入手
・Red Crossの事務所を発見。月曜に会う約束をとりつける
education meetingに行く前に、DOに寄り、何時から開いてるのか確認してみる。
時間にルーズここでは珍しく8時から開いていた。
しかし、秘書がもの凄く怠慢で、
来たばかりだからという理由であんまり情報を提供してくれない。
学校の人と話がしたいから連絡先教えてくれと言ってもわからんと言う。
じゃあ直接訪問するから場所を教えろというとわからんという。おい。
実際知らないのだろうが、そんなんでいいのかよ。苦笑
もう一人の秘書が知り合いなのだが、今休暇でナイロビにいる。
来月に帰ってくると言われて意気消沈。
各NGOの参加者が原因不明で多数欠席。
education meetingが延期になる。わざわざIfoまで来たのに。。
といいつつADEOも、人員不足のせいで1時間遅刻したのだが。。
参加者一同怒っていた。
ここまで人がいないとなると主催者側に何か問題があったんじゃねーのと思ってしまう。
この後最後のTB trainingに参加。
1から10までとりあえず叩きこむ感じなので内容の進行が早い。
僕はついていけなかった。苦笑
コンパウンドに戻り、休む。
この日はすんごい暑くてオフィスで仕事をする気になれず。
それでもなんとか仕事にとりかかり、
DOに再度向かう。
ユースのいろんな人と知り合いになったおかげで
Red Crossの人と次の月曜に会えるようになった。
というのも、ユースの一部の人はPeer Educatorとして
Red CrossのHIV啓発活動を行っているからだ。
少し話は逸れるが、町中を良く歩いているせいでだいぶ顔が知れ渡っているはず。
その上、ユースや他の知り合いから声をかけられて話をしたりすると
ただの訪問者じゃないという風に見せられる。
残された時間は短いけど、こうやってコミュニティに浸透していけたらいいな、と思った。
4日
・ADEO engineerの仕事見学
この日は早起きして技師(建築家)の仕事見学。
この工事は、ADEOの仕事ではなく、彼個人で受け持っているものらしいので
僕は特別来てもいいことになっているけど秘密にしてくれ、と言われいてる。
ので、ここでは具体的な情報が特定できない範囲で書きます。
ここのサイトの訪問は3回目。
かなり工事が進んでいた。
8時に到着して13時に帰路についたのだが、
3時間くらいずーーーっとコンクリートを固める作業を見ていた。笑
建設地がキャンプの中にある上に、その中でもかなり中心から離れたところにあるので
迎えが来るまで帰れないのだ。
ごく一部、機械作業もあるが、
地面を掘ったり、ブロックを下ろしたり、コンクリートの素材を作ったりなど
全て人がやっている。
ここのサイトを訪問する度に、一緒に地面掘ったり
砂を運んだり、ブロックを下ろしたりと
何かを体験するようにしているのだが、
果てしなく大変で地道な作業。
特にこの日のコンクリート固めは超大変そうだった。
でも成果が目に見えるので、見ていてわくわくする。笑
ちなみに、この日だけでものすごく日焼けしました。笑
5日
今日。
朝ごはんをかきこんで、洗濯をしてから、テントの大掃除。
その後読書。
日曜って最高だな、と思った。笑
今日は珍しく雲一つない快晴で、日差しが超強いです。
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