2013年5月11日土曜日

ルワンダでの裁判傍聴


前回のアフリカ渡航について、今まで無味乾燥なgeneral informationしか書いてなかったんですが気の向く限りにおいて、僕個人が感じたことを少しずつ書いていこうかなと思います。手記とかには文字として書き残してあるんですが、箇条書きで文章としてはまとまってないので、エントリーを書くことをきっかけに改めて整理できればいいなと思った次第です。


私は今回の旅行で初めて裁判を傍聴した。というのは少し語弊がある。私は中学の頃に学校の授業の一環か何かで、裁判を傍聴したことがあるからだ。当時の私は、スポーツ大好きでろくに勉強もせずバスケに没頭していたバスケ一筋の中学生であり、将来法律を勉強しようなどとはこれっぽっちも思っていなかった。その結果、裁判自体にあまり興味を持つことができずうつらうつらしていたと記憶している。それでも、検察官や弁護人、裁判官という、15年の短い人生の中では全く出会ったことのない類の人たちのやりとりは当時の私にとって新鮮で、検察官がやたら怖かったとか、不慣れそうな弁護人が一生懸命弁護していたとか、その程度の記憶は残っている。

そんなわけで、裁判の内容をある程度理解できる程度の知識を持って傍聴するのは今回が初めてである。アフリカ渡航の前に日本で勉強していた時は、落ち着いたら裁判傍聴に行こうと思っていたものだが、いざ落ち着いてみると行く気にならないものだ。まさか日本国外で、しかもルワンダで初めて裁判を傍聴するとは夢にも思っていなかった。
開発/人道支援に興味があるので、何らかの形でプロジェクト見学をしたい考えていたのだが、法律分野での支援の現場を見学するのはなかなか難しい上に、私の無計画さゆえに事前準備期間があまりに短すぎたので、事前には何も計画を立てることができず、単なる旅行に終始することに実質諦めていた。しかし、旅先でたまたまお会いした方にお誘い頂いたお陰で、私がそれまで全く考えていなかった裁判傍聴というアイデアに辿り着くことができた。確かに、途上国において法がどのように機能しているのかを見ることが私の目的であったのだから、支援の現場に固執することなく、法のありのままの姿を見ることができる裁判所に行けば良かったのだ。が、旅先で、しかもアフリカで裁判を傍聴しに行くという発想は私に全く思い浮かばなかった。裁判傍聴は間違いなく今回の旅のハイライトの一つであるし、次回以降の旅でも大きな要素を占めることになるだろう。私を誘ってくれた知人に心から感謝している。

ルワンダの農村の風景。日本と似ている。

法制度というのは国の骨格であるから、外国人である私が干渉するのは望ましくないと思われるが、差し支えのないと思われる範囲で書いていきたいと思う。


私の裁判傍聴はルワンダから始まった。渡航から帰ってきて調べたところによると、ルワンダにはSupreme Court, High Court, Higher Court, Lower Instance Courtの4種類の裁判所があり、日本の最高裁、高裁、地裁、簡裁におおよそ対応している。私が傍聴した裁判は、高裁か地裁のもので、刑事裁判であった。
異国で初めて裁判を傍聴するという異様な経験をしていた私は、フランス語と思われる言語が飛び交う法廷で黒人でないのは私だけという状況にうろたえる傍ら、レペタ法廷メモ訴訟を思い出していた。この事件は、法廷でメモをとる自由が憲法上保障されているかが争点となった日本の事案で、最高裁は表現の自由を保障している憲法21条1項を根拠にメモをとる自由を認めたものである。このような定式化された知識を頭の中から掘り起こし、日本でメモをとる自由が認められているのだからルワンダでも大丈夫だろう、と明らかに筋が通っていないにも関わらず、自分の憲法知識に満足し、私はメモをとり始めた。実際、メモをとっていても誰からもお咎めがなかったので、今のところは問題になっていないということだろう。法廷でメモをとる自由など、普段机に向かって勉強しているだけでは絶対に肌身に感じることがないので、ある種貴重な経験であった。

先述したように私が傍聴したのは刑事裁判で、殺人事件の公判が行われていた。
日本の刑法199条では、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」と規定されており、重い刑罰が定められている。また、憲法では、このような重罪を公判で扱う際に、罪なき者を処罰することや、資力がなく弁護人を雇えず十分な防御を行うことができない者を重く処罰することを避けるため、刑事被告人に弁護人をつけることを要請している(憲法37条3項)。これを国選弁護人制度という。刑事訴訟法37条の2第1項において「死刑又は無期若しくは長期三年を超える懲役…に当たる事件について…、被疑者が貧困その他の事由により弁護人を選任できないときは、裁判官は、その請求により、…弁護人を付さなければならない。」と法定されている(げbみつにはこのため、日本の殺人事件では必ず弁護人がついている。
しかし、私が傍聴した裁判では弁護人がついていなかった。この点だけでも日本の法制度とは大きく異なっているが、さらに、一つの公判手続で複数人しかも数十人の被告人が処理されており、傍聴席の左半分をピンクの服を着た被告人が占めるという状態であった。これに対し裁判官はたった一人である。私は実務の知識を持ち合わせていないので正しいかどうかはわからないが、事実認定が極めて重要な位置づけを占めるであろう刑事手続において、裁判官が検察官から提出される(日本の場合は)起訴状(のみ)を読み、公判で証拠調べを行い事実関係を確定するという作業を複数同時進行で行えるとは私にはとても思えなかった。
また、裁判を傍聴した限りにおいて、ルワンダと日本で異なる点がもう一点あった。それは被告人による自白の位置づけである。
自白は、被告人本人が罪を認める供述であるから、証拠価値が極めて高い。よって捜査機関は自白を獲得するため様々な手段を講じ、極端な例であれば脅迫により獲得された自白など、その自白の内容が真実なのか疑いがある状況に陥入りやすい。そこで、日本では誤判をさけるため憲法38条2項において自白の要件が規定されており、刑事訴訟法319条1項において法定されている。さらに慎重を期すため、自白だけを証拠として有罪認定することができないと憲法38条3項に規定されており、刑事訴訟法319条2項、3項に具体化されている。日本ではこのように自白の真正さを担保するため(証拠能力を認めるため)に、二段階の手続を用意している。
これに対しルワンダでは、被告人から自白が得られるとすぐさま有罪認定ができる、と聞いた。ルワンダの細かい手続きはわからないので、詳細な検討をすることは叶わないが、日本の二段階の手続いずれにおいても差異が見られるように思われる。自白認定の要件が緩やかである可能性があり、自白のみを証拠に有罪認定できる可能性がある。後者については、アメリカにアラインメントという制度があり、自白のみを証拠に有罪認定できるとされている。これをルワンダが採っているのかと考えることもできる。


裁判傍聴から得られたものはこれに留まらない。私が日本に帰ってきてから読んだルワンダの法制度に関するレポートによると、裁判傍聴の権利は弁護人にしか認められていないらしい。条文を読んだわけではないので100%の正確性は担保できないが、"Only bar members have rights of audience in Rwandan courts"と書かれており、audienceは傍聴人の意味であるから、間違いはないように思われる。
私はIDを提示することもなく、何のセキュリティチェックもなく、法廷に入ることができた。遺族と思われる方々も傍聴していた。
この齟齬は、私の読み間違いなのか、レポートの調査不足によるものなのか、法制度と実態が乖離していることを示しているのか。私の読み間違いではなく、後者のいずれかであるとしたら、途上国に対し法制度に関わる支援を行うのは相当骨が折れるという事実を示していると思う。二つ目が原因であるとするなら、国際的な団体が調査を行っても実態を把握できていないことになり、三つ目が原因であるとするなら、制度の運用を改善していくことが必要ということになるからだ(制度を把握するのは当然として、運用の実態を把握しなければならない)。



このように私の初めての裁判傍聴は大変示唆に富んだものであった。まだまだ知識の浅い私でさえ、このようなことを感じるのだから専門家が傍聴すればもっとたくさんの論点が出てくるであろう。
今回はルワンダのみを題材としたが、ウガンダ、ケニアでも傍聴に行ったので、中身がある文章が書けそうであれば引き続きエントリーを書いてみたいと思う。

同じくルワンダの農村の風景。