2010年9月23日木曜日

あらためて、自分にできること

こんにちは。
残り5日です。
最近かなり悶々としてましたが、昨日今日で一気に回復した気がします。




今まで感じたこと、考えたことをいろいろ書いてきたが、
ここにきて初めてはっきりした手応えを掴んだ。
今まで出してきた結論より確かなものだ。

わかった。
自分がはっきりした答えを得られなかった理由がわかった。
自分に答えを与えてくれるものが自分の求めている先になかったからだ。
難民キャンプの現場に来てもわからないものはわからないのだ。
わからないことをはっきりさせて
それに対処することが仕事なのだ。
なぜこんなことがわからなかったのか不思議でならないが、
今まで気づかなかったのは事実だし、気づかないよりはいい。

もちろん、難民が生活する上で必要な環境を整えるという
至上命令があり、それを分割し対処していけばいいのだが、
それは一般的な話であってキャンプの現状に対処しているとは限らない。
しかもこのキャンプはものすごく大きくて
現状を把握することがとても大変。
把握して次のオペレーションに移る頃には
膨大なnew arrivalのために次の課題が生じている。

支援側の運営自体、うまくいっているとは言えなくて、
まず組織内での情報共有がうまくいっていない。
おまけに活動しているagencyが国連を含めいっぱいいるから
その間で情報共有が必要。
さらには分野相互にまたがる問題もあるから
分野を越えた情報共有も必要。
そのうち新しい分野として確立するのかもしれないが。

常に新しい問題が生じて、それに対処しなければいけない
というとてつもなく難しい状況に直面している。

これが自分のレベルにどう還元されるかを次に書く。

自分は研修生で一人でキャンプに行くことすら許されていない。
(何回か許可を得たうえでトライしたけど失敗した)
そんな人がいくらキャンプの現状を把握しようとしたところで
無理なのだ。こればっかりは無理なのだ。
プロの人でさえいっぱいいっぱいなのだから。
ということは現時点では自分に出来ることは何もない。
同僚を巻き添えにしていかない限り
残念ながらこの結論に恐らく間違いはない。

しかし、じゃあ研修で何の成果も残せないかというとそういうわけではなくて
自分の仕事は目の前にある地元のコミュニティで、一応一人で行ける。
じゃあ自分で繰り出して行って問題を把握してくればいいじゃないか、
と思い、22日(水)に町に出かけ、今日23日(木)はユースと一緒に町の中を回った。
残り研修期間も短いし、何か地元の人のためになることができたわけではないのだが、
もう2週間ほどあれば、今までの経験を生かして何か出来たという感触を得た。
お金が前提になるが、自分にも何かできることがあるという感触が得られて良かった。
そうでなければ失望のまま帰って行くところだった。


以下、具体的な話である。難民じゃないから書けるはず。

話を聞かなくても一目瞭然なのだが、町にはゴミが散乱しているし
トイレもあるようには見えない。
病院に大きなタンクはあるけれど、どこで水を定期的に得ているかもわからない。
2ヵ月間目の前にあり、HIVという焦点で活動し続けながら
こんなことを何一つ知らなかった。
灯台もと暗し。


今日、23日(木)午前中、1時間半程かけて
ユースのリーダーと副リーダーみたいな役職の二人に町を案内してもらった。
Dadaabに来て53日目にして初めての体験。
水を供給しているタンク、人々が水を得る場所、
ゴミ処理について、唯一の燃料である薪について、
家畜を殺す場所、トイレについて。
それはまあキャンプより悲惨なのではないかと思った。
これは書いて問題ないと思う。

南北に走るメインストリート沿いに東側に支援組織の人々が住む敷地、
西側に町(村)が広がる。
いわゆるマーケットという中心地はこの道沿いだけだ。
メインストリートから放射状に住居が点在している。
普段はメインストリートしか歩かないのだが、今日は西側のかなり奥まで歩いた。


路地と言うのかなんというのか。
Hagaderaキャンプと同様、狭い上にくねくねしている。
家と道とは周囲の林から集めてきた枝で分けられている。
路上には野生のヤギの糞やゴミやら散乱している。


住居
家はキャンプと同様、木の枝やレンガでできている。
ここでは圧倒的に木の枝が多い。
屋根はUNHCRが支給したシートやアイアンシート(1枚850ksh=1020円)
で覆われている。
家を建てるのは住民にとってかなりの負担だと言っていた。
ただ、キャンプに比べて圧倒的に家の敷地は広い。
その代り区画も何もあったものではない。


トイレ
共用トイレというものはなく、
各家庭にトイレがあるかないか。
トイレがない家庭は、住居がなくなるところまで行き
草むらでするらしい。これはかなり不潔だし
人々の衛生状態にかなり影響を与えている気がする。
3割~4割程度の家庭しかトイレがないらしい。
あるとしてもボットン便所。どう処理しているかまでは聞かなかった。



・District Officeというメインストリートの北の端にある行政地区にあるタンクからパイプが出ており、そこから村にある4つあるKioskという有料の水くみ所に供給している。
・可能であればほぼ毎日、貧しく余裕がない家庭は時に2日に一回、ジェリーカンという20lのを水を収容できる容器を4,5個かそれ以上かそれ以下持って、水を汲みに来る。
・5ksh(=6.25円/ksh)/20l。毎日80l使うとして20ksh。月600ksh。んー、家族構成によってもっと少ないかもしれないし、節約すればもっと少なくて済むかもしれない。
・運営はwater use councilなるものがしており、各Kioskに担当者が1,2名ついている。
・村人は普通、タンクを転がす。地面はヤギやロバの糞がいっぱい。至るところにゴミが散乱。
・Kioskは村に4箇所あり、全て同じタンクから水が供給されている。遠いKioskは水の勢いが弱いし、時に断水する。
・全てのKioskを回ったが、一つのKioskは村で一番ゴミが溜まっている場所の隣にあり、村人はそこでも相変わらずジェリーカンを転がす。水はきっと汚染されているに違いない。もう一つのKioskはタンクから一番離れていて行列をなして人々が待っている。水をめぐって昨日喧嘩があったらしい。


ゴミ
ゴミ収集所なるものは全くない。
なんとなくゴミがいっぱいあるところはあるが、そこら中に散乱していると考えてもらって差し支えない。写真の通りである。
トイレ、水の供給と並んで、この地域の汚染に大きく貢献しているように見えた。



この地域の唯一の燃料である薪。ちなみにADEOでは炭を使っている。
村人の中に、ロバを使ったドンキーカートで遠出し、
薪を採集してくる仕事をしている人がいる。
その人たちから薪を買って、調理等に使う感じ。
ドンキーカートいっぱいに積んだ薪を買って1200ksh。25日持つらしい。
これ以外燃料がないから仕方ないが、大気汚染につながっているはず。


とまあこんな感じである。
キャンプとは違うところもかなりあり、こちらの方が貧しいように見えるが
概して状況は変わらないと思う。
ただ一番違うところは、行政の主体がこちらの方がはっきりしているということだろう。
ケニアでは、水は無料というわけではなく、企業が供給していたりするのだが
それで上手くいっているわけではなく、Dadaabのような地域でそれが表れている。
薪の供給、トイレの建設、ゴミ処理、
どれをとっても本来は行政組織の仕事だと思う。

ケニアのテレビを見ていると、政府が何をしているかは
あまり報道されておらずきれいに包み隠されているように見える。
現に、ケニア国内のニュースを見ている限りでは
先日の憲法改正で、改正直前に議員の給料がバカ高い金額で
保証されることが規定された文章が盛り込まれたことが
全く報道されていない。
同僚のケニア人の間から、給料の低さに対する不満は聞いても
年1000万円近く給料をもらう、政府に対する不満を聞くことはない。




現状を見て自分でもできる、という感触を得ることはできた。
でも、beneficiaryのためになることは間違いがないが、ただの自己満に過ぎないとも言える。
支援が自己満に終わらないために何が自分に必要なのか。

これまでキャンプで53日過ごしてきて
だいぶ状況がクリアになってきた。
具体的な情報はクリアでないところが多いが、
ここで活動するために何を念頭に置きながら活動すればいいか、
というフレームワークがクリアになったと思う。
これはDadaab難民キャンプに限った話ではなく、
どの仕事をする上でも役に立つかもしれない。
携わったことはないからわからないけれども。

支援業界で物事を見るために必要なフレームワークがわかった気がする。
もちろんたった2ヵ月いただけで全てを理解できるわけではないが、
フレームワークの一片をつかんだ気がする。


もうMDGs review summitが終わっている。
日本の首脳が出席したのか、どういうレビューが行われたのか、
これからの戦略はなんなのか、気になる。
ではでは。

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