2013年10月14日月曜日

9/12 セネガル1日目 ついにダカール到着

ナイロビは先月(20138月半ば)に空港で火災があり建物の一部が燃えてしまったため、新たに張られたテントを使ってオペレーションしていた。お陰で前に来た時と少し勝手が違い、間に合わないかと思ったが、なんとかギリギリで間に合った。次の便の出発時刻40分前に到着し、トランジットやら何やら手続きを済ませ、ゲートに到着すると係員に名前を聞かれるくらいには遅れていた。
ナイロビの空港は、到着した飛行機から直接建物に移動することはできず、乗客全員がタラップで降りてバスに乗り、国際線乗り換えか、国内線乗り換えか、に応じて別々の場所で降りるという仕組みになっていた。見かけは思ったほど燃えておらず、円環状のゲートの多く?は無事だったようで待合室としては機能していた。ただ、まだオペレーションはうまくいってないようで、本当はFinal callの便でも、電光掲示板にはまだ出発ゲートすら出ておらず、係員に聞かないとわからないという状態であった。ジョモケニヤッタ国際空港(JKIA)は東アフリカのハブ空港でかなり重要な役割を担っているので、一刻も早い回復を願うばかり。

臨時で使われているテント


ナイロビーダカールの3便目は、コートジボワールの首都アビジャン経由で、ナイロビ時間午前95分発、ダカール時間午後340分着だ。時差は3時間なので、ストップオーバー1時間を含め、10時間くらいかかる予定である。アビジャンまでは約6時間、アビジャンからダカールまでは約3時間といったところか。人生で圧倒的最長時間のフライトである。しかも、時差9時間を克服するべくたっぷり寝るつもりだったが、実際に30時間のうち寝たのは6時間強でやや寝不足感は否めない。
地上には降りられないが、せっかく西アフリカに来ているので上空からでも景色を拝みたいと思っていたが、the熱帯でどこもかしこも厚い雲がどこまでも空を覆っており、地上を全く見ることができなかった。アビジャンでストップオーバーした際に、郊外の団地のようなエリアを見ることができたが、それも雨と雲ですぐに見えなくなってしまった。


これこそ熱帯というべきか、ケニアの首都ナイロビを出発して以来、結局ほとんど上空は雲に覆われており、下界を見ることはほとんどできなかった。そんな中でやっと目的地に近づき下降し始めた飛行機から見えたダカールの街は、新鮮であった。ナイロビやキガリ、カンパラとは全く違うという印象を痛烈に受けた。緩やかなカーブを描いてどこまでも続くアフリカ大陸の海岸線からにょきっと大きな砂嘴のように出っ張っている約15km四方におさまる半島が海の中に浮かんでおり、その全体にビルやマンションがびっしり、時にまばらに不規則に立ち並んでいる。南国にふさわしいクリーム色やオレンジ、黄色に塗られた建物の中に、ナイロビやキガリのような緑の自然は少なく上空からでも砂っぽい雰囲気が伝わってきた。半島の南先端にはたくさんのカラフルなコンテナが積み上げられた大きな貿易港がどっしりと構えている。西アフリカの中心地というに相応しい。これがダカール。
ちょっと平面過ぎるけど、上空から見たダカール

上空から見たダカールという街に満足しつつ、31時間もの長距離フライトを終えた自分が空港に降り立ったのは現地時間9/12()16時頃であった。飛行機から降りた瞬間に吹き付けてきた生暖かい風と強い日差しを感じながら空港の建物に入った自分は、サクサクと入国手続きと宿への移動を終え、次の日からの観光に備えて午後9時頃に寝た。とまとめたいところであったが、そこまでうまくいかなかった。
事前にオンラインで申請していたビザ(実はセネガルがビザ取得を入国要件とし始めたのは20137月からで、それまではビザ要らずで入国できた。)を、初めての一人でのフランス語環境に緊張しながら無事取得し、入国できたのは良かった。バゲージも2回のトランジットを経てロストすることなく回収できたのも良かった。しかし、蛍光の黄色のジャケットを着た若い兄ちゃんが自分のところに寄って来てバックパックを持ち始めてから、ぎくしゃくし始めた。兄ちゃんは空港職員なのかと思いきや、事実そうだったのかもしれないが、空港の外まで荷物を運ぶと「金をくれ」と言い出した。これを聞いた瞬間、『出た』と思った。頼んでもいないのに勝手にやって金をせびるパターンである。バックパッカーでも嫌う人が多い。先進国の人間だからと足元を見るのは本当にやめて欲しいものだ。全く意味不明だったので絶対あげないと突っぱねた。当然である。
次に別の兄ちゃんが英語を話しながらやって来て「タクシー乗らないか」と言ってきた。まだ着いたばかりだし、バスのルートも全然わからなかったので、タクシーで良かろうと思って同意したのが間違いであった。ナイロビの空港がそうであるように、空港からのタクシーには注意すべきだったのだ。その兄ちゃんは、タクシーに乗るよう言ってくるのだからタクシードライバーなのか、と思いきやそうではなく、英語で通訳して助けたからとか何とか言って金をせびってくるただのクソ野郎だった。その兄ちゃんは自分を勧誘しておきながらなぜか助手席に乗り込んできたので、どう考えてもこの時点で止めるべきだった。初心者かっ。しかし、価格交渉で5,000セーファーフラン(1,000)3,500フランまで下げて安心してしまっていたためそこまで考えが及ばなかった。結局、通訳代やなんやかんやで、空港から宿への移動に使用したタクシーには、10分程しか乗車しなかったにも関わらず、5,000フランもとられた。お陰で自分のセネガル人に対する心象は一気に悪くなった。やはり空港では気を許してはいけないということだ。しかし、あとで聞いたところによると空港からはどこまで行っても一律5,000フランらしい。しかも初めての街で夕方に到着したので暗くならないうちに確実に到着したいという思いもあった。だから仕方なかった、というのも言い訳にしかならないが
また、元フランス植民地で公用語がフランス語であるため、1ヶ月程度しかフランス語を勉強していない自分にとっては、宿や道端の店で話をするのが大変で、この点でも気疲れした。それでも、日常会話によく出てくるような単語や文法を少しだけ身につけていたため、全くの白地で行くよりは遥かに良かったと思う。
宿の近くのVDNという道路。主要な道路の一つでかなり大きい。


このように初心者のような苦労をしつつ、セネガルのyassa、ヤッサという玉ねぎの香辛料炒め物とチキンを夜飯にほうばりその日は寝た。初日だったのでまだ不慣れだったのかもしれない。ヤッサはコショウがきいていておいしかったし、チキンはこんがり焼けてて良い感じ。
上側にあるのがヤッサ。ライスたっぷりでお腹一杯に。

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