2013年10月29日火曜日

9/16 カーポヴェルデ3日目・セネガル4日目 都会の喧騒へ戻る

カポベルを去るのはかなり名残惜しい。本当にあっという間の23日だった。自然も文化も人々も全部素晴らしかった。是非もう一度来たい。冷静に考えてみると、西アフリカとかそれまで訪れたアフリカの国との落差が大きかったから、相対的によく見えただけかもしれないけど、それでもカーポヴェルデは好きだ。

ミンデロには15日の昼に着いて16日の昼に出るので、24時間も滞在しないことになる。せっかく滞在するんだったらどんな時間でも有効活用しなければと思い、朝7時にはご飯を食べ終え、街を歩いてみた。
アフリカの人々はとても朝が早く、ケニアでインターンをしていた時は4時半くらいにみんな起きていたんじゃないだろうか。ミンデロはさすがに朝7時では人通りが少なかったが、それでも昨日は何もなかった広場に野菜や果物を持った人々が朝市のために集まり始めていた。『早起きした甲斐があったな。』と自己満足に浸りつつ、段々増え行く人を見ながら街を歩いて回った。昨日は完全に閉まっていた魚市場も、最初は閉まっていたもののしばらくしてからまた来てみると、いつの間に来たのか地元の人が魚を並べていた。市場の奥に小さな桟橋みたいなものがあったので、今朝の収穫物だったのかもしれない。昨日市場が開いていれば、適当に地元の人お勧めの魚を買って、宿で調理してもらったかもしれない。あるのかは知らないが、せっかく遥々カーポヴェルデまで来たんだからおいしいご飯を食べたかった。

朝市の準備をする人たち。

開いた直後の魚の朝市。

毒々しい色の魚が見える...。

広場の朝市の方に戻ってみると、さっきより人が増えている。軽トラックの荷台に農作物や布地などの民芸品を乗っけた地元民が次々やってきてお店を広げている。どれもこれも昨日開いていれば良かったのに

少しずつ人も増えてきた。

せっかくなので何かお土産がないか、民芸品店を物色していたが、布地は女性用だし、男性用にTシャツがあったが、欧米のサッカーのユニフォームなどでどこでも買えるようなものばかりだし、特に面白そうなものはなかった。自分はミサンガとか、腕につけられ、かつ、邪魔にならないものが好きなので、何かよいものはないか探してみると、他の国ではローマ字入りのミサンガっぽいものを見つけた。『カーポヴェルデとどう関係があるのかわからないけど、これでいいか。』と思って購入決定。

カラフルな布地。

午前9時半ごろ、特にすることもなくなり、空港に向けて出発。本当に短い滞在で後ろ髪引かれる思いだったが、今回は今回で充実していたので良かったと思う。また来たい。
サオビンセントの空港にはフリーのwifiが飛んでおり、搭乗まで適当にネットサーフィンしたりしていた。しかし、出発予定の便は自分が搭乗予定のものしかないのに、それらしき飛行機が見当たらない。もともと遅延を織り込み済みで空港に来たのであんまり気にならなかったが、飛行機は出発予定時刻に間に合うのかという時間に到着し、案の定、出発予定から40分ほど遅れてプライアに向けて発った。プライア到着後すぐにダカールに向かう予定で、トランジットが1時間しかなかったので間に合うかどうか少し心配だった。

プライアに一日ぶりに戻ってきた。ダカール行きのフライトはやはり一時間ほど遅れていた。日本で遅延なんてほとんど聞いたことがないが、もう慣れたものだ。
余った1,000エスクードを両替して少しでも残りの旅の足しにしようと思っていたが、「そんな少額の両替は受け付けてない、お土産か何か買えばいいじゃない。」と言われ突っぱねられた。そんなこと言われても、たいしたお土産売ってないし一応もうお土産買ったし。仕方ないので、とてももったいなかったが、豪勢に高い空港の飯を食べた。しばらくまともなご飯を食べてなかった気がするので、ちょうど良い機会になったと思うことにした。
国際便のチェックインはあっという間に終わり、出国審査もさっさと済ませてまたネットサーフィンして待っていた。回りを見てみると、予定出発時刻が乗客がほとんどおらず、本当にルーズだなと思った。時間感覚はアフリカンらしい。しかもよく見てみると、二日前にダカールからプライアに来た際に同じ便に乗っていた中国人も同じだ。確実にバックパッカーではない風貌だったので目的地を決めて来たものと見られるが、『せっかく来たならもっと滞在すればいいのに』と思った。

ダカールには午後5時前に到着した。煩わしい空港職員やらタクシー勧誘を完全に無視し、市内に向かうバスを探した。全く事前に情報を仕入れていなかったので不安だったが、その辺の人に聞いてみると、8番のバスが直通で向かうとのこと。しかもあと15分くらいで来るらしい。『なんだ意外と簡単に見つかった。』と安心したが、考えてみたら、ダカールは都会なんだから空港と中心地を結ぶ公共交通機関があってなんの不思議もない。でもとにかくお金をせびられることもなくすぐ見つかって良かった。

バスを待つ間一緒にいた人たち。陽気で楽しい。

バスを待つ間、地元民にお茶を作ってもらった。セネガルにはチャーイがないが、その代わりミルクを使わないだけで、似たようなお茶が飲まれている。ただ、チャーイと決定的に違うのは、複数のコップを使って何回もお茶を注ぎなおすことである。これはお茶に限ったものではなく、街角の屋台コーヒーでもやっていることなので、特にお茶だからやるというものではないらしいが、彼らは非常に注ぐのがうまく、一滴もこぼさないで何回もコップからコップへと注ぐ。感心しながら10分ほど待っているとやっと完成。お茶を沸かしていたポットがあまりきれいに見えなかったのでどんな味がするのか、と思っていたが、甘くおいしかった。”Ce bon!”  しかし1,000フランとバカ高い。
「1,000フラン!!!?さすがにウソでしょ!」
「いやいや1,000フランだよ。」
親切にバスの番号とバスの事務所を教えてくれた人で、ぼってるような雰囲気は全くなかったので本当にその価格なんだろう。周りに自分と同じように8番バスを待ってる人や、何もせずに屯している人がそれなりにいたが、みんなその価格でぼってないと言う。自分も相手を信用しなくてやたらと傷付けたくはなかったし、カーポヴェルデに引き続き人に親切にしてもらって嬉しかったので、1,000フラン払うことにした。すると、バスの事務所のスタッフが「俺がもう一杯奢るよ!」と言ってきた。たぶん自分がすぐにお茶を飲み干したから、お茶が好きだと思ったんだろう。甘いものが嫌いでない自分としてはまんざらでもなかったので、快くもう一杯奢ってもらうことにした。しかし、運悪くバスが来てしまったので、気持ちだけありがたく頂いてバスに乗り込んだ。みんないい人たちでとても気分が良かった。

お茶を沸かしていたポット。お茶の葉が一杯。

コップからコップへ注ぐ。上手。

何もせずだべってるおっちゃんたち。何かゲームをしているようだった。

ナッツは中じゃなくて皮を食べる。しなしなしてて少しだけ甘い気がした。

8番バスは、だいたい主要なルートを通って市内に向かっていた。ただ、市民の交通手段なので所々脇道にそれたり、途中から主要道路をはずれて細めの道を走ったので、その分、時間がかかった気がする。
車窓から街を見ていると、なんとバスケのストリートコートを発見!しかも少年たちがライブでプレーしているではないか!!これまでアフリカのどの国でもバスケコートは見かけたが、誰もプレーしていなかったので感動してしまった。さすがセネガル。バックパックを持っていなかったら間違いなく交じりに行っていた。悔しい。
18時ごろに出発したバスは、うねうねと路地裏を走ったり大きめの通りに出たりを繰り返しながら、中心地に近付いていた。しかし、その頃にはもう真っ暗になっており、どこで降りればいいのか全く分からなかったおかげで、終点まで来てしまった。どうやら半島の最南端近くまで来たらしい。宿まではおそらく1kmくらいで歩けなくもないが、真っ暗な中、そこまで精通していないダカールを歩くという危険を冒す気にはなれず、その辺にいたバススタッフらしき人にどうすればいいか聞いてみた。すると、7番か9番バスに乗れという。どうやら宿の前を通るバスはあるらしく安心。バスターミナルにはバスを待つお客さんがたくさんおり、治安面でもあまり問題はなさそう。それでもバックパックを背負い不安だったが、始発の7番バスに乗りなんとか宿まで来ることができた。また戻ってきた。


カーポヴェルデに行く前は客が少なかったのに、今晩は2部屋を除いて満室らしい。最初案内された部屋が、二人用で明らかに前より広めの部屋だったのでおかしいと思い、「(前に泊まっていた銀グルの)隣の部屋がいいんだけど」とジェスチャーしてみると、「空いてないよ」と言われた。しかも案内された部屋の価格は15,000フラン(3,000円)。高い。どうしようと思いつつ、同じ階にあるベランダに行ってみると、先日会ったアメリカ人二人組がいた。自分と違いカーポヴェルデではなく、北部のサンルイに23日で自前のバイクで行ってきていたのだ。再会を喜びつつ事情を聞いてみると、どうやら部屋が見つからなくて困っているらしい。
「それなら今自分が泊まろうとしている部屋を譲るよ!自分は部屋のグレードの低い別の部屋に泊まればいいから。確か二人は前もあのダブルっぽい部屋に泊まってたよね?」
「え、ダブル空いてるの?さっき聞いたら空いてないって言われたんだけど。そうなんだ!でも、グレード下げるって言っても、もう一つの部屋は相当汚いよ?僕らは一泊だけで明日出発するから、そちらで我慢して二人で寝るよ。」
「うん、もう一つの部屋は前に一回見たから知ってるよ。確かにあんまり泊まりたくないけど、それこそ僕も一泊だけして翌日部屋を変えればいいから大丈夫だよ。二人であの部屋は一泊でもきついでしょ!」
「本当に!?いやー、それは悪いよ!」
「いいって、気にしないで!」
こんな感じのやりとりで、部屋が決まってお互い落ち着いた。自分の方は、カーポヴェルデの宿とは比較にならないくらい汚い部屋に行ったが、『まあバジェットパッカーだし、本来の宿でしょ』と思い、とりあえず荷物を置いた。
アメリカ人二人は時折降る通り雨の中をサンルイからダカールまで戻ってきたらしく、二人のうち一人はかなり疲れているようだったが、自分も自分で、朝から微妙に生温い気温の空港で長時間待ったりしていたので早くシャワーを浴びたかった。

お互いシャワーも浴びて落ち着いたので、近くのレストランで一緒にご飯を食べることにした。前にダカールにいた時は隣のアリババに行っていたが、どうやらもう一つ近くにwifi付きでしかも安いレストランがあるらしく、そちらの連れて行ってもらった。おまけに着いてみたら冷房が利いていて涼しい。これは断然こちらのほうがいい。
夜ごはんはまたヤッサを食べた。本当はチェブジェン(焼き魚とご飯)を食べたかったのだが、そこにはなかった。ヤッサは普通においしいしチキンも付いてくるから全然いいんだけども。ただビール飲む気満々で行ったのに置いてなかったのはけっこう残念だった。
前にも書いたが、二人のうち一人はピースコードで、ギニアの農村で2年間教師をしていたつわもので、少しその時の話を聞いた。今回の旅でちょうど行くのを諦めた国だったので尚更気になっていたのだ。と言っても疲れきっているところ、あんまり根掘り葉掘りは聞けなかったし、メモもしなかったのであんまり覚えていないというのが正直なところである。とりあえずギニアの首都、コナクリは巷で言われるような、コピー機が一台しかない、という都市ではなくもう少し発展していること、彼はコナクリではなく農村の方で毎月たった200ドルの仕送りで生活していたこと、しかも生活費受け取りのためにわざわざコナクリまで出て行かなければならないこと、が印象的だった(生活費については、自分がインターンをしていた時は宿泊費光熱費水道代全部合わせて一月4,500円だったから、毎月200ドルもあれば十分な気もするが。)。ちなみに、彼は最初は中央アジアを希望していたのだが、なぜかギニアになったらしい。全く希望が反映されていなくて気の毒なくらいだが、それでも環境に適合して2年間も生活した彼は本当にすごい。


のんびりご飯を食べ、宿に戻り二人と別れた。ここで寝られるのか。寝られない環境ではないけど、間違いなくわざわざお金払って寝る環境ではない。しかし扇風機をつけると意外に快適で、蚊帳のついてないガラ空きの窓から入って来る蚊もおらず、ぐっすり寝ることができた。翌日はいろいろロジ関連でやらなければならないことが多く、To Doを整理してから寝た。

泊まった部屋。とりあえず見た目が汚い。

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