2013年11月3日日曜日

カーポヴェルデ ~日本ではほとんど知られていないアフリカの優等生~

どうも。日本はだいぶ涼しくなってきましたね。
今回は、先日訪れた国がどんな国なのかを知ろう、そんな趣旨の投稿です。行ったからには、気になるので。データと実感とを照らし合わせる、そんな作業ができたらいいなと思います。
かなり長くなってしまったので一回で読み切るには負担が重いかと思いますが、時間のある時にちらちら読んで頂ければ嬉しいです。



◆基本データ

1. 自然環境
[気候] 乾燥気候(年間降水量69.5mm、最低気温2月21.1℃、最高気温9月26.6℃)
[資源] 特になし

2. 社会
[人口] 494,401人
[首都] Praia、プライア
[政体] 共和制、半大統領制(任期5年)
[歴史] 旧ポルトガル植民地。奴隷貿易の中継地として利用されたが、19世紀以降は減少。
[宗教] カトリック
[言語] ポルトガル語、クレオール
[平均寿命] 71.28歳、146位
[妊産婦死亡率] 79人/100,000人、84位
[乳幼児死亡率] 25.13人/1,000人、77位
[識字率] 84.9%

3. 経済

[通貨] CVE、カーポヴェルデエスクード(1CVE=1.22円[2013年10月18日時点])
[産業] 観光業
[輸出品目] 農作物79.3%、鉱物資源0.9% 69,000,000USD
[輸出相手国] EU94.2%(スペイン66.6%、ポルトガル13.9%)、アメリカ5%
[輸入品目] 工業製品53%、農作物26.8%、鉱物資源20.1%、947,000,000USD
[輸入相手国] ポルトガル38%、オランダ21.4%、中国7.9%、スペイン7%(2012年時点)
[一人当たりGNI] 4,340USD

*参照資料

World Bank Cape Verde Overview http://www.worldbank.org/en/country/capeverde/overview
WTO Cape Verde Trade Profile http://stat.wto.org/CountryProfile/WSDBCountryPFView.aspx?Language=E&Country=CV
CIA World Factbook https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/cv.html
CapeVerde.com http://www.capeverde.com/




◆国家像の把握

0. 概観
前に書いたように、アフリカの一部とは信じられないくらいにカーポヴェルデは発展しているという第一印象を受けた。今まで見てきたアフリカ諸国とは違い、都市が整備されていて人々の身なりも良い。貧しいということをあまり感じさせなかった。
ウェブ上で入手できる範囲で資料を読んでいると、どうやらカーポヴェルデが発展しているのは事実だとわかった。その指標が、後発開発途上国(LDC, Least Developed Countries)からの脱却である。また、主幹産業は観光業でありヨーロッパからの観光客も多いらしい。自分がMindeloでフランス人カップルに遭遇したのもその表れということなんだろう。さらに、政治も選挙が公正に行われるなど安定しており、政治的にも経済的にも安定しているということで、アフリカの中ではやはり優等生らしい。
そこで、今出てきたトピックを中心に、カーポヴェルデとはどんな国なのか具体的に見てみる。



1. 貧困からの脱却

◎後発開発途上国からの脱却
カーポヴェルデはモルディブとともに後発開発途上国からの脱却が国連により認定された。後発開発途上国からの脱却基準は以下の通り。(UN Office of High Representative for the Least Developed Countries, Landlocked Developing Countries and Small Island Developing States http://www.un.org/special-rep/ohrlls/ldc/ldc%20criteria.htm より)

  • a low-income criterion, based on a three-year average estimate of the gross national income (GNI) per capita (under $750 for inclusion, above $900 for graduation);
  • a human resource weakness criterion, involving a composite Human Assets Index (HAI) based on indicators of: (a) nutrition; (b) health; (c) education; and (d) adult literacy; and
  • an economic vulnerability criterion, involving a composite Economic Vulnerability Index (EVI) based on indicators of: (a) the instability of agricultural production; (b) the instability of exports of goods and services; (c) the economic importance of non-traditional activities (share of manufacturing and modern services in GDP); (d) merchandise export concentration; and (e) the handicap of economic smallness (as measured through the population in logarithm); and the percentage of population displaced by natural disasters.

一つ目の一人当たりGNIについては、基本情報3.掲載の通り基準を満たしていそう。二つ目と三つ目の現状はどうかということで、MDGs (Millennium Development Goals、国連ミレニアム開発目標)の達成状況を調べてみた。




◎MDGs達成状況
入手可能なデータが限られており、8つ全ての目標を検討できたわけではないが、とりあえず見てみる。UN "Assessing Progress in Africa toward the Millennium Development Goals"(2013) http://www.undp.org/content/undp/en/home/librarypage/mdg/mdg-reports/africa-collection/ より

[Goal 1] Eradicate Extreme Poverty and Hunger

Target別のデータはあまり見つけられなかった。わかったのは、Target1.A(Halve, between 1990 and 2015, the proportion of people whose income is less than $1.25 a day)の達成率につき、都市と農村で3倍の格差があるということ。確かにPraiaを思い出してみると、中心地のプラトーを外れるとやや街並みが貧しくなったし、中心地の中でもホームレスのような貧しい人を見かけた。無料wifiが飛んでいる公園でネットを使っていた時に、物乞いに2回会った。成長には格差が伴うということなのか。
格差という点に関連して、男女間に貧困からの影響の受けやすさの格差があるらしい。具体的には、家事に従事する女性の労働価値が過小評価されがちであったり、そもそもの労働環境が悪かったり、待遇が悪かったり、ということだそうだ。んー、自分の例は思いつかない。ただ、後で出てくるように、カーポヴェルデはジェンダー間の平等は比較的達成されているようなので、そこまで深刻な問題ではないと推測する。

[Goal 2] Achieve Universal Primary Education

これについてはわりとデータがあった。まず、初等教育入学率
1999年:70%弱 → 2010年:93.5%
とかなり改善しており、達成まであと少しだ。本当は入学後に留年せずにちゃんと卒業するかが大事だったりするのだが、そこまでのデータはなかった。
次のデータが識字率である。
2010年:98.3%、男女間格差:1%程度
識字率の良し悪しは教育へのアクセス有無によって変わってくると考えられるので、原則として初等教育入学率に相関すると思われる。カーポヴェルデのデータもこれに則っている(例外的に、ルワンダやアンゴラなど内戦経験国では、入学率より識字率が低い傾向にある。初等教育低学年の生徒がまだ読み書きできないこと、内戦非経験国に比べて教育の質が低いこと、が要因か。)。

[Goal 3] Promote Gender Equality and Empower Women
得られたデータは初等教育入学率の男女間格差。
1990年から2010年へ低下。具体的数値は不明。

[Goal 4] Reduce Child Mortality Rate
Indicator4.1(Under 5 child mortality rate)1990年から2010年にかけて60%の改善が見られた。要因は複合的で、医療体制の強化、医療への投資増加、関連分野での支援展開、医療技術の進歩などが考えられる。Indicator4.2(Infant mortality rate)1990年から2010年にかけて60%の改善が見られた。

[Goal 5] Improve Maternal Health
Traget5.A(Reduce by 3 quarters between 1990 and 2015 the maternal mortality rate)は、100人/100,000人当たり。目標達成可能か不明だが、かなり前進している。

[Goal 6] Combat HIV/AIDS, Malaria and Other Diseases
Indicator6.6(Incidence and death rate related with malaria)で、75%改善し、大きく前進。現地の宿では窓に蚊帳がついてたし、ほとんど蚊はいなかった気がする。聞いた話ではカーポヴェルデではマラリアのリスクはないらしいし。マラリアは蚊により感染源から原虫が運搬されることにより発症するもので蚊自体にウイルスがあるわけではないため、感染者が少なければ比例して新規感染も減少する。

[Goal 8] Develop a Global Partnership for Development
このゴールに関連して、カーポヴェルデは貿易業発展のため支援を受けているらしい。それ以上の情報はない。Mindeloの港湾は漁船やら小さいボートやらばかりだったが、Praiaには大きな貨物船が停泊しており、カラフルなコンテナが積載されていた。中継貿易か。

*参照資料
World Bank "Cape Verde Fifth, Sixth, Seventh poverty reduction support credit project"(2013) http://documents.worldbank.org/curated/en/2013/06/18018967/cape-verde-fifth-sixth-seventh-poverty-reduction-support-credit-prsc-project



2. 
主幹産業は観光業
カーポヴェルデは、ロンリープラネットにて、カーニバルやビーチ、火山など文化や自然を楽しめる観光地と紹介されている。自分の場合は季節外れな訪問だったが、夕方のバーで開かれたドラムのコンサートを聞くことができた。また、プライアの宿に置いてあった世界のカーニバルを紹介する雑誌にはカーポヴェルデが大々的に取り上げられていた。ここ1年以内に発刊されたもので新しい。次は、観光業に焦点を当ててみる。

◎1990年代からの急成長

まず現在のデータについて、資料から転載する。
[観光収入] 352,000,000USD(2011年)
[観光収入の対GDP比] 15%(2011年)
[観光収入の成長率] 約25%(2008年)
[観光業労働人口] 27,800人(2011年)
[観光業労働人口の対全労働人口比] 13%(2008年)
[観光客数] 67,042人(1999年)から285,141人(2008年)
観光客数の爆発的増加からわかるように、2000年以前に観光業は盛んではなかった。しかし、援助資金や海外在住者からの送金への依存から脱却するため、政府主導で自然環境を活用した観光業に取り組むようになった。具体的な取り組みについて、いくつか触れる。

・ 空路交通網の整備

カーポヴェルデは島国であるため、空路が主な交通手段の一つとなっている。政府による観光業への注力と投資の結果、90年代にはSalにしかなかった国際空港も現在ではPraia、Boa Vista、Mindelo、Salの4つに増加した。また、セキュリティ強化の結果、Salの国際空港(Amílcar Cabral International Airport)のアメリカ政府による格付けが上げられ、アメリカからの直行便が飛ぶようになった。デルタ航空は週に2回、アトランタから東アフリカ・南アフリカに向かう便のストップオーバーとしてSalを使用している。ヨーロッパでは、リスボン、ローマ、ミラノ、マドリッド、パリ、アムステルダムへの直行便がある。また、カーポヴェルデにはTACV(Transportes Aereos Capo Verde)という国営の航空会社があり、国内線と国際線を運航している(http://flytacv.com/homepage/?lang=en)。

・ 開発区域の設定

「開発」というと語弊があるが、自然環境豊かなエリアを指定して観光地化したということである。政府がSal島とBoa Vista島の広大な土地を買い上げ、観光客誘致のための"Integrated Tourism Development Areas (ZDTIs)"と、多様な生態系保護と観光客誘致のための"Zones for Conversation and Protection for Tourism (ZRPTs)"を設定した。

最後に蛇足で、近年、富裕層の別荘地としてカーポヴェルデの人気があるらしい。



◎カーニバル

せっかくなので、どんなカーニバルをやっているのか調べてみた。すると、自分がMindeloにいた9/15にSalでフェスティバルをやっていたらしく、自分の調査不足が若干悔やまれる。しかしTACVの運行状況を調べてみるとスケジュールに合う便がなかったのでまあよしとしよう。
[Sao Vincente]
(1) Sao Vincente Creole Carnival:2月中旬
イースターの40日前の開催されるお祭りで、旧植民地のポルトガルとブラジルのカーニバルに雰囲気が似ているらしい。
(2) Sao Vincente Baia das Gatas Festival:8月の満月の日
たいてい、8月の週末に開催されるらしい。

[Boa Vista] Santa Isabel: 7月4日(祝)

Boa Vistaでは8月にSanta Cruzでいくつかフェスティバルが開催されるほか、Santa Isabelのお祭りが7月の祝日に開催されるらしい。

[Sal]

(1) Nossa Sra. De Piedade:8月15日
水泳大会とコンサートが開催されるらしい。
(2) Santa Maria Festival:9月15日
Santa Mariaにて1年に1回開催されるコンサートがこれ。

[Santiago]

(1) Gamboa Festival:5月17/18/19日
San Fransiscoの海岸で開催される、カーポヴェルデ最大のコンサート。海外からもミュージシャンが来るそうだ。
(2) Tabanka:6/7月
奴隷解放を祝うために開催されるお祭り。


*参照資料

 World Bank "Tourism in Africa: Harnessing for Growth and Improved Livelihood"(2013) http://www.worldbank.org/en/region/afr/publication/africa-tourism-report-2013
The Cape Verde Experience http://www.capeverde.co.uk/Docs/Cape-Verde-Guide/General-Information/Festivals.aspx



3. 政治的安定性

アフリカでは腐敗により援助資金が一般市民まで届いていないと言われる中、カーポヴェルデは民主化が進んでおり、政治的に安定しているらしい。まずは歴史をおさらい。

◎歴史

1975年にポルトガルから独立したのち、マルキスト共産党一党政権が15年存続した。しかし、民主主義政党の登場により共産党一党政権は終焉を迎え、1991年に行われた議会選挙・大統領選挙ともに民主主義政党が勝利した。これにより旧ポルトガル植民地で初めて共産党政権が崩壊し多党制民主主義政権が誕生した国となった。その後、2001年、2006年、2011年に選挙が行われたが、2011年の選挙の結果、大統領と首相が別個の政党から選出されることとなるなど民主制が定着していると見られる。現在も複数政党による政権運営が円滑に行われている。

*参照資料

Reuters "Cape Verde opposition concedes election defeat"(2011) http://www.reuters.com/article/2011/02/07/capeverde-election-idAFLDE7160UT20110207


◎現在の政治体制に対する評価
では次に、どれほどの政治的安定性があるのか、ということが気になる。本来であれば、選挙制度、共和制の具体的内容などを調べて考察するべきなのだが、能力と時間の制約上、そこまではできなかった。そこで、国際的に一定の評価を得ていると思われる2つの資料を参考に、政治的安定性の度合いを調べてみた。

(1)State Fragility Index And Matrix 2012

これは、8つの指標を設け、正当かつ実効的な支配を行っているかどうかを人口50万人以上の独立国について数値化して評価したものであり、8つの指標の合計数値がFragility Index(支配の脆弱性?)として最低25点から最高0点で表記される。例えば、

[20~25点] ソマリア、コンゴ民主共和国、、アフガニスタン、ミャンマーなど

[16点~19点] シエラレオネ、ブルンジ、ギニア、ハイチ、リベリアなど
[12点~15点] アルジェリア、ネパール、パキスタン、ザンビア、ガーナなど
[8点~11点] ブータン、ボリビア、ガボン、レソト、ニカラグア、フィリピンなど
[4点~7点] キューバ、フィジー、コソボ、リビア、ロシア、タイ、アルメニアなど
[0点~3点] ボツワナ、キプロス、モンテネグロ、UAE、アメリカ、日本など

といった分布になっている。次に8つの指標の中身を見てみると、国家の安全保障や、政治的安定性などを、自国で発生した紛争の数や休戦期間を基礎にして、政治体制、経済安定性などを、数値を基礎にして計算されている。

カーポヴェルデのスコアは6点で、国家としてかなり安定しているようだ。しかも、スコアを上げた原因は、一人当たりGDPとHDI(Human Development Index, UNDPが各国の開発の進展度合いを示すために開発した指標。参考:http://www.undp.or.jp/HDI-HDR%20release%20_J.pdf)がやや低かったことにあるため、政治的側面にマイナス要素があったわけではない。

*参照資料

http://www.systemicpeace.org/inscr/SFImatrix2012c.pdf (Polity IV Project http://www.systemicpeace.org/polity/polity4.htm より)

(2)2013 Ibrahim Index of African Government Summary Report

これは、アフリカ大陸諸国の統治を、"Safety and Rule Law"、"Participation & Human Rights"、"Sustainable Economic Opportunity"、"Human Development"の4つの指標から総合評価したものである。合計94のデータに基づいており、評価構造が細かく設計されている(評価構造については右を参照http://www.moibrahimfoundation.org/downloads/2013/2013-IIAG-structure.pdf)。
政治体制に関係するものは前者2つであるため、両指標に着目してみる。
[Safety and Rule Law]
カーポヴェルデは80.1で3位/53ヶ国である。下位指標の数値は下記の通り。
Rule of Law: 81.5(5位)
Accountability: 79.4(2位)
Personal Safety: 59.5(6位)
National Security: 100.0(1位)

[Participation & Human Rights]
カーポヴェルデは81.7で1位。下位指標の数値は下記の通り。
Participation: 96.2(1位)
Rights: 83.2(1位)
Gender: 65.6(14位)

*参照資料
ウェブ上で検索をかけている限りでは、国内の人権状況についてあまり詳細な分析はなされていないようだ。国際条約への批准有無についてはOHCHR(Office of High Commissioner for Human Rights)のサイトにまとめられていたので、そちらをまとめる。

◎国際条約への批准状況
[人種差別撤廃条約] O: 1979年批准
[国際人権規約] O:  1993年批准
[自由権規約] O:  1993年批准
[女子差別撤廃条約] O:  1980年批准
[拷問等禁止条約] O:  1992年批准
[児童の権利条約] O:  1992年批准
[ジェノサイド条約] X
[国際刑事裁判所ローマ規程] X
[難民条約、議定書] X


◎国内の人権状況
アメリカ政府による人権状況報告書2012年版にまとめられていたので、それを粗く訳してみた。
(1) 拷問または残忍で非人道的な処置、処罰
憲法、法律上では禁止されているが、警察による被逮捕者・被勾留者に対する暴力がケースが報告されている。拘留所への人権委員会の訪問は許可されており、水不足や衛生環境の悪化といったケースは報告されていない。
裁判官は、非暴力行為の事案で2年以下の懲役刑については中止を命ずることができる。懲役刑が中止された場合、囚人は社会復帰プログラムに組み込まれ、「社会にとって有益な労務」を行う。しかし、矯正担当官が不足している現状だ。
囚人や被勾留者には訪問者との接見や信教の自由が認められている。

(2) 恣意的な逮捕、勾留
警察には、国家警察と司法警察の2種類があり、それぞれ法の執行と捜査を担当している。しかし、車輛など交通手段や通信手段などが不十分であることが原因で、警察が本来期待されている機能を果たせていない。政府は、警察の実効性を高めるため、2011年と2012年に警察官を対象にワークショップを開催した。ワークショップは、性差別に起因する暴行についての講義や、その被害者に対するアフターケアを主な内容としており、2012年には最初の犯罪実行後の被害者保護に重点が置かれた。
警察は逮捕から48時間以内に勾留請求しなければならず、日本の72時間に比べて短い。しかし、保釈が制度として認められており、被勾留者は家族や選任した弁護士との接見が可能で、金銭的理由により弁護士を選任できない場合は、国選弁護人が選任される。

(3)憲法上の人権
日本の憲法上の権利の分類に従って、調べてみた。凡例は下記の通り。
O:おそらく無制限、△:制限あり、X:認めず
[信教の自由]  O
・  信仰の自由  O
・  強い政教分離も規定。個人の宗教の自由が侵害された場合、懲役3月以上3年以下の刑罰。
[表現の自由]  O
・  報道の自由  O
・  知る権利  O
[集会結社の自由]  O
[移動の自由]  O
[学問の自由]  O
[労働三権]  △
社会にとって必要不可欠な業種については、国家がストライキを強制的に中止する権利を有している。例えば、通信、医療、消防、司法などである。
[女性の権利]
強姦罪は最低懲役8年から最高懲役16年の刑事罰を課される。家庭内暴力は最低懲役2年から最高懲役13年まで。2011年3月には家庭内暴力への特別措置法が制定され、強姦罪などの刑事罰が重くなるなど女性に対する保護が手厚くなった他、女性の保護施設設立を求めるなど意識喚起の役割も担っている。しかし、予算不足で十分な数の施設が設立されるには至っていない。
セクハラへの対処も行われており、最高で1年の懲役と給与2年分相当の罰金が課される。
*参照資料
Human Rights Council "COMPILATION PREPARED BY THE OFFICE OF THE HIGH COMMISSIONER 
FOR HUMAN RIGHTS" http://lib.ohchr.org/HRBodies/UPR/Documents/Session3/CV/A_HRC_WG6_3_CPV_2_E.pdf
OHCHR "OHCHR Report 2012" http://www2.ohchr.org/english/ohchrreport2012/web_en/allegati/15_Africa.pdf
US Department of State "Cape Verde 2012 Human Rights Report" 
http://www.state.gov/documents/organization/204310.pdf Cape verde International Religious Freedom Report http://www.state.gov/documents/organization/208340.pdf


◆課題

1.食糧不足
カーポヴェルデの抱える深刻な問題の一つが、食糧自給率である。カーポヴェルデは乾燥気候にあるため、耕作可能な土地が国土の10%程しかなく、食糧を海外から輸入している。しかし、現在のところ食糧供給は安定しているようだ。詳細を後日加筆予定。
*参照資料

FAO STAT 国産農作物 http://faostat.fao.org/DesktopDefault.aspx?PageID=339&lang=en&country=35
FAO STAT 輸入農作物 http://faostat.fao.org/desktopdefault.aspx?pageid=342&lang=en&country=35
http://www.irinnews.org/report/83198/cape-verde-growing-food-without-soil
http://www.fao.org/giews/countrybrief/country.jsp?code=CPV



2.観光業発展の反動
・ 余りに急速な観光業の発展
既に触れたように2000年代に入ってから急速に観光業が成長したために、その社会や環境への影響を監視するシステムが追い付いておらず、生態系への悪影響につながっている。また、観光業成長の恩恵が国全体に行きわたっておらず、格差を生み出している。

・ 国内産業の成長遅れ

外資の入りやすい投資環境が形成されたのは良いが、水/衛生環境や食事、ゴミ収集、環境保護など、観光業を支えるインフラ整備が遅れている。その結果として、観光業の成長が貧困軽減に直結しないことが懸念されている。

・ より良い娯楽を提供するためのサービスの質の向上

観光業の成長により雇用機会が創出されているのはよいが、高い失業率のもとでは新規労働者の質が低く、改善が望まれる。

・ 観光客の局地的集中

カーポヴェルデを訪れる観光客の75%は、人口の10%程度しか居住していないSalかBoa Vistaに行くらしい。残りの90%の国民にその恩恵を拡散する役割が政府に期待される。

2013年10月29日火曜日

9/16 カーポヴェルデ3日目・セネガル4日目 都会の喧騒へ戻る

カポベルを去るのはかなり名残惜しい。本当にあっという間の23日だった。自然も文化も人々も全部素晴らしかった。是非もう一度来たい。冷静に考えてみると、西アフリカとかそれまで訪れたアフリカの国との落差が大きかったから、相対的によく見えただけかもしれないけど、それでもカーポヴェルデは好きだ。

ミンデロには15日の昼に着いて16日の昼に出るので、24時間も滞在しないことになる。せっかく滞在するんだったらどんな時間でも有効活用しなければと思い、朝7時にはご飯を食べ終え、街を歩いてみた。
アフリカの人々はとても朝が早く、ケニアでインターンをしていた時は4時半くらいにみんな起きていたんじゃないだろうか。ミンデロはさすがに朝7時では人通りが少なかったが、それでも昨日は何もなかった広場に野菜や果物を持った人々が朝市のために集まり始めていた。『早起きした甲斐があったな。』と自己満足に浸りつつ、段々増え行く人を見ながら街を歩いて回った。昨日は完全に閉まっていた魚市場も、最初は閉まっていたもののしばらくしてからまた来てみると、いつの間に来たのか地元の人が魚を並べていた。市場の奥に小さな桟橋みたいなものがあったので、今朝の収穫物だったのかもしれない。昨日市場が開いていれば、適当に地元の人お勧めの魚を買って、宿で調理してもらったかもしれない。あるのかは知らないが、せっかく遥々カーポヴェルデまで来たんだからおいしいご飯を食べたかった。

朝市の準備をする人たち。

開いた直後の魚の朝市。

毒々しい色の魚が見える...。

広場の朝市の方に戻ってみると、さっきより人が増えている。軽トラックの荷台に農作物や布地などの民芸品を乗っけた地元民が次々やってきてお店を広げている。どれもこれも昨日開いていれば良かったのに

少しずつ人も増えてきた。

せっかくなので何かお土産がないか、民芸品店を物色していたが、布地は女性用だし、男性用にTシャツがあったが、欧米のサッカーのユニフォームなどでどこでも買えるようなものばかりだし、特に面白そうなものはなかった。自分はミサンガとか、腕につけられ、かつ、邪魔にならないものが好きなので、何かよいものはないか探してみると、他の国ではローマ字入りのミサンガっぽいものを見つけた。『カーポヴェルデとどう関係があるのかわからないけど、これでいいか。』と思って購入決定。

カラフルな布地。

午前9時半ごろ、特にすることもなくなり、空港に向けて出発。本当に短い滞在で後ろ髪引かれる思いだったが、今回は今回で充実していたので良かったと思う。また来たい。
サオビンセントの空港にはフリーのwifiが飛んでおり、搭乗まで適当にネットサーフィンしたりしていた。しかし、出発予定の便は自分が搭乗予定のものしかないのに、それらしき飛行機が見当たらない。もともと遅延を織り込み済みで空港に来たのであんまり気にならなかったが、飛行機は出発予定時刻に間に合うのかという時間に到着し、案の定、出発予定から40分ほど遅れてプライアに向けて発った。プライア到着後すぐにダカールに向かう予定で、トランジットが1時間しかなかったので間に合うかどうか少し心配だった。

プライアに一日ぶりに戻ってきた。ダカール行きのフライトはやはり一時間ほど遅れていた。日本で遅延なんてほとんど聞いたことがないが、もう慣れたものだ。
余った1,000エスクードを両替して少しでも残りの旅の足しにしようと思っていたが、「そんな少額の両替は受け付けてない、お土産か何か買えばいいじゃない。」と言われ突っぱねられた。そんなこと言われても、たいしたお土産売ってないし一応もうお土産買ったし。仕方ないので、とてももったいなかったが、豪勢に高い空港の飯を食べた。しばらくまともなご飯を食べてなかった気がするので、ちょうど良い機会になったと思うことにした。
国際便のチェックインはあっという間に終わり、出国審査もさっさと済ませてまたネットサーフィンして待っていた。回りを見てみると、予定出発時刻が乗客がほとんどおらず、本当にルーズだなと思った。時間感覚はアフリカンらしい。しかもよく見てみると、二日前にダカールからプライアに来た際に同じ便に乗っていた中国人も同じだ。確実にバックパッカーではない風貌だったので目的地を決めて来たものと見られるが、『せっかく来たならもっと滞在すればいいのに』と思った。

ダカールには午後5時前に到着した。煩わしい空港職員やらタクシー勧誘を完全に無視し、市内に向かうバスを探した。全く事前に情報を仕入れていなかったので不安だったが、その辺の人に聞いてみると、8番のバスが直通で向かうとのこと。しかもあと15分くらいで来るらしい。『なんだ意外と簡単に見つかった。』と安心したが、考えてみたら、ダカールは都会なんだから空港と中心地を結ぶ公共交通機関があってなんの不思議もない。でもとにかくお金をせびられることもなくすぐ見つかって良かった。

バスを待つ間一緒にいた人たち。陽気で楽しい。

バスを待つ間、地元民にお茶を作ってもらった。セネガルにはチャーイがないが、その代わりミルクを使わないだけで、似たようなお茶が飲まれている。ただ、チャーイと決定的に違うのは、複数のコップを使って何回もお茶を注ぎなおすことである。これはお茶に限ったものではなく、街角の屋台コーヒーでもやっていることなので、特にお茶だからやるというものではないらしいが、彼らは非常に注ぐのがうまく、一滴もこぼさないで何回もコップからコップへと注ぐ。感心しながら10分ほど待っているとやっと完成。お茶を沸かしていたポットがあまりきれいに見えなかったのでどんな味がするのか、と思っていたが、甘くおいしかった。”Ce bon!”  しかし1,000フランとバカ高い。
「1,000フラン!!!?さすがにウソでしょ!」
「いやいや1,000フランだよ。」
親切にバスの番号とバスの事務所を教えてくれた人で、ぼってるような雰囲気は全くなかったので本当にその価格なんだろう。周りに自分と同じように8番バスを待ってる人や、何もせずに屯している人がそれなりにいたが、みんなその価格でぼってないと言う。自分も相手を信用しなくてやたらと傷付けたくはなかったし、カーポヴェルデに引き続き人に親切にしてもらって嬉しかったので、1,000フラン払うことにした。すると、バスの事務所のスタッフが「俺がもう一杯奢るよ!」と言ってきた。たぶん自分がすぐにお茶を飲み干したから、お茶が好きだと思ったんだろう。甘いものが嫌いでない自分としてはまんざらでもなかったので、快くもう一杯奢ってもらうことにした。しかし、運悪くバスが来てしまったので、気持ちだけありがたく頂いてバスに乗り込んだ。みんないい人たちでとても気分が良かった。

お茶を沸かしていたポット。お茶の葉が一杯。

コップからコップへ注ぐ。上手。

何もせずだべってるおっちゃんたち。何かゲームをしているようだった。

ナッツは中じゃなくて皮を食べる。しなしなしてて少しだけ甘い気がした。

8番バスは、だいたい主要なルートを通って市内に向かっていた。ただ、市民の交通手段なので所々脇道にそれたり、途中から主要道路をはずれて細めの道を走ったので、その分、時間がかかった気がする。
車窓から街を見ていると、なんとバスケのストリートコートを発見!しかも少年たちがライブでプレーしているではないか!!これまでアフリカのどの国でもバスケコートは見かけたが、誰もプレーしていなかったので感動してしまった。さすがセネガル。バックパックを持っていなかったら間違いなく交じりに行っていた。悔しい。
18時ごろに出発したバスは、うねうねと路地裏を走ったり大きめの通りに出たりを繰り返しながら、中心地に近付いていた。しかし、その頃にはもう真っ暗になっており、どこで降りればいいのか全く分からなかったおかげで、終点まで来てしまった。どうやら半島の最南端近くまで来たらしい。宿まではおそらく1kmくらいで歩けなくもないが、真っ暗な中、そこまで精通していないダカールを歩くという危険を冒す気にはなれず、その辺にいたバススタッフらしき人にどうすればいいか聞いてみた。すると、7番か9番バスに乗れという。どうやら宿の前を通るバスはあるらしく安心。バスターミナルにはバスを待つお客さんがたくさんおり、治安面でもあまり問題はなさそう。それでもバックパックを背負い不安だったが、始発の7番バスに乗りなんとか宿まで来ることができた。また戻ってきた。


カーポヴェルデに行く前は客が少なかったのに、今晩は2部屋を除いて満室らしい。最初案内された部屋が、二人用で明らかに前より広めの部屋だったのでおかしいと思い、「(前に泊まっていた銀グルの)隣の部屋がいいんだけど」とジェスチャーしてみると、「空いてないよ」と言われた。しかも案内された部屋の価格は15,000フラン(3,000円)。高い。どうしようと思いつつ、同じ階にあるベランダに行ってみると、先日会ったアメリカ人二人組がいた。自分と違いカーポヴェルデではなく、北部のサンルイに23日で自前のバイクで行ってきていたのだ。再会を喜びつつ事情を聞いてみると、どうやら部屋が見つからなくて困っているらしい。
「それなら今自分が泊まろうとしている部屋を譲るよ!自分は部屋のグレードの低い別の部屋に泊まればいいから。確か二人は前もあのダブルっぽい部屋に泊まってたよね?」
「え、ダブル空いてるの?さっき聞いたら空いてないって言われたんだけど。そうなんだ!でも、グレード下げるって言っても、もう一つの部屋は相当汚いよ?僕らは一泊だけで明日出発するから、そちらで我慢して二人で寝るよ。」
「うん、もう一つの部屋は前に一回見たから知ってるよ。確かにあんまり泊まりたくないけど、それこそ僕も一泊だけして翌日部屋を変えればいいから大丈夫だよ。二人であの部屋は一泊でもきついでしょ!」
「本当に!?いやー、それは悪いよ!」
「いいって、気にしないで!」
こんな感じのやりとりで、部屋が決まってお互い落ち着いた。自分の方は、カーポヴェルデの宿とは比較にならないくらい汚い部屋に行ったが、『まあバジェットパッカーだし、本来の宿でしょ』と思い、とりあえず荷物を置いた。
アメリカ人二人は時折降る通り雨の中をサンルイからダカールまで戻ってきたらしく、二人のうち一人はかなり疲れているようだったが、自分も自分で、朝から微妙に生温い気温の空港で長時間待ったりしていたので早くシャワーを浴びたかった。

お互いシャワーも浴びて落ち着いたので、近くのレストランで一緒にご飯を食べることにした。前にダカールにいた時は隣のアリババに行っていたが、どうやらもう一つ近くにwifi付きでしかも安いレストランがあるらしく、そちらの連れて行ってもらった。おまけに着いてみたら冷房が利いていて涼しい。これは断然こちらのほうがいい。
夜ごはんはまたヤッサを食べた。本当はチェブジェン(焼き魚とご飯)を食べたかったのだが、そこにはなかった。ヤッサは普通においしいしチキンも付いてくるから全然いいんだけども。ただビール飲む気満々で行ったのに置いてなかったのはけっこう残念だった。
前にも書いたが、二人のうち一人はピースコードで、ギニアの農村で2年間教師をしていたつわもので、少しその時の話を聞いた。今回の旅でちょうど行くのを諦めた国だったので尚更気になっていたのだ。と言っても疲れきっているところ、あんまり根掘り葉掘りは聞けなかったし、メモもしなかったのであんまり覚えていないというのが正直なところである。とりあえずギニアの首都、コナクリは巷で言われるような、コピー機が一台しかない、という都市ではなくもう少し発展していること、彼はコナクリではなく農村の方で毎月たった200ドルの仕送りで生活していたこと、しかも生活費受け取りのためにわざわざコナクリまで出て行かなければならないこと、が印象的だった(生活費については、自分がインターンをしていた時は宿泊費光熱費水道代全部合わせて一月4,500円だったから、毎月200ドルもあれば十分な気もするが。)。ちなみに、彼は最初は中央アジアを希望していたのだが、なぜかギニアになったらしい。全く希望が反映されていなくて気の毒なくらいだが、それでも環境に適合して2年間も生活した彼は本当にすごい。


のんびりご飯を食べ、宿に戻り二人と別れた。ここで寝られるのか。寝られない環境ではないけど、間違いなくわざわざお金払って寝る環境ではない。しかし扇風機をつけると意外に快適で、蚊帳のついてないガラ空きの窓から入って来る蚊もおらず、ぐっすり寝ることができた。翌日はいろいろロジ関連でやらなければならないことが多く、To Doを整理してから寝た。

泊まった部屋。とりあえず見た目が汚い。

2013年10月22日火曜日

9/15 カーポヴェルデ2日目 静かで落ち着く街

5時、プライアのホステルの部屋で、サオビンセントへの便の予約を証する書面と睨めっこし、その日どうすべきかを考えていた。前日プライアに到着した直後、お金を払わずに席だけを確保していたのだ。しかしどれだけロンプラと書面と睨めっこしたところで何も変わらない。けっこうな時間悩み続けたが、やはりサオビンセントに傾いたまま気持ちは変わらなかった。

朝日に照らされるプライア。

サオビンセントの主要都市はMindelo、ミンデロという名前でロンプラを読む限り、カーニバルで有名な街らしい。しかしその肝心のカーニバルは年初か8月らしく、今は季節外れらしかった。『でも海沿いの街だし(プライアも海沿いだけど)山へハイキングに行けるしビーチがあるらしいし、いいんじゃねぇの』くらいの軽い気持ちで向かった。西アフリカましてやカーポヴェルデなんて次いつ来る機会があるかわからないし、やりたいことをやればいい。
午前11時20分発の便に乗るべく、プライアの空港には午前9時半ごろ到着しチェックインカウンターに向かったが、まだ開いていないにも拘らず長蛇の列ができていた。サオビンセントともう一つの国内線がだいたい同じ出発時刻で、その乗客が並んでいたらしい。『そんなにたくさん人がいるわけじゃないし、チェックインで遅れることはないだろう』と思って列に並ばずその辺をぷらぷらしていたのが間違いだった。列はみるみる長くなり、カウンターがオープンしても、みんな大量の荷物を持っているため1グループのチェックインにとても時間がかかる。『まさか1時間以上もチェックインで待たされるなんてないよな』と思っていたら時計の針は11時を回っていた。長蛇の列の中には、どうやら自分と同時刻の便以外に搭乗する人もいたらしく、このまま待っていたのでは本当に置いていかれかねない。さすがにやばいと思ったので横入りしてチェックインさせてもらい、なんとか間に合った。と思っていたら、係員に話を聞いてみるとまだ搭乗手続きすら始まっていないらしく拍子抜けしてしまった。やはりここはアフリカだった。
後からわかってきたことだが、西アフリカの航空会社も何の告知もなしに1時間くらいは遅れるらしく、空港到着やチェックインの時刻もそれくらい見込んでのもので何の問題もないようだ。

TACVの飛行機。どれもプロペラ機だ。 


茶色く低い山と荒野に四方を囲まれた中に小さく白い直方体の建物がぽつんと建っている。山がちな島の中で平らな土地を確保するには、街から離れた空き地を選ぶほかなかったのかもしれない。結局40分遅れでプライアを発った自分は、1時間程のあっという間のフライトを終えてサオビンセントに到着した
この日は特に人との出会いに恵まれていた。お陰で今回の旅行の中で一番充実した日になったと思う。
空港に降り立ちバックパックを回収した自分は、ミンデロに向かう観光客を探した。街と空港を行き来するタクシー代を極力抑えるため、空港でタクシーを誰かとシェアできないかと目論んでいたのだ。カーポヴェルデは白人観光客が多いので簡単に見つかるだろうと思っていたが、空港で白人カップルを見つけタクシーシェアをお願いすると快諾してくれた。しかも、予めタクシーを手配してあったらしく、値段交渉もほとんどする必要無く(カーポヴェルデではそもそもあまり値段交渉しないけど)街まで行くことができた。『400CVEで格安、ラッキー!』タクシーに乗り込み、いざ街へ。
カップルは外見も話し方も穏やかで、とても好印象だった。フランスのトゥルーズ在住のフランス人で、彼女の方の祖父がカーポヴェルデ人で、ミンデロに住んでいるそうだ。彼女はカーポヴェルデを訪れるのが4回目で、彼の方は初めて。サオビンセントの前はフォゴで登山したらしく、「とっても良かったよ!」と絶賛していた。『行きたかったけど、行けないもんは仕方ない』と心の中で開き直ってみたけどやっぱり羨ましかった。
彼女の方がミンデロに詳しいと知ってからそちらに自分の興味が移ってしまい、何か情報収集のために話をしているみたいになって申し訳なかったが、今夜コンサートがあるということも教えてもらい、しかも目的の宿の目の前で降ろしてもらい、初対面なのにいきなりお世話になってしまった。本当は電話番号を聞いておきたかったのだが、カーポヴェルデではどうせ電話は使わないだろうと思いプライアでSIMカードを買っていなかったので聞けなかった。しかも名前を聞くのも忘れてしまい、また街のどこかで会えたら会いましょう状態になってしまった。

泊まった宿。ロンプラに書いてあったより遥かに好印象。

ともかくも、ミンデロの宿もまあまあ素敵で、今度はシェアシャワーではなく専用シャワー・トイレだった。残念ながらホットシャワーはお預けだったが、宿らしい宿に泊まれて嬉しかった。ダカールに戻ってからの宿と比べたらそれはもう快適だった。
宿に到着したのがだいたい午後2時前後。ミンデロに長く滞在できるわけではないので、休む間もなく早速部屋を出た。特に何かやりたいことがあったわけではなかったが、とりあえず市内散策するに限る。
しかし、今日は日曜日。昨日のプライアも若干その卦があったが、休みの日に開いているお店はほとんどない。それほど大きくない中心街はガラガラで本当に人っ子一人歩いてない。治安の悪い危険な街を歩いてるわけでもないのに。市場も閉まっているし、大きめのスーパーですら、さっき開いていたと思ったのに、また通りかかったらいつの間にか電気が消えて営業が終わっているという始末である。一通り中心地を歩きまわり、少し品のあるレストランで質素なカーポヴェルデご飯を食べた後、市内にいても仕方ないので、ハイキングがお勧めというモントヴェルデに登ってみることにした。ハイキングにも行けるとロンプラに書いてあった山である。歩くことにかけては自信があったので、早速ホステルから山の方に向かって歩いてみた。

がらがらのレストラン。せっかくガラス張りでおしゃれなのに。

煮豆に味付けしたものと卵焼き。豆の方がカーポヴェルデ料理らしい。

道はどこまで行っても舗装道路か石畳で、陥没しているということはなかった。さすがに中心地をはずれるとパステルカラーの建物はなくなり、色彩豊かではなくなったが、それでも街並みとして違和感はない。『やっぱり豊かなんだなぁ』と思いつつ緩やかな坂道を上った。

フットサルを楽しむ少年たち。

ある程度上ってきたが、自分の目的地がどこかわかっていたわけではない。自分の視界には大きく2つの山がそびえ立っていて、明らかに左手の山の方が近くにあった。『ハイキングに来られるってロンプラに書いてあるくらいだからそんなに遠くないよな』と思い、勝手に向かって左手の山をモントヴェルデだと決めつけて上っていたのだ。しかし他に旅行者がいてその人たちについて行けばいいわけでもなく、周りには地元の人の家しか見えず、自分の進んでる道が正しいのか全くわからなかった。いい加減どっちの山も遠いのでヒッチハイクでもしてみようかと思い、通りかかった車の助手席にいたおっちゃんに親指を上に立てて合図してみたが、何の合図かわからなかったらしく、『イェーイ』みたいなノリでおっちゃんに同じジェスチャーを返される始末。『おっかしーなー、ヒッチハイクのやり方間違えたかな?』
ヒッチハイクは到底無理そうなので、近くを通りかかった地元の若者4人組に、左の近いほうの山を指さし「モントヴェルデ?」と聞いてみた。これで違うと言われたら諦めるつもりだった。すると、『違うよ、あっちの遠い方の山がモントヴェルデ。』と遠い方の山を指差しながらポルトガル語で返してきた。「まじかー」と日本語でつぶやき、そこでハイキング終了。ちょうど通りかかったバスに乗り、今まで歩いてきた道を下った。ハイキングは簡単じゃなかった。

奥に見えるのが、モントヴェルデだと思ってた近い方の山。

バスがどこに行くのか全くわからなかったが、とりあえず変な方向に行かない限り、気の向くままに乗ってみようと思っていた。すると、たまたま乗ったバスが良いバスで、ちょうど行ってみたかったビーチまで直行便で連れて行ってくれた。ハイキングから切り替えて今度はビーチである。

オレンジの建物がバーでその左奥がビーチ。曇ってるのが残念。

ビーチ自体はそこまで大きくなかったし、空も曇りがちでめちゃくちゃキレイというわけではなかったが、海辺の二階建てのオープンバーと合わせてこぢんまりとしており、良い感じであった。日曜なのに観光客は多いし、バーはちゃんとやっているし、ここだけ活気があった。ここから宿に戻ってもどうせすることがないし、海辺でぼーっとするのは大好きなのでここにしばらくいることにした。
観光客相手に小さな魚のフライを売るおばちゃん、セネガルから観光に来たという少年たち、なぜか砂浜に並べられているぼろいトレーニング機器で筋トレをしているムキムキのおっちゃんたち、地元の人と話をしたり何もせず海を眺めていたり、のんびり過ごした。

小さいけど魚のフライ。
  
ビールを飲んでたバーから。

砂浜でうろうろしていると、たまたま昼に会ったカップルと再会した。やっぱり街は小さい。少し話をすると、どうやらコンサートがあるのはこの砂浜らしい。昼に聞いた時は別の広場だと聞いていたので、移動する手間が省けてちょうど良かった。といっても歩いても15分程度の距離だが。
コンサートが始まるまでバーでビールを飲むことにした。カーポヴェルデに来てからまだ一杯もビールを飲んでいない。
一人で砂浜向きのカウンターでビールを飲んでいると、「日本人?」と地元の若者が話しかけてきた。日本人とか中国人とか北東アジアの人の見分けがつく人はアフリカだと相当珍しい。聞いたところによると彼は中国人と一緒にビジネスをしていて、見分けがつくらしい。
「この島にはどれくらいいるの?」
「一日だよ。」
「じゃあ、秘境みたいに凄く自然がきれいなところがあるからそこ行きなよ!ミンデロから船で1時間くらいで行けるから。」
「本当?すごく行ってみたいんだけど、明日のお昼にここを出なきゃいけないんだ。」
「え、一日で今日を入れてってこと?短いなぁ!」
フランス人カップルにも短いと言われた。そんなことは自分でも重々承知していて、十二分にカーポヴェルデを堪能するなら1ヶ月いると思う。もう少し移動手段が融通利けばあと一泊は伸ばせたのに!
彼と話した後もしばらくちびちびとビールを飲んでいると、バーの前の広めの歩道で大きなドラムを持った楽団みたいな人が集まり始めてきた。いよいよコンサートの開始だ。ちなみにコンサートと言っても、日本で想像するような大々的なものではなく、演奏時間は20分もない短い小規模のものである。20人くらいのグループでそえぞれがドラムを持ち、指揮に合わせて勢いよくドラムを叩く。テンポ良く力強い打撃が心地よかった。

ドラム演奏の後は、砂浜で自由参加のゆるゆるエクササイズが始まった。音楽に合わせて体を動かすトレーナーに合わせて、参加者も体を動かすというものだ。こちらの方が長く30分近くやっていたんじゃなかろうか。
有名なカーニバルは全然違うものなんだろうけど、それでも夕方のビーチでそよ風を感じながらビールを飲むには十分なもので、見ているだけで楽しかった。カーニバルを見る機会も自分の人生の中で訪れればよいなぁ。

出し物が終わるころには午後7時を過ぎており、辺りはだいぶ暗くなっていた。このまま宿に帰っても良かったが、フランス人カップルが別の場所で夕ご飯を食べた後にまたビーチに戻ってくると言っていたのでもう少しiPadをいじっていることにした。しかし、2時間近く待ったが、午後9時ごろになっても現れない。これ以上待っていると宿に帰るバスがなくなってしまうかもしれないと思い、会えないのは残念だったが宿に帰ることにした。


明るい時に撮ったバーの写真。中ではたぶんプレミアリーグの中継をやっていた。

中心街は静かだったが休みらしい一日を過ごせてとても満足だった。

2013年10月18日金曜日

9/14 セネガル3日目・カーポヴェルデ1日目 驚きのカーポヴェルデ



『ここはアフリカなのか』
本当に信じられなかった。ヨーロッパとしか思えなかった(ヨーロッパには行ったことはないが(笑))。この衝撃を受けただけで来た甲斐があったと感じた。綺麗に舗装された道路のどこも陥没していない。歩道と車道に隙間はなく、縁石が綺麗に敷かれている。道沿いにはセメント造りの家が並び、壁を彩る白や水色、オレンジ、ピンクなどパステルカラーは晴れ渡る青空にぴったりである。南国らしいタンクトップやキャミソール、短パン・ミニスカをきれいに着こなした黒人が道を行き交う。道端に座り込んでいる人がいたり、老朽化した建物も垣間見えるものの、概して地中海沿岸かのような街並みがどこまでも続いている。アフリカ水準で訪れた旅人にとっては衝撃的であった。
アフリカらしくない理由を挙げるとすれば、ゴミゴミしていないところであろう。アフリカの都市といえば、信号のない道路を、ない隙間を縫って走るバスやバイタク、無秩序に並んだ露店に屯する地元民、そこら中に捨てられたゴミ、未舗装の道路や道路のくぼみから舞い上がる砂埃、こんなもので溢れかえっている。とにかくゴミゴミした空間である。カーポヴェルデにはこれらの要素が全くない。実際、アフリカとは言ってもセネガルから600km程度離れているし、アフリカというカテゴリーに含めるのが間違っているのかもしれない。カーポヴェルデの首都プライアはそんなことを感じさせた街であった。
『俺はこんなわくわく感を期待してここに来たわけじゃない。アフリカを楽しみにしてきたはずだ。ここでこんなに心踊っていていいのだろうか。』
とかなんとか思いながら、街を観光し始めた。
  


8時、昨日までカーポヴェルデに来ることを全く考えていなかった私は、空港でチケットを入手するという博打に出た。空港にどのエアラインのオフィスがあるかも知らないまま、前日に午前中のセネガルエアの便で行くしかないということだけを調べて、タクシーで空港に向かったのだ。
実際のところ、前日にフライトスケジュールを相当調べていた。そして、夕ご飯前後にネットカフェに行き、セネガルエアとTACV(カーポヴェルデの航空会社)のタイムスケジュールを徹底的に調べた結果、14日昼前ダカール発で16日夕方ダカール着の便しかないらしいということがわかっていた。つまり、前日にネットで予約することはできなかったため、空港に行ってチケットを買うしかなかったのだ。空港までわざわざ行ってチケットを買えないリスクはそれなりにあったが、それだけでカーポヴェルデを諦めたくない。同宿だったアメリカ人とサンルイまで同行するのも手だったが、彼らはバイクで行くので自分がついて行くことはできない。セネガルに12日から18日まで計一週間いるのも考えたが、さすがに長過ぎるしそれだったらセネガル南部のジガンショールに行きたいが、それだと時間的にはカーポヴェルデに行くのとほぼ変わらない。そんなこんなで、結局リスクをとって、空港でチケットを調達することにしたのだ。
しかし、セネガルエアのカウンターに行くと、空席僅かということもなくあっさりチケットを買うことができ一件落着した。ただ、次のシエラレオネへの移動の関係で、23日の弾丸ツアーにならざるを得なかったのはやはり心残りであった。出発は1120分、現在8時。カーポヴェルデのビザは確実にアライバルで取得できるが、支払いがユーロのみと聞いていたのでその分のユーロだけ空港で両替して、座って待っていた。

早朝のダカール。明るいがまだ人通りがほとんどない。

いざ、カーポヴェルデへ!

カーポヴェルデは全部で9つの島からなる島国で、旧ポルトガル植民地である。アフリカ大陸からは西に凡そ600kmほど離れており、セネガルの首都ダカールからのフライトで約1時間の距離である。それぞれの島は最長で300kmほど離れており、TACVというカーポヴェルデの航空会社が国内便を運行しているほか、船でも移動することができる。
カーポヴェルデの最大の特徴は、カーニバルである。毎年、年明けと8月に大々的に開催されるらしく、有名なのだそうだ。私が訪れた9月はシーズンではなかったわけだが、それでもカーポヴェルデで次に訪れた都市で、毎週日曜に開催されているコンサートを見ることができ、お祭りの名残りを味わうことができた。

この日、私が訪れた街は首都のPraia、プライアである。中心街はPlateau、プラトーという小高い丘の上にあり、その周辺は低地であったり、また丘であったりと起伏を繰り返している。島の緑とカラフルな家の街並みが起伏に沿って続いて行く景色が美しかった。
街の主要交通機関はバスかタクシーで、バスはだいたい50円超で初乗りから好きなところまで行くことができる。また、信じられないことに、バスのルート上であれば、道端から合図をすればどこでも止まり、乗客をピックアップしてくれるのだ。横断歩道を渡っている人がいれば必ず止まるのだからこれもびっくりである。バス停らしいバス停がちゃんと設置されており、緑の半円の円筒状に屋根が特徴的である。

きれいなバス。

新しい街に着くととりあえず自分の足で歩き回ってみないと気が済まない私は、主要なバス乗り場まで歩き、来たバスに乗って終点近くの丘の上まで行ってみた。降り立ったバス停から海岸に向かって歩いてみると、海岸線へと降りて行く坂道沿いに白い家々が建っており、本当に地中海沿岸の家を見ているかのような光景が広がっていた。家の近くのベンチに座り込み向かい合ってゲームをしているのを覗き込んでみたり、近くの家の子どもたちと遊んでみたり、自由な時間を私は満喫した。太陽の日差しを燦々と浴びつつ、プラトーに戻ろうとしたが途中で道がわからなくなったので、また適当にバスを拾い街中に戻った

写真を快諾してくれた。素敵な笑顔!

どこ行っても子どもはかわいい。

本当は山の上?にある世界遺産に行ってみたい気持ちもなくはなかったが、ポルトガル語が全くわからず自分が持っていたガイドブックにもその世界遺産の名称などが載っていなかったので諦め、こうして自分なりに一通り街を見終わった私は、夜に一人で出歩くのは危ないと聞いていたので、宿に帰って翌日以降の予定を考えていた。

プライアは首都で、都市たることがその特徴らしい。他の島には火山やビーチ、カーニバルなどそれぞれ特徴があり、観光客はそれらを楽しむのが王道。だとすれば、別の島に行きたい。
プライアから一番近い島はFogo、フォゴといい、活火山に登ることができるので有名である。他島に行くには、時間もコストもかからないので最良の選択肢である。溶岩湖や火山といった無機質だがエネルギッシュな自然は好きなのでここに行こうと考えていたのだが、スケジュールに合うフライトが満席だったため、断念せざるを得なかった。

次に考えたのがSao Vincente、サオビンセントである。Lonely Planet、ロンプラではプライアの次に紹介されており、魚の朝市やビーチ、後背のなだらかな山など見所は多い。『フォゴには行けないしなんとなくここがいいかなぁ』と、綿密に検討もせず、そう思っていた。プライアのある島の反対側にはTerrafal、テラファルというビーチがありここに行くことも検討していたが、『9つも島があるのに1つしか行けないのではつまらない』という単純な理由でサオビンセントに行くことに傾きつつあった。

宿の近くのスーパーで買ったパンやソーダで腹を満たしつつ、翌日に限らず今後の予定を考えながら部屋でゴロゴロし、その日は寝た。

2013年10月14日月曜日

9/13 セネガル2日目 アフリカ大陸最西端とゴレ島へ

セネガルと日本の時差は9時間である。セネガルの夜9時は日本の朝6時を意味する。昨日はベッドに横になってネットサーフィンをしてたらいつの間にか寝てしまっていた。午前5時頃に携帯のアラームで目覚めた自分はそんなことを考えつつ一旦起床した。時差を直すべくもう少し寝ようとベッドで1時間半程もがきつつ、結局起床したのは午前7時頃である。

今日の目標は、観光をしつつ宿を変えること。午前中はせっかく宿が空港に近いのだからアフリカ大陸最西端を訪問、午後は街中のホステルに宿を変えつつ、ガンビア大使館でビザの申請をしてからゴレ島を観光。
アフリカ大陸最西端というのは、あまり人気のある観光地ではない。なぜなら、街の中心地から5km近く離れていて遠い上、何か特別な施設があるわけでもないからだ。それでも自分がそこに行きたいと思うのには何か特別な理由があるのかというと、そういうわけではない。ただ単にミーハーなだけである。せっかく短い休みを使ってこんなところまで来たのだから見に行かなくては
そんなしょうもない理由で目指したためなのか、ただ単にフランス語ができないからなのか、たった2km程度離れているに過ぎない目的地に着いたのはなんと出発して3時間後である。3時間と言えば、札幌ー福岡間のフライトより長いのではないだろうか。とりあえず主要交通機関はバスであるということだけ把握していた今朝の自分は、英語の通じない宿の係員に大きい荷物を預けた後、乗るべきバスの番号を聞き出して出発した。ルワンダやウガンダであればその辺を走っているバイクタクシーを捕まえて好きなところに連れて行ってもらえばいい。バイタクがないとはなんと不便な街だと自分勝手に思ったが、ないものは仕方ない。

バス停。

バスは多くの国においてそうであるように、番号毎にルートが決まっている。道端に立っている、標識にバスの番号が複数記されており、自分の乗りたいバスが来るまでそこで待つ。バスのフロントガラスに番号が記されており、それで判別するという仕組みだ。バスには運転手の他、牢屋の如き鉄格子に囲まれた空間に添乗員がおり、乗客は自分の目的地に応じてそこで料金を支払う。料金は最低100フランで20円と大変お得である。100フランと150フランの2種類の乗車券があり、大きなバスだと後者、小さなバスだと前者という棲み分けだと思われる。小さい方のバスの車体は日本のものを少し小さくしたくらいで、白くペイントされている。大きい方のバスは青の中に黄色い細い線が引かれており電光掲示板に行き先が表示されている。こうして、どれが公営のバスなのか一目でわかるのだ。


添乗員室。鉄格子がものものしい...。

昨日、タクシーにぼったくられた自分は、同じ轍を踏まないようにバスに拘ることにしていた。もしタクシーに乗っていたら、1時間で行って帰って来られたと思う。
バス停で待つこと数分、25番のバスがやって来た。予定通りに乗りこみ安心していると、添乗員が自分に話しかけてきた。バスに乗ったままお金を支払わずにいたからだ。
「お前はどこに行くんだ。」
「半島の先っぽの方に行きたいんだけど」
「じゃあ次のバス停で4番に乗り換えるんだ」
添乗員の兄ちゃんは、どこに行きたいのかよくわからない自分の曖昧な説明を解釈した上、支払ったお金を親切にも返してくれた上に案内までしてくれた。セネガルに着いたばかりで、どんな国民性なのかわからず手をこまねいていたので、これはいろんな意味でありがたかった。ところでバスの乗客を見ていると、添乗員の「牢屋」から遠くにいても、周りの乗客が協力して小銭を手渡しして支払っていた。ナイロビの乗り合いバスではポケットのものを取るスリに気をつけろというけど、それとは対照的で平和な光景だった。セネガル人はいい人なのかもしれない。
4番に乗れば最西端の近くには辿り着くのだろうとなぜか錯覚した自分は、4番バスの終点で降りて海辺に向かって歩いた。実際はまだ目的地まで3,4kmも離れていたのだが、その時点ではそれに気付いておらず、地元民が漁に使う大量の細長くカラフルなボートと、海辺に打ち上げられた魚たちの死骸を横目にしばらく砂浜を歩き回った。

大西洋。曇りがちでやや幻想的だった。

自分がしばらく歩いた砂浜には、アフリカ大陸最西端が近いなどという事実とは全く無縁な、地元民の日常が広がっていた。青・赤・黄色など様々な色の縞模様が描かれた地元民の細長い木製の漁船が無数に並べられており、二本の太い丸太でベルトコンベア式に海に押し出されたボートは、その姿に凡そ似つかわしくないモーターを備え付けられて海に出て行く。その傍らには、その日上がったばかりの収穫物を砂浜にぶちまけ、大きさや種類で分類したり、既に仕分け終わって地元民相手に売っている漁師がいる。大きめのプラスチック製のタライの中で平べったい魚が幾重にも重なり、太陽の光を受けて銀色に輝いていた。緩やかに弦を張った弓のような砂浜にさざ波が静かに浜に打ち寄せる。空には薄暗い雲が垂れ込めており、どんよりと漂う日差しがある種幻想的な空間を作り出していた。それはそれ、これはこれ。

地元民のカラフルなボート。

漁に出ようとしているボート。

その日に獲れた魚を砂浜にぶちまけ分類している様子。

結局、砂浜を1時間近く歩き、目的地が程遠いことに気付いた自分は、またバスに乗ることにした。幸い、近くの幹線道路にバス停があったため、通りかかったバスに飛び乗り、次にどのバスに乗れば良いか、先ほどと同じ要領で聞くことができた。こうして目的地最寄りのバス停にたどり着くまでにバスを3回も乗り換え、バス停から最終目的地まで徒歩で15分程度もかかり、やっとの思いでアフリカ大陸最西端に到着した。そこは高級ホテルで、鮮やかな水色のきれいなプールでは欧米人観光客と思しき人が優雅に泳いでおり、汗だくだった自分にはとても羨ましかった。アフリカ大陸最西端の光景であった。

開放的なホテルで何のチェックもなしに入れた。

鮮やかな水色のプール。

しかし、肝心のアフリカ大陸最西端にあるものと言えば、世界各都市までの方角と距離を示した木の標識だけである。自分の他に観光客は誰もいない。非常にあっさりしている。これもアフリカ大陸最西端である。シドニーの方が東京より4,000km近く遠かったのが印象に残ったが、それ以外は特に何も感じなかった。既に午前11時を回っており宿の人との約束の時間から大きく遅れていたため、早速バス停目指して歩き始めた。

 
アフリカ大陸最西端にあるのはこの標識だけ。東京は約14,000kmも離れている。

行きでバスの乗り方をある程度習得した自分は、47番と63番バスに乗り、快調に宿の近くのVDNルートに到着、宿に置いていったバックパックを回収しタクシーでダカール中心部を目指した。タクシーで海沿いの道を走ったが、きれいに舗装されている上に渋滞もないため、非常に快適だった。半島西部の海沿いの道には、短かったがトンネルもあり、ダカールの都会ぶりを伺わせた。

最西端近くの町。街並みがきれいだった。

海沿いの道から見たダカール中心地。写真があまり良くない...。

次なる宿は既に決まっていた。おそらくバックパッカーの間では有名な宿であるが、地元ではそうでもないため、隣にあるレストランの名前であるアリババを連呼して辿り着いた。街の中心地にあり地価が高いためか、ホステルはアパートの数室を買って経営されているもので、個別のシャワー・トイレ付きの部屋はないし、蚊帳もない。しかし抜群のロケーションは他に替えがたかったため、自分は10,000フラン(2,000)で一室に宿泊することにした。


宿のある通り。翌日の早朝に撮った写真なので人がいない。

部屋の案内をしてもらっている最中、隣室のアメリカ人二人と出会った。そのうちの一人はアメリカの青年海外協力隊で、2年間ギニアの農村で理科を教えていたそうだ。ギニアといえば首都コナクリが首都と思えないほど貧しいことで有名である。1ヶ月200ドルで生活していたそうだ。ギニアに日本の協力隊はいないし、政情も安定しているとは言えないし、そんな中で生活しているのはただただすごいと思った。

宿も決まり落ち着いたところで次の予定に移ろうとしたところで大きなトラブルが発生した。次に行く予定であったガンビアの大使館の場所が宿の近くから移動しており、予定通りガンビアに移動するまでにビザを取得できなくなったのだ。最新版2013年版のLonely Planet(地球の歩き方の世界版のようなもの)を入手して安心していた自分は不意をつかれた。トラブルと言っても、パスポートを盗まれたとかそういう大打撃計系ではなく、旅のルートを変えればいいだけの話であるが、時間の制約が大きい中でルートを再構築するのは少し大変だった。翌日14日(土)から18日(水)までのルートを今日中に考えなければならなくなった。
ここでまず最初に得たアドバイスが、「ガンビアは評判が良くない」と「カーポヴェルデは行った人の誰に聞いても評判がいい」というものだ。先ほどの同宿のアメリカ人が言っていたのだ。カーポヴェルデとは、セネガルの沖合約600kmほどにある島国で、観光業が盛んなことで有名らしい。その話を聞いた時点では、「確かに、先人の日本人バックパッカーでそんな国に行っていた人がいたな」程度にしか考えず、まだ決めきれなかった。

とにかくその日のうちに自分はゴレ島に行くつもりだったので、気持ちを切り替えてゴレ島への定期便が発着する港に向かい13時半ごろ到着した。ゴレ島は、郊外のラックローズを除いて、ダカール最大にして唯一の観光地であり、ダカールの半島部分の南西1km程に位置する。その昔、まだ奴隷貿易が行われていた時代、ゴレ島は奴隷貿易の拠点として使われていた島だったそうで、輸出する奴隷を収容していた施設や大砲が残っており、世界遺産に登録されている。他方で、そんな暗い歴史とは裏腹に、黄色やオレンジなど明るく彩られた建物と黄土色の土のコントラストが映える町並みは美しく、道端で観光客相手にお土産を売る青年らが奏でるマラカスの音が心地よい。そんなゴレ島に、小型船に揺られて向かった。

船から見たゴレ島。

定期便は1時間から1時間半に一本程度発着しており、片道20分ほどで到着する。さすが世界遺産、乗客には白人も多く、黒人も観光客ばかりだ。チケットは往復5,000フランと立派な価格で、日本円にして約1,000円である。さらに、待合室にはゴレ島在住のガイドが何人もおり、ゴレ島到着後のガイドを申し出ている。自分はこういう勧誘を好意と勘違いして後でお金をせびられるのが嫌なので、適当に話を聞きつつ断った。
島の波止場の近くには20m程の小さなビーチがあり、黒人の若者を中心に海水浴をしていた。その後ろには、観光客を待ってましたと言わんばかりに高めのレストランや民芸品店が並んでいる。もともと、奴隷の収容されていた施設などにあまり興味を持てなかった自分は、カラフルな建物の間を練り歩いて町並みを楽しみつつ、一通り見るべきものを見て、1時間半後の便で帰ろうと思っていた。ただ、先人のバックパッカーの話から、マラカスは面白そうだったので、道端でマラカスを売っている兄ちゃんに値段を聞いて回って相場を見極めてからマラカスを買うつもりでいた。マラカスはいわゆる普通のマラカスではなく、20cmくらいの紐の両端に直径10cm程の木の実のような玉がくっついており、玉を振って玉の中のビーンズを鳴らしたり、玉同士をぶつけることで音を出すものだ。値段交渉の末、3,000フランでマラカスを買い、演奏の仕方を教わったが少し難しい。まず、中指と薬指の間に紐をはさみ、片方の玉を手のひら側に出す。もう一方の手の甲の側の玉を、手のひら側の玉にまずは下から、次に上からぶつけ、玉を抑えてシャカシャカと鳴らす。カンカンシャカシャカ、カンカンシャカシャカという感じだ。これを両手でやるのがベースになるらしい。慣れてくるとペン回しのように無意識でやっていそうで怖い。

ゴレ島の街並み。色鮮やかで美しかった。

石畳の道も街に溶け込んでいた。

港湾にある小さなビーチ。

マラカスを売ってくれた兄ちゃんは、セネガル独特のコーヒーも味見させてくれた。最初飲んだ時はおいしいと思ったが、本当に飲んで大丈夫なのかと後で不安になるくらいによくスパイスがきいている。こうしたスパイスのきいていない、チャーイのようにただただ甘いコーヒーも街中にはあるので、ここでこのコーヒーを味わうことができて良かった。

コーヒーを飲む兄ちゃん。この人からマラカスも買った。

ゴレ島の観光を終え、夜は知人の紹介で日本人の方とお食事させて頂き、おいしいシーフードを食べることができた。まだアフリカに来て2日目なので日本食など美食への渇望は全くなかったが、それでもとてもおいしかった。

ダカールの夜は、風が通らないとジメジメして暑く、その日はなかなか寝れずに苦しんだが、なんとか眠ることができた。