2013年10月18日金曜日

9/14 セネガル3日目・カーポヴェルデ1日目 驚きのカーポヴェルデ



『ここはアフリカなのか』
本当に信じられなかった。ヨーロッパとしか思えなかった(ヨーロッパには行ったことはないが(笑))。この衝撃を受けただけで来た甲斐があったと感じた。綺麗に舗装された道路のどこも陥没していない。歩道と車道に隙間はなく、縁石が綺麗に敷かれている。道沿いにはセメント造りの家が並び、壁を彩る白や水色、オレンジ、ピンクなどパステルカラーは晴れ渡る青空にぴったりである。南国らしいタンクトップやキャミソール、短パン・ミニスカをきれいに着こなした黒人が道を行き交う。道端に座り込んでいる人がいたり、老朽化した建物も垣間見えるものの、概して地中海沿岸かのような街並みがどこまでも続いている。アフリカ水準で訪れた旅人にとっては衝撃的であった。
アフリカらしくない理由を挙げるとすれば、ゴミゴミしていないところであろう。アフリカの都市といえば、信号のない道路を、ない隙間を縫って走るバスやバイタク、無秩序に並んだ露店に屯する地元民、そこら中に捨てられたゴミ、未舗装の道路や道路のくぼみから舞い上がる砂埃、こんなもので溢れかえっている。とにかくゴミゴミした空間である。カーポヴェルデにはこれらの要素が全くない。実際、アフリカとは言ってもセネガルから600km程度離れているし、アフリカというカテゴリーに含めるのが間違っているのかもしれない。カーポヴェルデの首都プライアはそんなことを感じさせた街であった。
『俺はこんなわくわく感を期待してここに来たわけじゃない。アフリカを楽しみにしてきたはずだ。ここでこんなに心踊っていていいのだろうか。』
とかなんとか思いながら、街を観光し始めた。
  


8時、昨日までカーポヴェルデに来ることを全く考えていなかった私は、空港でチケットを入手するという博打に出た。空港にどのエアラインのオフィスがあるかも知らないまま、前日に午前中のセネガルエアの便で行くしかないということだけを調べて、タクシーで空港に向かったのだ。
実際のところ、前日にフライトスケジュールを相当調べていた。そして、夕ご飯前後にネットカフェに行き、セネガルエアとTACV(カーポヴェルデの航空会社)のタイムスケジュールを徹底的に調べた結果、14日昼前ダカール発で16日夕方ダカール着の便しかないらしいということがわかっていた。つまり、前日にネットで予約することはできなかったため、空港に行ってチケットを買うしかなかったのだ。空港までわざわざ行ってチケットを買えないリスクはそれなりにあったが、それだけでカーポヴェルデを諦めたくない。同宿だったアメリカ人とサンルイまで同行するのも手だったが、彼らはバイクで行くので自分がついて行くことはできない。セネガルに12日から18日まで計一週間いるのも考えたが、さすがに長過ぎるしそれだったらセネガル南部のジガンショールに行きたいが、それだと時間的にはカーポヴェルデに行くのとほぼ変わらない。そんなこんなで、結局リスクをとって、空港でチケットを調達することにしたのだ。
しかし、セネガルエアのカウンターに行くと、空席僅かということもなくあっさりチケットを買うことができ一件落着した。ただ、次のシエラレオネへの移動の関係で、23日の弾丸ツアーにならざるを得なかったのはやはり心残りであった。出発は1120分、現在8時。カーポヴェルデのビザは確実にアライバルで取得できるが、支払いがユーロのみと聞いていたのでその分のユーロだけ空港で両替して、座って待っていた。

早朝のダカール。明るいがまだ人通りがほとんどない。

いざ、カーポヴェルデへ!

カーポヴェルデは全部で9つの島からなる島国で、旧ポルトガル植民地である。アフリカ大陸からは西に凡そ600kmほど離れており、セネガルの首都ダカールからのフライトで約1時間の距離である。それぞれの島は最長で300kmほど離れており、TACVというカーポヴェルデの航空会社が国内便を運行しているほか、船でも移動することができる。
カーポヴェルデの最大の特徴は、カーニバルである。毎年、年明けと8月に大々的に開催されるらしく、有名なのだそうだ。私が訪れた9月はシーズンではなかったわけだが、それでもカーポヴェルデで次に訪れた都市で、毎週日曜に開催されているコンサートを見ることができ、お祭りの名残りを味わうことができた。

この日、私が訪れた街は首都のPraia、プライアである。中心街はPlateau、プラトーという小高い丘の上にあり、その周辺は低地であったり、また丘であったりと起伏を繰り返している。島の緑とカラフルな家の街並みが起伏に沿って続いて行く景色が美しかった。
街の主要交通機関はバスかタクシーで、バスはだいたい50円超で初乗りから好きなところまで行くことができる。また、信じられないことに、バスのルート上であれば、道端から合図をすればどこでも止まり、乗客をピックアップしてくれるのだ。横断歩道を渡っている人がいれば必ず止まるのだからこれもびっくりである。バス停らしいバス停がちゃんと設置されており、緑の半円の円筒状に屋根が特徴的である。

きれいなバス。

新しい街に着くととりあえず自分の足で歩き回ってみないと気が済まない私は、主要なバス乗り場まで歩き、来たバスに乗って終点近くの丘の上まで行ってみた。降り立ったバス停から海岸に向かって歩いてみると、海岸線へと降りて行く坂道沿いに白い家々が建っており、本当に地中海沿岸の家を見ているかのような光景が広がっていた。家の近くのベンチに座り込み向かい合ってゲームをしているのを覗き込んでみたり、近くの家の子どもたちと遊んでみたり、自由な時間を私は満喫した。太陽の日差しを燦々と浴びつつ、プラトーに戻ろうとしたが途中で道がわからなくなったので、また適当にバスを拾い街中に戻った

写真を快諾してくれた。素敵な笑顔!

どこ行っても子どもはかわいい。

本当は山の上?にある世界遺産に行ってみたい気持ちもなくはなかったが、ポルトガル語が全くわからず自分が持っていたガイドブックにもその世界遺産の名称などが載っていなかったので諦め、こうして自分なりに一通り街を見終わった私は、夜に一人で出歩くのは危ないと聞いていたので、宿に帰って翌日以降の予定を考えていた。

プライアは首都で、都市たることがその特徴らしい。他の島には火山やビーチ、カーニバルなどそれぞれ特徴があり、観光客はそれらを楽しむのが王道。だとすれば、別の島に行きたい。
プライアから一番近い島はFogo、フォゴといい、活火山に登ることができるので有名である。他島に行くには、時間もコストもかからないので最良の選択肢である。溶岩湖や火山といった無機質だがエネルギッシュな自然は好きなのでここに行こうと考えていたのだが、スケジュールに合うフライトが満席だったため、断念せざるを得なかった。

次に考えたのがSao Vincente、サオビンセントである。Lonely Planet、ロンプラではプライアの次に紹介されており、魚の朝市やビーチ、後背のなだらかな山など見所は多い。『フォゴには行けないしなんとなくここがいいかなぁ』と、綿密に検討もせず、そう思っていた。プライアのある島の反対側にはTerrafal、テラファルというビーチがありここに行くことも検討していたが、『9つも島があるのに1つしか行けないのではつまらない』という単純な理由でサオビンセントに行くことに傾きつつあった。

宿の近くのスーパーで買ったパンやソーダで腹を満たしつつ、翌日に限らず今後の予定を考えながら部屋でゴロゴロし、その日は寝た。

2013年10月14日月曜日

9/13 セネガル2日目 アフリカ大陸最西端とゴレ島へ

セネガルと日本の時差は9時間である。セネガルの夜9時は日本の朝6時を意味する。昨日はベッドに横になってネットサーフィンをしてたらいつの間にか寝てしまっていた。午前5時頃に携帯のアラームで目覚めた自分はそんなことを考えつつ一旦起床した。時差を直すべくもう少し寝ようとベッドで1時間半程もがきつつ、結局起床したのは午前7時頃である。

今日の目標は、観光をしつつ宿を変えること。午前中はせっかく宿が空港に近いのだからアフリカ大陸最西端を訪問、午後は街中のホステルに宿を変えつつ、ガンビア大使館でビザの申請をしてからゴレ島を観光。
アフリカ大陸最西端というのは、あまり人気のある観光地ではない。なぜなら、街の中心地から5km近く離れていて遠い上、何か特別な施設があるわけでもないからだ。それでも自分がそこに行きたいと思うのには何か特別な理由があるのかというと、そういうわけではない。ただ単にミーハーなだけである。せっかく短い休みを使ってこんなところまで来たのだから見に行かなくては
そんなしょうもない理由で目指したためなのか、ただ単にフランス語ができないからなのか、たった2km程度離れているに過ぎない目的地に着いたのはなんと出発して3時間後である。3時間と言えば、札幌ー福岡間のフライトより長いのではないだろうか。とりあえず主要交通機関はバスであるということだけ把握していた今朝の自分は、英語の通じない宿の係員に大きい荷物を預けた後、乗るべきバスの番号を聞き出して出発した。ルワンダやウガンダであればその辺を走っているバイクタクシーを捕まえて好きなところに連れて行ってもらえばいい。バイタクがないとはなんと不便な街だと自分勝手に思ったが、ないものは仕方ない。

バス停。

バスは多くの国においてそうであるように、番号毎にルートが決まっている。道端に立っている、標識にバスの番号が複数記されており、自分の乗りたいバスが来るまでそこで待つ。バスのフロントガラスに番号が記されており、それで判別するという仕組みだ。バスには運転手の他、牢屋の如き鉄格子に囲まれた空間に添乗員がおり、乗客は自分の目的地に応じてそこで料金を支払う。料金は最低100フランで20円と大変お得である。100フランと150フランの2種類の乗車券があり、大きなバスだと後者、小さなバスだと前者という棲み分けだと思われる。小さい方のバスの車体は日本のものを少し小さくしたくらいで、白くペイントされている。大きい方のバスは青の中に黄色い細い線が引かれており電光掲示板に行き先が表示されている。こうして、どれが公営のバスなのか一目でわかるのだ。


添乗員室。鉄格子がものものしい...。

昨日、タクシーにぼったくられた自分は、同じ轍を踏まないようにバスに拘ることにしていた。もしタクシーに乗っていたら、1時間で行って帰って来られたと思う。
バス停で待つこと数分、25番のバスがやって来た。予定通りに乗りこみ安心していると、添乗員が自分に話しかけてきた。バスに乗ったままお金を支払わずにいたからだ。
「お前はどこに行くんだ。」
「半島の先っぽの方に行きたいんだけど」
「じゃあ次のバス停で4番に乗り換えるんだ」
添乗員の兄ちゃんは、どこに行きたいのかよくわからない自分の曖昧な説明を解釈した上、支払ったお金を親切にも返してくれた上に案内までしてくれた。セネガルに着いたばかりで、どんな国民性なのかわからず手をこまねいていたので、これはいろんな意味でありがたかった。ところでバスの乗客を見ていると、添乗員の「牢屋」から遠くにいても、周りの乗客が協力して小銭を手渡しして支払っていた。ナイロビの乗り合いバスではポケットのものを取るスリに気をつけろというけど、それとは対照的で平和な光景だった。セネガル人はいい人なのかもしれない。
4番に乗れば最西端の近くには辿り着くのだろうとなぜか錯覚した自分は、4番バスの終点で降りて海辺に向かって歩いた。実際はまだ目的地まで3,4kmも離れていたのだが、その時点ではそれに気付いておらず、地元民が漁に使う大量の細長くカラフルなボートと、海辺に打ち上げられた魚たちの死骸を横目にしばらく砂浜を歩き回った。

大西洋。曇りがちでやや幻想的だった。

自分がしばらく歩いた砂浜には、アフリカ大陸最西端が近いなどという事実とは全く無縁な、地元民の日常が広がっていた。青・赤・黄色など様々な色の縞模様が描かれた地元民の細長い木製の漁船が無数に並べられており、二本の太い丸太でベルトコンベア式に海に押し出されたボートは、その姿に凡そ似つかわしくないモーターを備え付けられて海に出て行く。その傍らには、その日上がったばかりの収穫物を砂浜にぶちまけ、大きさや種類で分類したり、既に仕分け終わって地元民相手に売っている漁師がいる。大きめのプラスチック製のタライの中で平べったい魚が幾重にも重なり、太陽の光を受けて銀色に輝いていた。緩やかに弦を張った弓のような砂浜にさざ波が静かに浜に打ち寄せる。空には薄暗い雲が垂れ込めており、どんよりと漂う日差しがある種幻想的な空間を作り出していた。それはそれ、これはこれ。

地元民のカラフルなボート。

漁に出ようとしているボート。

その日に獲れた魚を砂浜にぶちまけ分類している様子。

結局、砂浜を1時間近く歩き、目的地が程遠いことに気付いた自分は、またバスに乗ることにした。幸い、近くの幹線道路にバス停があったため、通りかかったバスに飛び乗り、次にどのバスに乗れば良いか、先ほどと同じ要領で聞くことができた。こうして目的地最寄りのバス停にたどり着くまでにバスを3回も乗り換え、バス停から最終目的地まで徒歩で15分程度もかかり、やっとの思いでアフリカ大陸最西端に到着した。そこは高級ホテルで、鮮やかな水色のきれいなプールでは欧米人観光客と思しき人が優雅に泳いでおり、汗だくだった自分にはとても羨ましかった。アフリカ大陸最西端の光景であった。

開放的なホテルで何のチェックもなしに入れた。

鮮やかな水色のプール。

しかし、肝心のアフリカ大陸最西端にあるものと言えば、世界各都市までの方角と距離を示した木の標識だけである。自分の他に観光客は誰もいない。非常にあっさりしている。これもアフリカ大陸最西端である。シドニーの方が東京より4,000km近く遠かったのが印象に残ったが、それ以外は特に何も感じなかった。既に午前11時を回っており宿の人との約束の時間から大きく遅れていたため、早速バス停目指して歩き始めた。

 
アフリカ大陸最西端にあるのはこの標識だけ。東京は約14,000kmも離れている。

行きでバスの乗り方をある程度習得した自分は、47番と63番バスに乗り、快調に宿の近くのVDNルートに到着、宿に置いていったバックパックを回収しタクシーでダカール中心部を目指した。タクシーで海沿いの道を走ったが、きれいに舗装されている上に渋滞もないため、非常に快適だった。半島西部の海沿いの道には、短かったがトンネルもあり、ダカールの都会ぶりを伺わせた。

最西端近くの町。街並みがきれいだった。

海沿いの道から見たダカール中心地。写真があまり良くない...。

次なる宿は既に決まっていた。おそらくバックパッカーの間では有名な宿であるが、地元ではそうでもないため、隣にあるレストランの名前であるアリババを連呼して辿り着いた。街の中心地にあり地価が高いためか、ホステルはアパートの数室を買って経営されているもので、個別のシャワー・トイレ付きの部屋はないし、蚊帳もない。しかし抜群のロケーションは他に替えがたかったため、自分は10,000フラン(2,000)で一室に宿泊することにした。


宿のある通り。翌日の早朝に撮った写真なので人がいない。

部屋の案内をしてもらっている最中、隣室のアメリカ人二人と出会った。そのうちの一人はアメリカの青年海外協力隊で、2年間ギニアの農村で理科を教えていたそうだ。ギニアといえば首都コナクリが首都と思えないほど貧しいことで有名である。1ヶ月200ドルで生活していたそうだ。ギニアに日本の協力隊はいないし、政情も安定しているとは言えないし、そんな中で生活しているのはただただすごいと思った。

宿も決まり落ち着いたところで次の予定に移ろうとしたところで大きなトラブルが発生した。次に行く予定であったガンビアの大使館の場所が宿の近くから移動しており、予定通りガンビアに移動するまでにビザを取得できなくなったのだ。最新版2013年版のLonely Planet(地球の歩き方の世界版のようなもの)を入手して安心していた自分は不意をつかれた。トラブルと言っても、パスポートを盗まれたとかそういう大打撃計系ではなく、旅のルートを変えればいいだけの話であるが、時間の制約が大きい中でルートを再構築するのは少し大変だった。翌日14日(土)から18日(水)までのルートを今日中に考えなければならなくなった。
ここでまず最初に得たアドバイスが、「ガンビアは評判が良くない」と「カーポヴェルデは行った人の誰に聞いても評判がいい」というものだ。先ほどの同宿のアメリカ人が言っていたのだ。カーポヴェルデとは、セネガルの沖合約600kmほどにある島国で、観光業が盛んなことで有名らしい。その話を聞いた時点では、「確かに、先人の日本人バックパッカーでそんな国に行っていた人がいたな」程度にしか考えず、まだ決めきれなかった。

とにかくその日のうちに自分はゴレ島に行くつもりだったので、気持ちを切り替えてゴレ島への定期便が発着する港に向かい13時半ごろ到着した。ゴレ島は、郊外のラックローズを除いて、ダカール最大にして唯一の観光地であり、ダカールの半島部分の南西1km程に位置する。その昔、まだ奴隷貿易が行われていた時代、ゴレ島は奴隷貿易の拠点として使われていた島だったそうで、輸出する奴隷を収容していた施設や大砲が残っており、世界遺産に登録されている。他方で、そんな暗い歴史とは裏腹に、黄色やオレンジなど明るく彩られた建物と黄土色の土のコントラストが映える町並みは美しく、道端で観光客相手にお土産を売る青年らが奏でるマラカスの音が心地よい。そんなゴレ島に、小型船に揺られて向かった。

船から見たゴレ島。

定期便は1時間から1時間半に一本程度発着しており、片道20分ほどで到着する。さすが世界遺産、乗客には白人も多く、黒人も観光客ばかりだ。チケットは往復5,000フランと立派な価格で、日本円にして約1,000円である。さらに、待合室にはゴレ島在住のガイドが何人もおり、ゴレ島到着後のガイドを申し出ている。自分はこういう勧誘を好意と勘違いして後でお金をせびられるのが嫌なので、適当に話を聞きつつ断った。
島の波止場の近くには20m程の小さなビーチがあり、黒人の若者を中心に海水浴をしていた。その後ろには、観光客を待ってましたと言わんばかりに高めのレストランや民芸品店が並んでいる。もともと、奴隷の収容されていた施設などにあまり興味を持てなかった自分は、カラフルな建物の間を練り歩いて町並みを楽しみつつ、一通り見るべきものを見て、1時間半後の便で帰ろうと思っていた。ただ、先人のバックパッカーの話から、マラカスは面白そうだったので、道端でマラカスを売っている兄ちゃんに値段を聞いて回って相場を見極めてからマラカスを買うつもりでいた。マラカスはいわゆる普通のマラカスではなく、20cmくらいの紐の両端に直径10cm程の木の実のような玉がくっついており、玉を振って玉の中のビーンズを鳴らしたり、玉同士をぶつけることで音を出すものだ。値段交渉の末、3,000フランでマラカスを買い、演奏の仕方を教わったが少し難しい。まず、中指と薬指の間に紐をはさみ、片方の玉を手のひら側に出す。もう一方の手の甲の側の玉を、手のひら側の玉にまずは下から、次に上からぶつけ、玉を抑えてシャカシャカと鳴らす。カンカンシャカシャカ、カンカンシャカシャカという感じだ。これを両手でやるのがベースになるらしい。慣れてくるとペン回しのように無意識でやっていそうで怖い。

ゴレ島の街並み。色鮮やかで美しかった。

石畳の道も街に溶け込んでいた。

港湾にある小さなビーチ。

マラカスを売ってくれた兄ちゃんは、セネガル独特のコーヒーも味見させてくれた。最初飲んだ時はおいしいと思ったが、本当に飲んで大丈夫なのかと後で不安になるくらいによくスパイスがきいている。こうしたスパイスのきいていない、チャーイのようにただただ甘いコーヒーも街中にはあるので、ここでこのコーヒーを味わうことができて良かった。

コーヒーを飲む兄ちゃん。この人からマラカスも買った。

ゴレ島の観光を終え、夜は知人の紹介で日本人の方とお食事させて頂き、おいしいシーフードを食べることができた。まだアフリカに来て2日目なので日本食など美食への渇望は全くなかったが、それでもとてもおいしかった。

ダカールの夜は、風が通らないとジメジメして暑く、その日はなかなか寝れずに苦しんだが、なんとか眠ることができた。

9/11 タイトランジット 思わぬ遅延

15時半前、予定通り成田空港に到着した。いよいよ西アフリカに向けて出発するのだが、まだ実感がわかない。成田から最終目的地のダカールまで2回の乗り換えを経て31時間で到着する予定である。ダカールにはアフリカ大陸最西端の地があるが、そこと東京の距離はなんと約14,000kmも離れているのだから当たり前かもしれない。チケットをとった当初はあまり何も感じなかったが、冷静に考えればとても長い。バンコク経由でナイロビに行くならば、6時間・トランジット2時間・9時間くらいで着くが、そこからさらに10時間近くかかる。ダカールなら欧米の航空会社の便があるので、それらを利用すれば一回の乗り換えでより速くより良いサービスで行けたかもしれないと思うと純粋に後悔した。
そんなことを後悔しても仕方ないので、とりあえず成田空港で調達した『幻夜』で暇つぶしをしつつ、バンコクまでの残りの時間を過ごした。

バンコクでのトランジットは予想外に長くなった。次の便が本来020分ごろ発の予定だったのだが、午前3時ごろまで遅延しているらしい。ナイロビでのトランジットは確か3時間弱しかなかったので、乗り継ぎが上手くいくか非常に不安だった。知人がエチオピア航空を利用した際、ケニアの首都ナイロビからガーナの首都アクラに行くためにエチオピアの首都アディスアベバを経由する便を利用したところ、7時間遅延し、アディスアベバで宿泊せざるを得なくなったらしい。宿泊費等は当然航空会社持ちらしいが、費用より時間のロスがとても大きい。ケニア航空はエチオピアに比べて優秀だと思っていたが、前回の旅の復路からなんとなく微妙なオペレーションをしている雰囲気を醸し出しており、不安が大きくなってきている。しかし、今回の遅延は大雨によるものらしく、他の便もたくさん欠航や遅延をしている。むしろこのような状況で遅延してでも運航しているのだからありがたいと思うべきかもしれない。
欠航や大幅な遅延がたくさん出ていた

バンコクの空港では、大前による遅延に不満を撒き散らしている日本人二人組がいた。おそらくタイでバケーションをエンジョイしていざ日本に帰らんという時に足止めを食らったのだろう。自分は自分で次の便に間に合うかどうかと瀬戸際に立たされていたがそんな自分はさておき、そんな二人組を『誰に怒って解決する問題でもないのに』と傍から見ていた。二人に怒鳴り散らされていたInformationの男性職員も怒ってしまい何がしか言い返していたが、それを同僚の女性がなだめていた。他にも遅延の影響で夜遅くまで待たされている人がそれなりにいたわけだが、そこまで多くはなく、皆、あいているベンチを見つけて横になって寝ていた。また、遅延便を待つパイロットやFAもゲートの近くのベンチでぐったりしており、飛行機の到着を待っていた。午前3時まで待たされた自分はというと、いろいろ調べ物があったこともあり、全く寝ずにネットサーフィンしていた。

自分が搭乗予定だった飛行機は出発一時間前にようやく到着し、すぐに乗客が降りて機内の掃除が始まった。最初は本当に1時間後に出発できるのかかなり疑問だったが、かなり迅速に物事が進められ、あっという間に搭乗準備が整ったので感服してしまった。さすがプロである。待たされていた乗客もささっと乗り込み、いざナイロビへ出発である。

9/12 セネガル1日目 ついにダカール到着

ナイロビは先月(20138月半ば)に空港で火災があり建物の一部が燃えてしまったため、新たに張られたテントを使ってオペレーションしていた。お陰で前に来た時と少し勝手が違い、間に合わないかと思ったが、なんとかギリギリで間に合った。次の便の出発時刻40分前に到着し、トランジットやら何やら手続きを済ませ、ゲートに到着すると係員に名前を聞かれるくらいには遅れていた。
ナイロビの空港は、到着した飛行機から直接建物に移動することはできず、乗客全員がタラップで降りてバスに乗り、国際線乗り換えか、国内線乗り換えか、に応じて別々の場所で降りるという仕組みになっていた。見かけは思ったほど燃えておらず、円環状のゲートの多く?は無事だったようで待合室としては機能していた。ただ、まだオペレーションはうまくいってないようで、本当はFinal callの便でも、電光掲示板にはまだ出発ゲートすら出ておらず、係員に聞かないとわからないという状態であった。ジョモケニヤッタ国際空港(JKIA)は東アフリカのハブ空港でかなり重要な役割を担っているので、一刻も早い回復を願うばかり。

臨時で使われているテント


ナイロビーダカールの3便目は、コートジボワールの首都アビジャン経由で、ナイロビ時間午前95分発、ダカール時間午後340分着だ。時差は3時間なので、ストップオーバー1時間を含め、10時間くらいかかる予定である。アビジャンまでは約6時間、アビジャンからダカールまでは約3時間といったところか。人生で圧倒的最長時間のフライトである。しかも、時差9時間を克服するべくたっぷり寝るつもりだったが、実際に30時間のうち寝たのは6時間強でやや寝不足感は否めない。
地上には降りられないが、せっかく西アフリカに来ているので上空からでも景色を拝みたいと思っていたが、the熱帯でどこもかしこも厚い雲がどこまでも空を覆っており、地上を全く見ることができなかった。アビジャンでストップオーバーした際に、郊外の団地のようなエリアを見ることができたが、それも雨と雲ですぐに見えなくなってしまった。


これこそ熱帯というべきか、ケニアの首都ナイロビを出発して以来、結局ほとんど上空は雲に覆われており、下界を見ることはほとんどできなかった。そんな中でやっと目的地に近づき下降し始めた飛行機から見えたダカールの街は、新鮮であった。ナイロビやキガリ、カンパラとは全く違うという印象を痛烈に受けた。緩やかなカーブを描いてどこまでも続くアフリカ大陸の海岸線からにょきっと大きな砂嘴のように出っ張っている約15km四方におさまる半島が海の中に浮かんでおり、その全体にビルやマンションがびっしり、時にまばらに不規則に立ち並んでいる。南国にふさわしいクリーム色やオレンジ、黄色に塗られた建物の中に、ナイロビやキガリのような緑の自然は少なく上空からでも砂っぽい雰囲気が伝わってきた。半島の南先端にはたくさんのカラフルなコンテナが積み上げられた大きな貿易港がどっしりと構えている。西アフリカの中心地というに相応しい。これがダカール。
ちょっと平面過ぎるけど、上空から見たダカール

上空から見たダカールという街に満足しつつ、31時間もの長距離フライトを終えた自分が空港に降り立ったのは現地時間9/12()16時頃であった。飛行機から降りた瞬間に吹き付けてきた生暖かい風と強い日差しを感じながら空港の建物に入った自分は、サクサクと入国手続きと宿への移動を終え、次の日からの観光に備えて午後9時頃に寝た。とまとめたいところであったが、そこまでうまくいかなかった。
事前にオンラインで申請していたビザ(実はセネガルがビザ取得を入国要件とし始めたのは20137月からで、それまではビザ要らずで入国できた。)を、初めての一人でのフランス語環境に緊張しながら無事取得し、入国できたのは良かった。バゲージも2回のトランジットを経てロストすることなく回収できたのも良かった。しかし、蛍光の黄色のジャケットを着た若い兄ちゃんが自分のところに寄って来てバックパックを持ち始めてから、ぎくしゃくし始めた。兄ちゃんは空港職員なのかと思いきや、事実そうだったのかもしれないが、空港の外まで荷物を運ぶと「金をくれ」と言い出した。これを聞いた瞬間、『出た』と思った。頼んでもいないのに勝手にやって金をせびるパターンである。バックパッカーでも嫌う人が多い。先進国の人間だからと足元を見るのは本当にやめて欲しいものだ。全く意味不明だったので絶対あげないと突っぱねた。当然である。
次に別の兄ちゃんが英語を話しながらやって来て「タクシー乗らないか」と言ってきた。まだ着いたばかりだし、バスのルートも全然わからなかったので、タクシーで良かろうと思って同意したのが間違いであった。ナイロビの空港がそうであるように、空港からのタクシーには注意すべきだったのだ。その兄ちゃんは、タクシーに乗るよう言ってくるのだからタクシードライバーなのか、と思いきやそうではなく、英語で通訳して助けたからとか何とか言って金をせびってくるただのクソ野郎だった。その兄ちゃんは自分を勧誘しておきながらなぜか助手席に乗り込んできたので、どう考えてもこの時点で止めるべきだった。初心者かっ。しかし、価格交渉で5,000セーファーフラン(1,000)3,500フランまで下げて安心してしまっていたためそこまで考えが及ばなかった。結局、通訳代やなんやかんやで、空港から宿への移動に使用したタクシーには、10分程しか乗車しなかったにも関わらず、5,000フランもとられた。お陰で自分のセネガル人に対する心象は一気に悪くなった。やはり空港では気を許してはいけないということだ。しかし、あとで聞いたところによると空港からはどこまで行っても一律5,000フランらしい。しかも初めての街で夕方に到着したので暗くならないうちに確実に到着したいという思いもあった。だから仕方なかった、というのも言い訳にしかならないが
また、元フランス植民地で公用語がフランス語であるため、1ヶ月程度しかフランス語を勉強していない自分にとっては、宿や道端の店で話をするのが大変で、この点でも気疲れした。それでも、日常会話によく出てくるような単語や文法を少しだけ身につけていたため、全くの白地で行くよりは遥かに良かったと思う。
宿の近くのVDNという道路。主要な道路の一つでかなり大きい。


このように初心者のような苦労をしつつ、セネガルのyassa、ヤッサという玉ねぎの香辛料炒め物とチキンを夜飯にほうばりその日は寝た。初日だったのでまだ不慣れだったのかもしれない。ヤッサはコショウがきいていておいしかったし、チキンはこんがり焼けてて良い感じ。
上側にあるのがヤッサ。ライスたっぷりでお腹一杯に。

西アフリカでの宿泊(シエラレオネ、リベリア)

【シエラレオネ】
◆◆フリータウン Freetown◆◆
NGO職員経営のゲストハウス(名称不明)
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・    ロケーション
中心地のTownに行くにはタクシー2,000くらいか、オカダ2,000-3,000くらいはかかる程度に離れている。
非常にわかりにくい。パッと見では宿とは思わないし、こんなところにあるとは誰も思わない。
行き方:Sea coach expressの波止場からアバディーンジャンクション、マレータウンジャンクション、Congo Cross Aboutコンゴクロスアバウト、と来て、Congo Crossに入ったらすぐ右手に緑のレストランが見えるので、そのレストランの道を挟んだ反対側の砂利道を降りる。突き当たりのT字路で左に曲がり、二つ目の交差点を右に曲がる。曲がったあと、GoalというNGOのオフィスが途中右手にあれば正しい道を来ている。でこぼこな砂利道を海の近くまで(砂浜までは行かない)降りると、左手にエメラルドグリーンの鉄門があるはず。
・    部屋、料金
シングル: 20USD(最安値)。一応専用のシャワー(ホットなし)、トイレありだがよく断水する。スタッフに頼めばバケツに水を入れて持ってきてくれる。
・    設備、ネット環境
よく停電する。BF型とC型のタコ足あり。夕方から朝にかけて電気が来る(断続的)ので、寝ている間の充電などで困ることはないと思われる。停電に備えた電圧調整器あり。扇風機あり。蚊帳あり。7,500SLLでコーヒーとパンと卵焼きの朝食。洗濯は無料。
wifiは有料で使えるという噂だが、自分は、近くのOasisレストランまで行っていた(6,000SLL/1h、頼めば使用時間に応じて分割可。場所はスタッフに聞けば懇切丁寧に教えてくれる)。
・    セキュリティ
出入り口はかなりしっかりガードされてる。部屋も鍵しっかりしてる。基本的に安心。
・    言語
英語通じます。
・    その他
スタッフはかなり親切。部屋暗し。スペックやロケーションの割には高いと思わざるを得ない。ただ、アバディーンとかその辺に用事があるなら、タウンとの中間で丁度よいロケーションかも。
左手の木の奥にあるのが宿。濃緑の大きい門が目印。

中の建物の外観。なかなか立派。


The Place Guesthouse
Lonely Planet: △(なぜか宿が改装し高級化されたと書いてあるがそんなことはなく、同じ場所で同じ価格帯でやっている)
・    ロケーション
Rawdon St沿いにあります。海沿いにあるバス乗り場から3ブロック山に向かって歩き、次のブロックの左側に見えてくる、青いガラス張りっぽい3,4階建ての建物です。バス乗り場まで徒歩5分ちょっとで着く。
・    部屋、料金
シングル: 50,000SLLー70,000SLL
シェアシャワー(ホットなし)・トイレ。割とこぎれい。
・    設備、ネット環境
バスタオルあり。BF型のコンセントあり、滞在中は停電しなかった。ベッドに蚊帳はないが、窓にはあり。回転が遅いがファンあり。洗濯は有料。バスタオル2,000SLLだった、割高。
wifiは飛んでないが、宿のある通りを海に向かって北上すると右手の角に、赤い壁のミレニアムなんとかという店が見えてくる。そこで6,000SLL/1hで使ってた。
・    セキュリティ
部屋の鍵がぼろく、セキュリティに不安あり。宿の出入り口は管理されてる。
・    言語
英語通じます。
・    その他
町の中心地にある割には安く設備もしっかりしてると思った。

中央の青い建物が宿。写真の中央に見えるのが看板。



◆◆ボー Bo◆◆
Green Leaf Guesthouse
Lonely Planet: ×
・    ロケーション
うまく説明ないが、地元の人に聞けばわかると思う。バス乗り場からオカダで1,000SLLで来れる。
・    部屋、料金
シングル30,000SLL、25,000SLL(別棟)
シェアシャワー(水汲み)、シェアトイレ。
・    設備、ネット環境
BF型のコンセントあり。窓に蚊帳はあるが破れている。天井にファンあり。
wifiは街中のネットカフェに行ってもあるかわからないような感じ。
・    セキュリティ
鍵は凄く脆く、壊そうと思えば簡単に壊せる。かなり不安あり。
・    言語
英語通じます。
・    その他
特になし。
撮るのを忘れたので宿の写真はないが、代わりに宿の前の道の写真。




【リベリア】
◆◆モンロビア Monrovia◆◆
St Theresa's Convent
Lonely Planet: ○
・    ロケーション
町の中心地にRandall StとUN Drの交差点近くにある。宿の名前が書かれたペイントあり。
街の中心部どこでも歩いて行ける。徒歩15分ほど。
・    部屋、料金
ダブル25USD(、40USD、50USD。)
シェアシャワー(ホットなし)、トイレだがいずれもきれいで複数ある。ただしシャワーは一つしか水が出なかった。
・    設備、ネット環境
部屋は明るくてきれい。強力な扇風機あり。プラグはA型が一つ。蚊帳は窓にあり。
UN DriveにCape Hotelがあり、10USD以上オーダーすれば無料でwifi使える。徒歩10分くらい。けっこう探したが、町中にネットカフェはあるがwifiはない。
・    セキュリティ
PM10時~11時半のどこかで門限ありでセキュリティゲートあり。部屋の鍵もしっかりしている。
・    言語
英語通じます。
・    その他
近くに外人向けのスーパーがあり便利。宿は大きいのに宿泊客が少なくて不安になる。
宿の建物。立派。

ズームし過ぎて回りが見えないけど宿のサイン。けっこう大きく書いてある。

宿の前のRandall St。