2010年11月7日日曜日

日常生活など

こんばんは。予告通り、研修中のことを振り返っていきたいと思います。
初回は自分の生活の振り返りです。
他の方のブログを見たら、なんとなく難民とか現地の人の様子については
避けているように見えたので、今後デリケートなところにどう触れていけるかわかりませんが
出来る範囲で書いて行きたいと思います。


住んでたところ
2ヵ月間テントでした。
最初は初めてのテント生活とサバイバルのような感じにわくわくしていましたが、すぐに慣れてしまい、そんなわくわく感は消えてしまいました。笑

他の同僚たちは持参なのか自分で作ったのかわかりませんが、机やらイスやらをテント内に持ちこんでました。当然僕にそんなものはなく、本を読むにしろPCをいじるにしろ、地面の砂の感触や、虫の動きが伝わってくる床に寝そべりながらしていました。嫌というわけでは全然ないのですが、長時間座ってる、または寝そべってると体のどこかが痛くなってきます。笑




8月末のとある休日の朝6時ごろ、いつもの鶏の鳴き声で目を覚ましてベッドから起きて床を見てみると何やらアリが。それまでアリをテント内で見たことがなかったので少し萎えました。テントの中で繁殖されると困るからです。というわけで、アリならすぐ捕まえられるので、つまみだそうとしました。

よく見ると1匹だけじゃなくてそこそこの量のアリが床を這いまわっている。アリに限らず、テント内に入った虫は徹底的に駆除していたのでアリも全て駆除しようとしました。

しかし今まで来た事がなかったところに、何か特別な理由なく来るはずがない。アリを駆除していると、売店で買ってきたウエハースの袋にも群がってました。まさかと思い、開封済みのお菓子を見てみる。案の定、数匹のアリが群がっている。アリはこの糖分を床の裏からか敏感に察知したらしい。恐るべし。
寝起きにこんな光景を見てしまい嫌な気分になりましたが、せっかく買った貴重なお菓子をこのままアリに食われてたまるかと思い、まだ買ったばっかりだったそのお菓子の1/3くらいを朝からがっつきました。超甘かったです。

ウエハースを少し食べてアリを駆除し始めるとテントの床に小さな穴を発見。穴があいてしまったら今後ずっとアリとお付き合いしながら生活していかなきゃいけない。それは何が何でも嫌だったので、せっかく休日だしということで一念発起して荷物を全部片付けて大掃除することにしました。バケツに水を汲み、洗剤を投入。ハンドタオルの中から比較的汚いものを選別。アリが入ってきた穴を中心に、床に洗剤入りの水をぶちまけて一応洗いました。
この大掃除のあと、一度だけアリが入ってきましたが、それ以外、アリが入ってくることはありませんでした。

毎日こんな感じのハプニングがあったわけではないですが、一つのエピソードということで。

2010年9月28日火曜日

腑抜けの反省

今ADEO Nairobi Officeから投稿しています。
昨日、ボスと一緒にDadaabからNairobiに飛行機で帰ってきました。
なんだか今まで一緒に働いてきた仲間や
その他友人たちと別れるのがとても辛かった。
2ヵ月も共同生活して、集中的に仕事してたのだ。
Nairobiに帰ってくるまでの間、
ボスと話をしていたので、フライトの間郷愁に浸ることは免れたが
本当に温かい人たちだった。


DadaabとNairobiのギャップすら激しくて
なんかもうただの腑抜けみたいになってます。
日本帰りたくないー。
いやNairobiは居心地悪いから帰るなら早く帰りたい。
さっきマサイマーケット行って来てバーゲンしてきたのだが
多少失敗した気がする。予算をオーバー。汗
自分のために買ったのもあるけど
それを加味してももうちょっと粘るべきだった。
、というようなこすいことがDadaabでは全くなく、
その場でお金を出せなくてもツケにできるし
お店の人ともお互い知り合いだし、
すれ違う誰もと挨拶できる関係だし。



ここで一つ反省があります。
研修が終わってしまった今、ブログをもっと書いとけばよかったと。
いろいろ制限はあるのですがそれでももっと書いておけばよかったと。
現地にいる間の視点からしか書けないこともあると思うので。
もう研修は終わるわけだから
過去を振り返って投稿しても意味ないし。
今更何を後悔しているのやら。笑
ちなみにですが、日記は
220ページ
140,000文字
書きました。本ですね。絶対出版できないけど。笑



研修を終わって、昨日から今日にかけていろいろ感じたこと、経験したことを
文字化して整理しました。
いろーーんな面で成長したと自負しています。
何が一番大きかったかというと、
自分の今いる地点、これからの方向性がはっきりしたこと。
はっきりすることと、決まることは同義ではないのですが、
間違いなく確信を持って言えることがあります。

国際協力、人道支援という分野で働くことが
自分にとってどれだけ幸せなことなのかわかった。
人の不幸の上に自分の幸せを乗せるという意味では不謹慎だが、
幸せを追求する最低限の生活が送れない人々を支援することが
自分のQOL(Quality Of Life)を高めることにつながる。
僕はそういう人間なのだ。
世の中の全ての人が自分のQOLを追求できる、という世界が僕の目指すべき世界なので、
QOL追求のための必要最低限の生活を送れる人全員が、
必要最低限の生活を送れない人たちを支援しなければいけないとは思わない。
人はそれぞれのQOLを追求すればいい。
自分は自分。
そういう生活を余儀なくされる人を支援することが僕のQOL向上につながるのだ。
僕がそういう人間でよかったと心から思います。

研修を通してBeneficiary(受益者。Dadaabでよく使う言葉です)に
本当に有意義なことができたかはわかりません。
ボスと話をしているとあながち無駄ではなかったかもしれないとも思います。
仕事の成果という意味では後悔ばかりです。
が、自分の将来への投資という意味ではすごく、とてもいい経験になりました。



人々と別れる際にものすごく意識した言葉があります。
Good-bye.
日本語で言うなら「さようなら」。
どちらも基本的にもう会えない人に告げる言葉だそうです。
See you againと言いたい。


ではでは。また。

2010年9月27日月曜日

旅立ち

今、Dadaab出発日の朝。
ついにこの日がやってきてしまった。
本当にいろいろなことを経験した。
どれもこれもとても有意義で、今後の自分の人生に役立つだろう。


最後の3日間、人の温かみをとても強く感じた。
まさかこんなに、思い出、が残る研修になるとは思わなかった。
いろいろな人に別れを告げるのが辛い。



今日の夕方、Dadaabを発ちます。
今日と明日、Directorの家に泊まって、
明後日、日本に帰ります。

今後日本に帰るまで更新できるかわかりませんが、
できる限り更新したいと思います。
それでは。

2010年9月23日木曜日

あらためて、自分にできること

こんにちは。
残り5日です。
最近かなり悶々としてましたが、昨日今日で一気に回復した気がします。




今まで感じたこと、考えたことをいろいろ書いてきたが、
ここにきて初めてはっきりした手応えを掴んだ。
今まで出してきた結論より確かなものだ。

わかった。
自分がはっきりした答えを得られなかった理由がわかった。
自分に答えを与えてくれるものが自分の求めている先になかったからだ。
難民キャンプの現場に来てもわからないものはわからないのだ。
わからないことをはっきりさせて
それに対処することが仕事なのだ。
なぜこんなことがわからなかったのか不思議でならないが、
今まで気づかなかったのは事実だし、気づかないよりはいい。

もちろん、難民が生活する上で必要な環境を整えるという
至上命令があり、それを分割し対処していけばいいのだが、
それは一般的な話であってキャンプの現状に対処しているとは限らない。
しかもこのキャンプはものすごく大きくて
現状を把握することがとても大変。
把握して次のオペレーションに移る頃には
膨大なnew arrivalのために次の課題が生じている。

支援側の運営自体、うまくいっているとは言えなくて、
まず組織内での情報共有がうまくいっていない。
おまけに活動しているagencyが国連を含めいっぱいいるから
その間で情報共有が必要。
さらには分野相互にまたがる問題もあるから
分野を越えた情報共有も必要。
そのうち新しい分野として確立するのかもしれないが。

常に新しい問題が生じて、それに対処しなければいけない
というとてつもなく難しい状況に直面している。

これが自分のレベルにどう還元されるかを次に書く。

自分は研修生で一人でキャンプに行くことすら許されていない。
(何回か許可を得たうえでトライしたけど失敗した)
そんな人がいくらキャンプの現状を把握しようとしたところで
無理なのだ。こればっかりは無理なのだ。
プロの人でさえいっぱいいっぱいなのだから。
ということは現時点では自分に出来ることは何もない。
同僚を巻き添えにしていかない限り
残念ながらこの結論に恐らく間違いはない。

しかし、じゃあ研修で何の成果も残せないかというとそういうわけではなくて
自分の仕事は目の前にある地元のコミュニティで、一応一人で行ける。
じゃあ自分で繰り出して行って問題を把握してくればいいじゃないか、
と思い、22日(水)に町に出かけ、今日23日(木)はユースと一緒に町の中を回った。
残り研修期間も短いし、何か地元の人のためになることができたわけではないのだが、
もう2週間ほどあれば、今までの経験を生かして何か出来たという感触を得た。
お金が前提になるが、自分にも何かできることがあるという感触が得られて良かった。
そうでなければ失望のまま帰って行くところだった。


以下、具体的な話である。難民じゃないから書けるはず。

話を聞かなくても一目瞭然なのだが、町にはゴミが散乱しているし
トイレもあるようには見えない。
病院に大きなタンクはあるけれど、どこで水を定期的に得ているかもわからない。
2ヵ月間目の前にあり、HIVという焦点で活動し続けながら
こんなことを何一つ知らなかった。
灯台もと暗し。


今日、23日(木)午前中、1時間半程かけて
ユースのリーダーと副リーダーみたいな役職の二人に町を案内してもらった。
Dadaabに来て53日目にして初めての体験。
水を供給しているタンク、人々が水を得る場所、
ゴミ処理について、唯一の燃料である薪について、
家畜を殺す場所、トイレについて。
それはまあキャンプより悲惨なのではないかと思った。
これは書いて問題ないと思う。

南北に走るメインストリート沿いに東側に支援組織の人々が住む敷地、
西側に町(村)が広がる。
いわゆるマーケットという中心地はこの道沿いだけだ。
メインストリートから放射状に住居が点在している。
普段はメインストリートしか歩かないのだが、今日は西側のかなり奥まで歩いた。


路地と言うのかなんというのか。
Hagaderaキャンプと同様、狭い上にくねくねしている。
家と道とは周囲の林から集めてきた枝で分けられている。
路上には野生のヤギの糞やゴミやら散乱している。


住居
家はキャンプと同様、木の枝やレンガでできている。
ここでは圧倒的に木の枝が多い。
屋根はUNHCRが支給したシートやアイアンシート(1枚850ksh=1020円)
で覆われている。
家を建てるのは住民にとってかなりの負担だと言っていた。
ただ、キャンプに比べて圧倒的に家の敷地は広い。
その代り区画も何もあったものではない。


トイレ
共用トイレというものはなく、
各家庭にトイレがあるかないか。
トイレがない家庭は、住居がなくなるところまで行き
草むらでするらしい。これはかなり不潔だし
人々の衛生状態にかなり影響を与えている気がする。
3割~4割程度の家庭しかトイレがないらしい。
あるとしてもボットン便所。どう処理しているかまでは聞かなかった。



・District Officeというメインストリートの北の端にある行政地区にあるタンクからパイプが出ており、そこから村にある4つあるKioskという有料の水くみ所に供給している。
・可能であればほぼ毎日、貧しく余裕がない家庭は時に2日に一回、ジェリーカンという20lのを水を収容できる容器を4,5個かそれ以上かそれ以下持って、水を汲みに来る。
・5ksh(=6.25円/ksh)/20l。毎日80l使うとして20ksh。月600ksh。んー、家族構成によってもっと少ないかもしれないし、節約すればもっと少なくて済むかもしれない。
・運営はwater use councilなるものがしており、各Kioskに担当者が1,2名ついている。
・村人は普通、タンクを転がす。地面はヤギやロバの糞がいっぱい。至るところにゴミが散乱。
・Kioskは村に4箇所あり、全て同じタンクから水が供給されている。遠いKioskは水の勢いが弱いし、時に断水する。
・全てのKioskを回ったが、一つのKioskは村で一番ゴミが溜まっている場所の隣にあり、村人はそこでも相変わらずジェリーカンを転がす。水はきっと汚染されているに違いない。もう一つのKioskはタンクから一番離れていて行列をなして人々が待っている。水をめぐって昨日喧嘩があったらしい。


ゴミ
ゴミ収集所なるものは全くない。
なんとなくゴミがいっぱいあるところはあるが、そこら中に散乱していると考えてもらって差し支えない。写真の通りである。
トイレ、水の供給と並んで、この地域の汚染に大きく貢献しているように見えた。



この地域の唯一の燃料である薪。ちなみにADEOでは炭を使っている。
村人の中に、ロバを使ったドンキーカートで遠出し、
薪を採集してくる仕事をしている人がいる。
その人たちから薪を買って、調理等に使う感じ。
ドンキーカートいっぱいに積んだ薪を買って1200ksh。25日持つらしい。
これ以外燃料がないから仕方ないが、大気汚染につながっているはず。


とまあこんな感じである。
キャンプとは違うところもかなりあり、こちらの方が貧しいように見えるが
概して状況は変わらないと思う。
ただ一番違うところは、行政の主体がこちらの方がはっきりしているということだろう。
ケニアでは、水は無料というわけではなく、企業が供給していたりするのだが
それで上手くいっているわけではなく、Dadaabのような地域でそれが表れている。
薪の供給、トイレの建設、ゴミ処理、
どれをとっても本来は行政組織の仕事だと思う。

ケニアのテレビを見ていると、政府が何をしているかは
あまり報道されておらずきれいに包み隠されているように見える。
現に、ケニア国内のニュースを見ている限りでは
先日の憲法改正で、改正直前に議員の給料がバカ高い金額で
保証されることが規定された文章が盛り込まれたことが
全く報道されていない。
同僚のケニア人の間から、給料の低さに対する不満は聞いても
年1000万円近く給料をもらう、政府に対する不満を聞くことはない。




現状を見て自分でもできる、という感触を得ることはできた。
でも、beneficiaryのためになることは間違いがないが、ただの自己満に過ぎないとも言える。
支援が自己満に終わらないために何が自分に必要なのか。

これまでキャンプで53日過ごしてきて
だいぶ状況がクリアになってきた。
具体的な情報はクリアでないところが多いが、
ここで活動するために何を念頭に置きながら活動すればいいか、
というフレームワークがクリアになったと思う。
これはDadaab難民キャンプに限った話ではなく、
どの仕事をする上でも役に立つかもしれない。
携わったことはないからわからないけれども。

支援業界で物事を見るために必要なフレームワークがわかった気がする。
もちろんたった2ヵ月いただけで全てを理解できるわけではないが、
フレームワークの一片をつかんだ気がする。


もうMDGs review summitが終わっている。
日本の首脳が出席したのか、どういうレビューが行われたのか、
これからの戦略はなんなのか、気になる。
ではでは。

2010年9月20日月曜日

最後の一週間滑り出し

19日(日)
今日は午前中、レポートを仕上げにかかる。
もう一回読み直してみて納得がいかず再構成する。
明日Red Crossに行ってデータをとってくる予定なので
もうちょっと時間がかかるかもしれない。

午後はうつらうつら昼寝をしてから読書。
あと一週間なのにコンパウンドでじっとしているのももったいないので
なんとなくぶらぶら歩く。
友人に会いに行くが不在で会えず。
バスケもあまりする気にならず。

しばらくぶらぶらした後、コンパウンドに戻り
同僚と話をする。
休暇中だった同僚が帰って来たので盛り上がる。笑

今日は仕事しつつリラックスしてました。



ついに最後の週。
そしてボスがまた来る。
帰りたくないです。笑 帰りたくない。
まだまだやり残したことが。。
いっぱいあり過ぎて。

でもいくら滞在してもわからないことはわからない。
働いている人も把握していることに限界がある。
だからと言って自分が知ることができることに
限界を作るわけではないが、
長すぎるよりはよかったかもしれない。
ただの正当化か。
でも3ヵ月が一番良かったな。
休みもとれて他の場所も行けただろうし、
ナイロビももう少し知ることができただろうし。
まあ後悔しても始まらないし、
今はこの経験をどう今後に生かしていくか、
今までの自分をどう変えていくか、
が大事だと思う。


最後の一週間もうすぐ滑り出します。
ではでは。

もやもや感

こんにちは。
また間があいてしまってすいません。
今回ばっかりは僕にはどうしようもなかったので
ご容赦ください。
①オフィスのネットが使えなくなった。まだ復旧してない。
②前使ってたネットもつながらない。
というどうしようもない状況だったので。
この文章が投稿されるのもいつになるのか
自分でもわからないままに書いています。

これを書いている現在は9月18日(土)の午前中。
中学校建設見学4回目です。
今、作りかけの校舎の壁の日陰でPCいじってます。
と書くとかなり陰湿な感じが漂いますが。笑
前回来た時は、朝早く来て昼過ぎまで、
一通り建設の進捗を見た後ずーーっと床をコンクリートで
固める作業を延々見ていただけでさすがに無為だったので、
今回は学習してPCを持ってきたというわけです。
まあ日記を書くためではなく仕事のために持ってきたのですが。

というわけで今、未来の教室(屋根なし、壁は作りかけ)にいます。
端的に、狭い。30人用とはいえ狭い。
まして恐らく60人以上がここで勉強するのかと思うと、狭すぎる。
education meetingに参加したおかげでいろいろ具体的な情報が手に入り、
それを肌で感じられる環境もあって本当にありがたい。

今書きながら気づいたけど、窓もなく扉もなく、
ちょっと上を見上げれば青空と雲が見える。
すごく不思議な感じがするが、気持ちのよい景色。
昼になれば日差しが差して来てとても暑いだろうが、
この光景は何か不思議と気持ちがいい。
今回の訪問が恐らく最後になる。
完成した姿が見れなくて残念だが仕方ない。
でも完成した姿を見たところで、それ以上は何もない。
new arrivalの増加に伴い、やはり教室・教材・トイレが不足し、
収容可能人数を超えた生徒がこの中学校に通うという現実があるだけ。
必要なのはそれに対処すること。
もうちょっと感情を含ませるなら、
施工1週間後から1ヵ月半後まで、その過程を見てきた人間なので
完成した姿を見たら、いろいろと感慨深いと思う。

ちなみに、今日同僚がキャンプの中学校に行く予定だったようで、
それを聞いたのが今日の朝。
もうできあがっている中学校も是非訪問してみたかったのだが、
やむを得ず今日は諦める。
来週機会があれば是非行きたい。


①仕事について
②今週の出来事
と書きます。

さてさて。
もう残り10日になった今日この頃。
研修の終わり方について
いろいろと結論を出せていないのですが、
必ずしも悪いことを意味するわけではないです。たぶん。
レポートももう終わるし、これから何をすべきかも提示できる。
が、今自分が考えている締めくくりで本当にいいのか。
コミュニティ、ADEOの今後につながるのか?
まあそもそもお金とスタッフが足りてないから
自分の今後を引き継いでくれるお金もスタッフもいない可能性は高い。
僕がやっていることは、軌道に乗れば意味があることだと思うのだが
今のADEOでは軌道に乗らない気がする。
自分の努力のおかげか、思わぬ幸運も重なり
ここまで来れた。でもそれがもつpotentialを十分に生かせないまま
しぼんでしまうのはもったいない。

仕事の具体的な進捗について書きます。
レポートを先週の木曜から書き始めて、
終了にかなり近いですが、今もまだ書いてます。
というのは、もっとレポートの精度を上げようと思い、
データをかき集めているから。
のですが、とある国際NGOの怠慢のお陰で大分足を引っ張られてます。
ここに来てケニア人の時間のルーズさに悩まされる。
ということでレポートは終わりそうです。

で、レポートを書くにあたって、
Dadaab(難民キャンプじゃなくて地元)で
HIV/AIDSの予防啓発に携わっているユースグループに
いろいろとお世話になっていることは前にも書いたと思います。
今週の火曜、ユースが、
HIV啓発活動をしたいから援助して欲しいと言ってきた。
金銭面の話はとりあえず置いといて、
仕事の締めくくりに何か具体的なプロジェクトをしたいと思っていたので
これは思わぬ幸運だった。
で、昨日17日の夕方にproposalを受け取った。
が、実質残り1週間なので、とにかく全て急ぐ必要がある。
で、昨日の夜proposalをチェックしてみたら
まあ何を目標に何をしたいんだかよくわからんもので、
車を使いたいらしく、全部で70,000ksh要求してきたけど
同僚の給料とかを考えると大金だし
ぽんっと出せる金額では全くない。
プロジェクトの具体的な内容も、
本当にそれが効果的なのかかなり疑問だし、
そんなもののために70,000kshも出せない。
なので、自分が作ったサンプルをつけて
もう一回proposalを書き直させようと思ってます。

ということで今、仕事では2つの軸で動いていて、
レポートと、ユースとの関わり。
今後の展望としては、
①レポートで、地元のHIV事情を改善するために何が必要か明確化して、
それを実践させる主体としてユースを挙げる。
だがユースの活動の質はどうやら低そうなので
キャパビルも含めて支援することで、
 A、地元のHIV事情を改善する
 B、自立を促す。
といったことを提示する。ということを考えています。
②今現在、ユースに働きかけるチャンスがあるので
(proposalをしっかり仕上げさせるという意味で)
まず、proposalを完成させる。
その中で、目的を明確化するとか、そのための戦略を立てるとか
明確なターゲットを設定するとか、具体的な数値目標を立てるとか
要するにほとんど全てなのですが、
そういったことをしていく必要があることを教える。
これを学んでもらって、僕がいなくなった後もADEOと交渉して
自分たちのプロジェクトの実現につなげてもらえれば。
が、たった一週間で教えたことの持続性はたかが知れている。
やはり今後継続してユースとコミュニケーションをとってくれる人が必要。

仕事はこんなところです。



今週の出来事
13日(月)
educationについてのワークショップがあったので
それに参加、と見せかけて、興味深いmissionがあったので
そちらに参加。

14日(火)
Red Cross訪問、学校の先生に会うが約束をすっぽかされる。
一日データの整理。
ユースからproposalがあるという話を聞く

15日(水)
Assessment Missionに参加。
healthチームに入り、MSFの病院とHealth Postを訪問するが、
後から違うチームにすれば良かったとだいぶ後悔。


16日(木)
Assessment Missionに参加。
registration centerとresettlement centerを初めて訪問、見学。

17日(金)
約束をすっぽかされてだいぶ腹が立つ。
Assessment Misisonのdebriefingに参加。
ユースのproposalを受け取る、めった切りにする。

18日(土)
新しいキャンプで建設中の中学校・小学校・警官の宿泊所を見学。
ユースとミーティング。


「今週の出来事」を書いている現在は18日の夕方。
中学校を見学した後、同僚の仕事仲間の車に乗せてもらって
他の建設中のサイトも少し覗かさせてもらった。
これで得た収穫は、新しい建設現場を見られたことではなく、
新しいキャンプの物理的な像を少しつかめたこと。
今まで中学校の位置がよくわからなかったのだが、
区画をつかんだことで、相対的な位置を把握。


Assessment Missionについて。
2ヵ月という短い滞在でいろいろなものを経験してきたが、
このmissionと時期が重なって本当に幸運だった。
理由は後述です。
正式名称はJoint Assessment Mission、通称JAM。
現場で活動に携わっているNGOが協力してやるsurveyは
今まで3回程見てきたが、今回のassessment missionは少し違う。
本当に有意義な活動をしているのかを把握するために、
活動の評価をすることが目的。
参加者の多くは現場で働いていないナイロビやドナーのある国、地域の人。

Food security, Sanitation/water/..., Health/education, Road/environment,
Protection, Relationship with host community

という6チーム。
ADEOから二人、実質一人が参加。
一人は風邪を引いているのになぜか参加して、
終わって帰ってきてはだるいだるい言っていた。
体が弱いようで、最初はかわいそうにと思っていたが、
風邪?をうつされたらたまらないし、なぜ養生しないのか
全くわからないのでだんだん対応が雑になった。ごめんなさい。

で、ADEOからHIV/AIDS coordinatorが参加。
関係ないところに参加したらまずい気がしたので、
後ろ髪をひかれながらhealth teamに参加。
もはや見慣れた顔ぶれ。

3日の調査のうち、後半2日に参加。

最初の日はDagahaleyに行き、MSFの病院とHealth Postを見学。
Health Postは保健所がアップグレードされたようなもので、
病院に送る患者のscreeningが実質的な仕事だと思います。
MSFの病院はこれが3回目の訪問。
中を見学するのは初めてだけれども
話があまり聞きとれず有意義な感じがしなかった。
声が小さい。。。。全然聞こえない。。
VCTの情報とHIV事情を少し仕入れられたことが収穫。
Community Health Worker(CHW)と話ができたのも大きかった。
いかにコミュニケーションが難しいかを痛感した。
地元の人と今までいっぱいコミュニケーションをとってきて
なんとなく彼らの感触を掴んでいたが、
難民はまた違う感じがした。
根本的には一緒なのかもしれないが。

次の日。
今まで行きたい行きたいと思っていたregistration centerに行けていなかった。
しかし、ここにきてJAMのProtectionチームは
その関係の施設を訪問することが判明!!
ADEOと全く関係ないが、入れてもらうことができた!!
全てが新しい経験で、
難民とのコミュニケーションもとれたし、
情報をしっかり仕入れられたのでとても有意義だった。
といいつつ、一日訪問しただけでわかった気になっていいのか
かなり疑問なのだが。
得た情報を共有したいのですが、
かなり難民のプライバシーに関わるのでやっぱり無理です。

JAMを通して感じたこと。
僕みたいな身分の人がいろいろ経験を積むにはよい場だが、
Assessment Missionとしてはかなり意味がない気がする。
health teamで調べていたことは、
以前のsurveyで見たのとかなり似たりよったりなところがある
ように見えたし、
educationチームの報告の一部に、
校舎が古く、トイレのキャパを大きく超えた使用人数がいる
という報告があったが、そんなの誰が見てもわかるし、
この前のsurveyで報告されてたわ。
食糧配給の問題点なども、この前のnutrition surveyのquestionnaireで
確認されていた。

現場にいない人間が1週間だけ現場に来て、
難民やNGOの人々の立場も考えずに
ずかずかと意見を言いに来ただけにしか見えない。
そんな中に自分がいるという矛盾もあるのだが。
まあドナーからも参加者がいたことも加味したら
そういう要素があっても仕方ないかもしれないが、
それはごく少数だったし、
僕が二日とも偶然同じチームだったドナーの人は
JAMを客観的に見られているようだった。
2008年のJAMのrecommendationも実行できてないものがある、
と言っていたし、本当に意味がよくわからない。
何か歯痒さを感じながら過ごしたJAMであった。

あっという間の一週間だった。
もうあと10日。9夜。

この研修を通して得たものはかなりある。
が、今一言葉にできない。
得たものがいろいろあり過ぎること、
最初にいた位置から前進し過ぎて
今まで得たものが陳腐に見えること、
などが原因。
今まだ研修しており、新しい情報を獲得し続けている段階なので
整理出来ていなくても仕方ないとも言えるが。

幸せがどうのこうのとかいろいろ書いてきたけど、
問題意識がかなりはっきりしてきたかもしれない。

ではでは。

2010年9月13日月曜日

チルチルミチル

こんにちは。
昨日更新する予定だったのですが、
夜忙しくて、できませんでした。
加えてネットの接続があまりよくないので
投稿したい時にできない、という事情もあります。

11日(土)12日(日)の出来事と
研修で感じたことを少し。
研修が僕自身のものである以上、
僕の視点から物事を書くので
かなり内容が中心化されているのは容赦ください。


11日
昨晩0時ごろ就寝。
寝ている所の性質上(テント)、
日の出とともに目が覚めてしまいます。
鳥が鳴き始め、だんだん明るくなってきて。
ですが昨日は7時半まで粘りました。笑
その後、即行で朝飯をかきこみ
この日は運動。最近は週2,3で運動してます。
しかし、睡眠不足なのか頭が痛くなり、
軽めにして終わる。
水浴び→洗濯→ネット使いつつお仕事→昼飯
→お仕事→ユース代表にインタビュー
→知人宅にお邪魔する→知人宅でご飯ごちそうになる
→知人の知人宅に行く→10時ごろ帰テント(宅)


12日(日)
起床→朝食→洗濯→お仕事→読書→昼飯
→読書→友人に会いに行く→読書
→友人に会う→帰宅→夜ご飯→現在

今日は特筆すべきことは特になかった気がします。
ああ、同僚が2人帰ってきて、コンパウンドの人口が1.5倍に増えました。
上司も帰ってきました。

レポートの次にあと2週間で何をやるかが明確になりつつあります。
自己満に終わる可能性もあるので
これを押し切るのがいいことなのかわからないのですが、
ちゃんと考えて実行すれば有意義なものになると思います。




昨日の夜、UNHCRはやっぱり凄いと思った。
ドアを開けたらそこはアメリカだった。笑
個人的に、ここでワインを持っていることは
ステータスの象徴なんですが、
家でワイン飲めるってのはすごい。笑
ソファーと椅子が4人分あったり
テレビがあったり
置物を棚に飾っていたり
ベッドがでかかったり
と。
そして普段のケニア英語とは全く違うテンポで
進んでいく会話。笑
日常会話は聞きなれないので、変な感じがした。



いろいろと考えさせられることも。
昨日は国連の人と話す機会が多くて
いろいろと話を聞くことができた。

組織はどこに行っても組織だなぁと。
マンネリ化はどこにでもあるのだなぁと。
こんな組織でさえも仕事がルーティン化するのだと。
これ以上書きませんが。



ということでやはり
確固たる信念みたいな、
自分の基盤・軸となるようなものは必要だと痛感しました。

そこで、俺にとっての軸とは何か。
前回の投稿で、次回「人をまとめる理念」について書く
と書きましたが、それはまたの機会にします。
なぜならそれは僕の軸に直接は関係ないからです。
少なくとも、僕の軸との関係性を
まだ、ブログの中では明確にしていないので
書くべき時が来たら書きます。
それは研修が終わった後かもしれないです。

軸とは何か。
その原点にあるのが
「幸せとは何か」
という命題になりつつあります。これがちゃんと自分自身と結びつく形で
自分の中に宿ればそれが大きな木になるのだと思います。

なぜこれが軸の原点になるのか。
なぜなら「幸せ」はどんな人でも欲しがるもので
そういう意味で自分と他人を一番直接結びつけるものだと思うからです。

じゃあ自分にとっての軸とは何か。
どうあがいても幸福を追求できないような不条理な現状を改善する。
人が幸福を追求できるような環境を作ることを、意味のある形で支援をすること。
これだと思います。これです。
やっとある程度明確な形で出た。
ずっと苦しんでいたところだけど、やっと一定の答えが出せた。

人は迷いながら生きていくものだと思います。
それは仕方ないものだと思います。
特に僕の場合はなかなか決断できないので
迷いまくってます。
が、何かを強く信じて決断して行動する力が欲しい。



自分は基本的に自分を隠すタイプなので
こういうことを書くのはとても躊躇するのですが、
こういう機会なので書いて見ました。
評価されるのが怖かったんだと思います。
全ての評価に左右されるわけではないけれども
それを受け止めてしっかり成長していきたいと思います。


ではでは。

2010年9月11日土曜日

仕事について

こんばんは。
今週、まだ一度もキャンプに行っておらず、
敷地内と界隈をうろちょろしてただけでした。
なんて閉鎖的。笑
本当は今日、同僚にくっついて行って
文字通り縦横無尽に駆け回る予定だったのですが
セキュリティの問題で行けませんでした。

閉鎖的と言えば、僕が高校一年だった時の部活の合宿の時のこと。
5泊6日で、宿と体育館はとても近い。歩いて2,3分。
なので毎日この超狭いエリアを行ったり来たりするだけ。
合宿が終わった帰りのバスで、今まで生活していたエリアから出た瞬間、
「ああ、今までこの狭いエリアから全く出ていなかったのだ」
と同じく久しぶりに聞いたiPodを楽しみながら感じたのをよく覚えています。
この時隣にいた親友も同じことをほぼ同時に感じて、
お互い共感しあってました。

ちなみに昨日、ラマダーンが終わったので今日は祝日らしいです。
ADEOは仕事してました。

さて、今日は、今日のことをさらりと振り返った後、
仕事について書きたいと思います。
他にもここに書けるようなことがまとまってきたので近いうちにアップします。


6時半起床。今日初めて6時間台に睡眠時間が突入。
午前中、建設現場見学行けず、オフィスでひたすらレポート書く。
13時40分ごろ、地元のユースに会うべく敷地内を移動。
しかしすっぽかされる。
その後、オフィスに戻りひたすらレポート書く。
19時過ぎ夜ごはん。
日記を書きつつブログを書きつつ今に至る。

レポートについては仕事のところで触れます。
ユース。もう何度も会って話を聞いているのですが、
今日は約束をすっぽかされた。
昨日約束を取り付けた時に、今日は祝日だからやめた方がいいんじゃないかと言ったのに。
明日16時に会うことに変更。
ユースは最後まで重要なので頼むから約束守って欲しい。。


仕事について。
Documentaiton Trainee Officerの肩書のもと、
host community(難民キャンプを受け入れている地元の村のこと)における
HIV感染者(PLWHA, People Living With HIV/AIDS)に対する差別の調査と
その後の活動の展開を担当しています。
(プラス、web掲載用の文章準備)
簡単に言うと、役職名はあまり意味がなくて、
host communityでのHIVの問題を分析してそれに対する解決策・改善案を提示する、
それを実践に移す、という3段階を仕事にしています。

日本にいた時は全くに近いほどHIVに触れていなかったのですが、
ここに来て、特に今日、HIVを仕事にできたことを良かったと思いました。
なぜなら、文系である自分が人の生死にダイレクトにつながる分野に
関われる数少ない機会だからです。
僕は本当は医者になりたかったのですが、
人には向き不向きがあって理系科目が超苦手でした。
苦手だから諦めるといのも嫌な話ですが、それは置いといて
医者になることを諦めたわけです。
でも今こうしてHIV/AIDSの予防や差別撲滅という活動に携われているのは
とても恵まれていると思います。
今挙げた理由以外にも、
refugeeではなくhost communityと関わる機会が増えた
といった理由でも今の仕事に就けて良かったと思ってるのですが、
これを書き始めると話が超大きくなるのでやめます。
とにかく今の仕事には充実感を感じています。
こんなことをリリーフランキーの『東京タワー』を読みつつ感じた今日この頃です。


以下、今までの仕事の過程です。
上司なるものは最初の2週間存在し、今は休暇3週間が過ぎてそろそろ帰ってくるはず、です。
本当は先週の土曜に帰ってくるはずだったのになぁーーーーーーーーーーー。
彼がいるうちは彼の仕事についていっていろんなものを見てました。
定例のinteragencyの会議や病院での活動、ドナーの視察同行など。
彼がいるうちから仕事は始まるようにサポートしてくれていたはずだったのですが、
今考えれば、彼の怠慢と自分の無力さ故に何も進みませんでした。
まあでも最初の2週間は他の同僚について行ったりして、
いろいろ見学して慣れて言った感じだったので
仕方なかったと今は割り切ってます。

で、上司がいなくなった後、代理の上司が入ったのですが、
住んでるところがとても離れている、かつ仕事の種類が若干違うことが原因であまり意味なし。

ということで自分で何もかもやらざるを得ず、
仕事に慣れるのにまた一週間くらい使いました。
自分でミーティングやらインタビューやらセッティングしていて、
最初は、情報を得て消化して次の得るべき情報を考えて、というサイクルに
全然はまれてなくて暗中模索な感じがかなりありました。
ユースグループとは地元の若者が20人くらい?集まって形成されている集団で
HIVの啓発やその他いろいろな活動をしています。
ユースにインタビューしている理由がわかったと思います。
彼らはほぼ唯一の啓発主体です。

8月の24日に初めてミーティングをして、
その後2週間は毎日1つかインタビューまたはミーティングして、
今は情報がかなり揃ったので、それをレポートにまとめているという段階です。
今週末に書き終えて上司に見せて、具体的な対策を同時に提示していくというイメージで来ています。


仕事の具体的な中身に関してですが、
ここのHIVの問題はかなり特殊だと思います。
①宗教、②社会、③文化
という3点で特殊です。
HIV感染率(prevalence of HIV)は0.07%です。
実際、この数値は明らかにおかしいんですが、とても低いことは事実です。

①住民の大半がイスラム教であること。
 イスラム教では婚外での性交を禁止しています。
 そのため、
 1) HIV感染の機会をとても少なくしている。
  つまり、低いHIV感染率を維持している大きな要因である。
 2) 一方でHIVに感染しているという事実はこのタブーを犯していることを
  人々に連想させるため、HIVは病気ではなく、禁忌を破った者への
  神からの呪いと考えられている。これがHIV感染者への激しい差別を招いている。
 3) コンドームを使用すると呪い,HIVが広がると大半の人々は思いこんでいる。
  これは、コンドームの使用が婚外での性交という禁忌を連想させるからだと考えられる。

②氏族社会であること。
 ソマリ族が住民の大半を占めており、
 ソマリ族は家族の他に氏族という単位を持つ。
 氏族とはいくつかの血縁?のある家族が集まってできた集団で
 氏族内での結束が強い。
 これがソマリ族の社会が閉鎖的であるという結果を招いている。
 そのため、上記の宗教的要因も重なって
 1) HIVが取り上げられにくい環境を作っている。 
  この閉鎖性(排他性?)がHIV感染者に対する差別を招くと同時に
  HIVのstatusを気軽にチェックできない環境を作りだしている。
 2) 閉鎖的な社会で、さらにHIVが忌避されているため
  HIV感染者は、感染している事実を他人と共有できる環境にない。
  これがHIV感染者に対する心的ケアや医学的ケアを妨げている。

③性器切除という伝統的慣習
 これはアフリカ全体で起こっている問題で、
 特にFGM (Female Genital Multilation), circumcisionという名称で
 問題にされている。
 皮肉にも、これが性交の機会を減らすことに貢献しているため
 低い感染率維持の一つの要因になっている。

これが今まで調べたことで、この他、啓発活動についても調べています。
それはまだまとめてないので今後、機会があれば書きます。

要点だけ述べると、
1, 厳格なイスラム教義が感染率の低さに貢献している一方、
 激しい差別も招いている。
 この誤解を解くことで、HIV感染者が有効なサポートを得られる
 環境を作るべき。
2, しかしHIVに対する認知度は上がってきているように、
 啓発活動の効果は上がってきているので、
 HIVに対してよりオープンな社会にするべく
 禁忌に触れない範囲で啓発を続けていくべき。

こんなことを今レポートに書いています。
以上、簡潔に仕事の説明でした。



今後、
「人をまとめる理念」
などといった観点で掲載していけたらと、思います。
ではでは。

2010年9月10日金曜日

引きこもり

こんばんは。
ネットにつながって2日目です。
もう残り17日しか残されておらず
やることがいっぱいあって、
ブログに書けるようなたいしたことを構想できてません。

昨日パーティーがあってだいぶいい気晴らしになり、
昨日までとは打って変わって、
今日は暑いテントのオフィスでずーっと作業してました。
本当はRed Crossのオフィスに2回行ったんですが、
なぜか今日は一日閉まっていて誰にも会えませんでした。
しかし2回目の帰りに、ドライバーがRed Crossの職員を見つけて教えてくれたので
今度の土曜に会う約束を取り付けられました。

タイトルの引きこもりの意味ですが、
コンパウンドに引きこもっていたの意ではなく
今週はDadaab内から一歩も外に出ていない、という意味です。
本当は今日の13時~、VCT(Voluntaery Counseling and Testing) centerの建設地を見学に
行く予定だったのですが、
同僚が他の仕事で忙しいため行けず。
明日の午前中に行くことに変更になる。

ちなみに、今日までラマダーン(イスラム暦で8月に当たる時期に
イスラム教徒は断食する。)で、
明日はお祝いのためにムスリムはお休みだそうです。
僕の仕事の相手も大半というか全員がムスリムな気がするので
仕事にかなりの制約が。。。
といいつつ明日は午後に人と会う予定が既にあります。


前にも書いたと思いますが、ブログのための文章と並行して
自分の日記も書いていて、とても時間をとられています。
日記の内容も、前より書くために確保できる時間が短くなっていて
だんだん内容が薄くなっているという始末。。

おかげで睡眠時間も段々短くなってきて
最近は7時間睡眠で乗り切ってます。昼眠いですが。
仕事の効率が上がればなぁ、と思いますがなかなか。。

今日仕事のレポートを書き始めたのですが、
なかなかレポートの英語って難しい。
主語の制限と動詞のバリエーションの付け方が。。
英語力の無さを痛感。
類語辞典さまさま。



うう、ブログの内容もちゃんと推敲したいんですが、
それも時間がない。。
しかも情報の制限があるから
リアリティを持って伝わってない自信がある。
できたら日々考えていることも掲載するつもりです。



仕事のことをあまり書き記していないと思うので
近いうちに掲載したいと思います。
ではでは。

2010年9月8日水曜日

ネット導入

こんにちは。
ついさっきオフィスにネットが導入されました。
かなり嬉しいです。
ネット環境が一気によくなりました。
ブロードバンドだし。
Dadaabに来ても世界中の人とコミュニケーションがとれる。
すごいことだとつくづく思います。

最近すごく暑くて
(東京も負けないくらい暑いと思いますが)
オフィスのサウナ具合がレベルアップしてる今日この頃なのですが
残り研修期間も頑張りたいと思います。

日記の更新ペース上げます。
今晩はちょっとのっぴきならない用事があるので
更新できませんが、
明日から更新します。

2010年9月5日日曜日

日々の生活で感じたこと

ずっと、日々の出来事とちょっと考えたこと
程度しか書き留めていなかったので、
ここで自分に大きな変化を与えたことについて
少し書きたいと思います。

勉強不足な面が多いにあるし、
自分の中での思考もそこまで深くできてないので
まだ掘り下げられていないのですが
僕自身、最初気づいた時はとても衝撃的でした。
本当はもっと思考を重ねて、勉強した上で書きたいのですが
途中経過を書き留めておくのもありかな、と思い
書くことにしました。

僕が気づいた時の衝撃をできるだけそのまま伝えたいと思ったので
以下の文章は少しわかりにくくなってます。





民族とは何か。
民族問題とは何か。

僕が研修しているキャンプはソマリア難民が圧倒的多数を占める。
ソマリア人のほとんどはムスリム、つまりイスラム教徒なので
少なくとも女の人は、衣服が違うのですぐにわかる。
この人はソマリア人なのだな、と。

また、地元の人もケニア人だがムスリムが大半を占める。
そのため、元々黒人の区別すら難しいのに、
僕にはケニア人とソマリア人の区別が全くつかない。
中には、エチオピア人のように僕でも違いがわかる民族もいるのだが、
ソマリア人とケニア人は僕から見てそこまで顕著な違いはない。

国連やNGOは、施設の建設や
食事の用意などのためにincentive workerという名で
難民や地元の人を雇っている。
このことはだいぶ後になってから聞き、
Dadaabに到着したその日は、同僚からSomaliを雇っていると聞いた。
だから、正規の職員じゃない人はみな難民なのだと思った。

Dadaabに最初来た時、incentive workerについて知らなかった時、
職員の中で明らかに待遇に差があることに気がついた。
そして、ドライバーや料理をしている人は難民なのだなと思った。

ADEOでドライバーをしている人にソマリア語を教えてもらったことがある。
彼が難民だと思ってソマリア語を聞きに行ったら教えてくれたのだ。
だから最初は彼が難民だと思っていた。
しかし実際は彼は難民でなく、Dadaab出身のケニア人だった。
彼もムスリムである。

Dadaabに住む人々の家は木造りだ。
細い木の枝をいっぱい集めてきて
それを縦に並べて壁にするのだ。
屋根はUNHCRから支給されたと思われるシートや
その他ビニールで覆って作っている。

一方、難民の家は、
土造りの家も多くあるが、Dadaabと同様、木の枝で出来た家も多くある。

Ifo,Hagadera,Dagahaleyは
難民キャンプ発祥ではなく、もともとあったケニア人コミュニティが元になっている。
だからキャンプの中にはケニア人も混ざっている。
しかし、宗教は一緒だし言葉も一緒だし
生活水準も一緒だし食べるものも一緒だし
当然区別はつかない。
同僚に教えられるまで全く知らなかった。

日記の中で登場しているQaliti。
僕の上司代理。
彼女はIfo HospitalでClinical OfficerをしているADEO正規職員だ。
彼女はムスリムで今はラマダーンなので昼ご飯を食べずに仕事をしている。
しかし、ムスリムなのだが、すごいおしゃれに気を遣っている。
なんかムスリムっぽくない。時々普通にシャツ着てたりするし。
ムスリムだからもしかしたらDadaab出身なのかなー、
だけど生活水準が違いすぎるよなー、と思いつつ、同僚に聞いたところ、
彼女はSomaliだと言われた。
いろんな意味でびっくりした。



僕が気付くのに時間がかかったように、
読んでくれているみなさまにも話がわかりにくいと思う。
わかればとても簡単なのだが、気付くのが大変。



英語というのは分かりにくい言語である。
ソマリア人もソマリア語もソマリ族もみな
Somaliなのだから。
つまり、Qalitiはソマリ族なのだ。ソマリア人ではない。
現にソマリア語はしゃべれない。
ムスリムでソマリ族だが、ソマリア語はしゃべれないケニア人。

僕にソマリア語を教えてくれたドライバーは
Dadaab出身でソマリア語がしゃべれる。
彼はSomaliなのだ。
ムスリムでソマリア語がしゃべれるソマリ族のケニア人。

もうここまで来ると核心に触れているが、もう少し。

Ifoに住むケニア人。
Dadaabに住むケニア人と同様、ムスリムでソマリ族でソマリ語がしゃべれる。
上記の例からさらに加えて、住んでる土地まで一緒である。
紛争前は国境を越えた交流があったらしいから
もしかしたら血縁もあるかもしれない。
ムスリムでソマリア語がしゃべれてソマリ族で、
ソマリア人と地縁があって血縁もあるかも知れなくて
文化の違いもほとんどない、ケニア人。



Dadaabに住む人もSomaliaから来た人もみな
Somaliなんです。
言葉も宗教も生活習慣も同じ民族で、
血縁・地縁があり、生活水準すら変わらない。
住んでいる家も生活もほとんどかわらないのだから。
違うことはと言えば、
国籍だけである。
ソマリア人かケニア人か。
物理的には存在しない国境をまたいで
国籍だけが別々。
住んでいる場所がちょっと違っただけで
片方は難民になり、片方は難民ではない。
難民になると祖国への自発的帰還は認められるが
キャンプとホストコミュニティ(Dadaab)間の移動以外は認められない。



これに最初気づいた時に何とも言えぬ違和感に襲われた。
なんて不条理な構造だろうと。
民族境界と国境の不一致とはこういうことなのかと。
複数民族が一つの国家に存在することで
紛争になるという意味で、この不一致の不条理さを理解していたけど
こういう意味でも不条理なのかと。
難民の移動の自由、に関しては
この不条理さに気づく前から必要だと思っていたので
これに気づいたことではがゆさが増した。

特にこのキャンプは世界最大かつ20年間ずっと存在する
ばかでかいキャンプで、
出来た当初の1991年や2年に来たという人もそれなりに居る。
そういう人はその間ずーーーーーーーーーーーーっと
この約30km四方程度のエリアから出ることなく生活してきたのだ。



事前に勉強すれば、少しでも難民キャンプについて考えれば
これくらいのことはわかったのか。

研修前の自分を思い出す限り、
難民キャンプという漠然とした文字しかなくて
調べてもよくわからなかった。

言い訳なのかなー。
言い訳は嫌だなー。
でも過去には戻れないからな。
意味のない後悔はやめよう。


なぜ「民族」というテーマになるかというと、
紛争を生み出すきっかけになっているから。
でも「民族」っていう言葉そんなに単純じゃなくて
その言葉すらよくわからない、というのが僕の意見です。

民族とはなんだ、と。
民族問題と簡単に言うけど
そんな単純なことじゃないと。




民族という観点で考察を深めていこうと思ってます。
ではでは。

残り滞在期間3週間

こんにちは、2週間ぶりの更新です。
このブログで公開しているこの文章は
日記の内容を参照して書きなおしたものなのですが、
自分の過去の日記を見直してると恥ずかしくなってくる。笑

最初の方は特に慣れてなくて、
読んで頂いた方にはわかりにくかったなぁと。
一瞬だけ公開して一部の方は読まれたようなので
恥ずかしい。笑

最初に普段の生活で気になったことを抜粋。
次にここ2週間の活動を簡単に振り返るという感じです。

※言葉の整理
以下に言葉を整理します。
Google mapで見てくれれば楽なんですが。。
●Dadaab:難民キャンプそのものではない。ケニア人のコミュニティ。ここで働いてる人がDadaabという時はコンパウンドの目の前にある市街地や、コンパウンドのことを指す。Dadaab自体は村で、国連・NGOの敷地に沿って走っているメインストリートに沿って住居や店があるだけ。

●Hagadera, Ifo, Dagahaley:Dadaabにある3つの難民キャンプ。総称としてDadaab難民キャンプと呼ぶ。難民キャンプである以前にケニア人のコミュニティが存在。コミュニティがあってその上にキャンプがある。

●国連・NGOの敷地:僕がこの言葉を使う時は、Dadaabにある国連・NGOの敷地を指します。というのは、Dadaab以外にも、DagahaleyにMSFやCareやUNHCR、HagaderaにIRCやUNHCRやgtz、IfoにUNHCRやCareといったように各NGOは活動に応じて拠点を構えているからです。

●ADEOコンパウンド:2009年10月からADEOはDadaabでの活動を展開し始め、2010年8月の頭までgtzの敷地を借りて活動していた。今も多くの職員がgtzに暮らす。gtzとADEO新コンパウンドは敷地内で正反対にあり1.5km離れている。ネットを使う時はPCを抱えてgtzまで行く。新コンパウンドは宿泊施設もオフィスも完成しておらず、どちらもテントがあてがわれている。昼のオフィスは時にとてつもなく暑い。

●Ifo:一番僕らの敷地から近く4,5km。車が新しくなってからは10分以内で着く。ADEOが活動を展開しているキャンプ。ソマリア国境から一番近く、New Arrivalのためのtransitセンターや難民登録所がある。あまりにNew Arrivalが多いためIfo-2の建設計画がある。また、約95%を占める圧倒的多数のソマリア人の他に、スーダン人・エチオピア人を中心としたマイノリティがおり、マイノリティの多くはIfoの特定のブロックに生活している。

●Hagadera:ADEOは活動を持っていない。Ifo、Dagahaleyと正反対に敷地から10km程度で直線のオフロードを高速で突っ走って着く。土壌がかなり砂っぽく風がかなり強いため、窓を閉めてないと髪・顔等が大変なことになる。一番古いキャンプで、道の整理や拡張、家の敷地の拡張などが課題になっている。

●Dagahaley:ADEOは少し活動を持っている。敷地からは15kmくらい。Ifoを通り過ぎてさらに行くと到着。人口最大。

●Dadaabの病院(Dadaab Health Center):地元のケニア人を主な対象にした病院。運営は政府とADEOとRed Crossだが、ADEOが大半を運営。Ifo Hospitalに比べ小さいので、ここで対応できない患者はIfoに送致される。ADEOコンパウンドから一応歩いていける距離にあるが、徒歩25分。車だと一瞬。

●Ifoの病院:gtz(ドイツ政府系の援助組織)とADEOが運営する、Ifoキャンプのメインの病院。この病院の下部組織として5つのHealth PostとOld HospitalがIfo内に散在し、これらが中央病院に送るべき患者のスクリーニングを行う。ケニア人も利用できる。上司の仕事の関係でよく来る。

●Hagaderaの病院:IRC(International Rescue Committee)が運営する病院。仕事の関係で一度見学したが立派。

●Dagahaleyの病院:MSF(国境なき医師団。正式名称はフランス語で曖昧なので割愛。笑)が運営。ここも立派だが施設の中身まではわからない。

●Dadaabの病院のナース:ADEOの職員の知り合いが3人いて、一人に大変お世話になっていて、最初の方はユースや女性グループとのミーティングをアレンジしてくれた。彼女自身へのインタビューも2回した。

●ユース:Dadaab内に住む18歳~30歳弱の男性だけ(?)で構成される組織。組織としての登録を行い活動を展開している。今のところ4回ミーティングをした。

●女性グループ:Dadaab内に住む女性で構成される組織。Income Generating Activity(IGA)の分野で活動。リーダーのみ英語を話せる。

●District Office(DO):Dadaabの病院の近くにある村役場のようなもの。ちょっと話を伺った程度。





1、諸々

◆ハブディ
子供の名前です。
ブログにこの子のことを書いたか覚えてないのですが、
僕が仕事の関係上よく行く、Dadaabの病院のすぐ近くに住んでる1歳半の子です。
最初に会ったのは1ヵ月近く前で、
その時からこの子は黒人でない僕に興味を持っていて
最近はとても仲良くしてます。
何よりかわいい。笑
父親に最近初めて会ってやっと名前がわかりました。
僕を見つけると笑顔で歩いてきて隣に座ります。めっちゃかわいい。笑
おとといは、病院の人にインタビューをするため待っている間、
一緒に遊んで、肩車してあげました。
親に許可をもらって、笑
かわいいよー。

でも言葉の壁があるのがもどかしい。。

加えて、僕が日本に帰る時になったら
ハブディが悲しむ気がするので気の毒。
僕も悲しいですが。笑
今でさえ、僕が帰ろうとすると嫌がるので...。



◆生き物
依然、新しい宿泊施設ができてないので
キャンプ暮らしなのですが、いろんな生き物がいます。
①カエル
②やぎ
③アリ
④蚊
⑤ハエ
⑥ロバ
⑦コオロギ
⑧牛
⑨トカゲ
...
最初の3つについてエピソードが。
①カエル
ここには水がないところでも生活できるという珍しいカエルがいます。
さらにおもしろいことに、なぜか高いところ好き。
Dadaabに来てから1ヵ月経ちますが、彼を2回目撃しており、
1回目はオフィスのPCのディスプレイの上。
なんだこのカエルって感じでした。笑
同僚も珍しがってた。
2回目は水浴びするところの上の方。
水浴びするところには当然電球があるのですが、
それの配線の上に居座ってます。
ここ2週間ずーーーといます。
何も食べないでよく生きてられるなと。
そこにいるだけで楽しませてくれるエンターテイナー。笑

②ヤギ
いっぱいいます。地元の人でヤギを家畜にしてる人も少数ですがいます。
野良ヤギもかなりいます。いろんなコンパウンドに出没して
そこの職員に追い払われてます。
で、今週の月曜、31日の朝。
いつも通り起きる。
毎朝、鳥の声やハエの音やら鶏の鳴き声やらいろいろ聞こえるんですが、
今日は普段聞かない鳴き声がかなり近くから聞こえる。
音源と思われる場所にテントの中から近付いて触ってみてもよくわからない。
まあ何かいるんだろうと思いテントから出てみると
ヤギが一匹居座ってる。笑
朝ここにいるってことは昨日の夜からいるってことだろう。
ちょっと和んだ。笑
ヤギを見つけた31日の夕方も同じように戻ってきて
僕のテントの横で寝てたのでちょっと餌をあげてみた。
そしたら好きじゃなかったようで、近くのテントにちょっと移動。
一回起しちゃったせいでヤギは落ち着かなかったようだが、
その日も僕のテントに寄り添い寝ていた。
次の日の朝もまだいた。
午前中までコンパウンド内で草を食べたりしていたのだが、
コンパウンドの手入れのために雇われた地元の人に
足を捕まえられ、ひきずられながら追い払われていた。
鳴き声が悲痛でかわいそうだった。
一匹しかいなかったから集団からはぐれてしまったのだろう。
それでも一匹で生活してたのにひきずられるなんて。かわいそうに。
ヤギを追い払わないように、通訳もしてもらってお願いしたのですが、笑
ちゃんと英語では伝わってたのに、追い払った本人はよくわからなかったようで
ヤギは行ってしまいましたとさ。

③アリ
最近、朝ごはんによく群がってます。
それでも駆除して食べます。
僕はお腹がかなり弱いはずなのですが、
ここ一ヵ月全くお腹を壊してないので
ありぐらいにはめげなくなりました。
最初はさすがに嫌でしたが。
最近、テントの中に出没するので止めて欲しい...。
さきおとといと今朝、ベッドから起きたらテントの床にそれなりの数のアリが。
今までこんなことなかったはずなのになんでー。
おとといは、床に置いといたウエハースに群がっていた。
群がっていると言ってもちゃんと包装してたのでそこまでではなかったのですが、
テントの中までアリが来られるとさすがにたまらんので
朝ごはんをかきこみアリの駆除。
ハエとカはつぶせばいいから気にならんのですが、
アリは果てしない数いるので嫌です。。それでも全部つぶしますが。。
共存していくうちに慣れるのでしょう。

今朝もアリがいて、今度は何だと思ったら、
日本から持ってきたお菓子の袋と、(お菓子自体には被害なし)
スーツケースに移動したウエハースに群がっていた。
スーツケースの中に今も少しアリがいるのでしょう。。
まあ汚いだけだからいいんだが、駆除がめんどい。
加えて、今日はテントの床に小さい穴を発見。
ここからアリが来ていたらしい。
今朝は、テントの中がだいぶ砂っぽくなってきたこともあり、
豪快に洗剤入りの水をぶちまけて掃除。
もうすぐ引っ越しのはずなのでそれまでの辛抱なのですが。
今もテントは多少水浸しです。
が、日差しが強いのであっという間に乾くはず。
テントの周辺にも水をばらまけばあと3日くらいは耐えてくれるはず。。

もう一つ事件?が。
テントに入ってる仮オフィスにある自分のデスク。
ある朝オフィスに行くとなぜか大量のアリ。
オフィスのデスクぐらいなら、
ラップトップを壊さないでくれればそれでいいので
目に見えるアリをひたすらつぶしまくったんですが、
大量のアリ。なんでかな―と思い引きだしを開けてみると
誰かが入れたティッシュに群がる大量のアリ。
これはさすがにビビって、即座にアリが群がるティッシュをつまみ
外に放り投げる。引き出しを引っ張り出して水で洗浄。
アリがいる先には何かある。
アリの話で最後に一つ。
アリの巣はばかでかい。



◆ケニアのテレビドラマ
何についていきなり書き始めるのか、という感じですが、
ADEOコンパウンドにテレビが導入されてからほぼ毎日、
夕食の2,3時間、ずっとテレビがついてます。
ニュースもやるけどドラマが多い。

あくまで個人的な意見ですが、実際に見たらみなさんも同意すると思います。
・声に違和感がある。明らかに出演者の声じゃない。
 全てアフレコみたおで、発音が普通のケニア人のと全然違う。
・話す人が変わる度にカメラが切り替わり、会話の間が長い。
 しかもカメラは話してる人だけを映す感じ。違和感ありまくり。
・日常生活で聞こえる周囲の雑音が全くない。
 気持ち悪い
要するに気持ち悪いんですが、笑
時間をかけて分析したとかじゃなくて、
内容を聞くわけでもなくぼーっと見てて感じたことです。
ひどい偏見ですね。苦笑



日々の活動
23日
・自分で仕事を進められるようになる。
・一人での外出は禁止されていたが認められるようになる。
・仕事から来るプレッシャーで疲れが溜まる
・Kさんに親子丼をごちそうになる。

この日は、休暇をとっている上司に代わる人に会って、
仕事のためにミーティングをアレンジしてもらう予定だったが、
オフィスに来なくて萎える。
(今の上司とは住んでいる場所が少し離れているので、
会うにはこっちから行くか、来てもらう必要がある。
しかも今の上司は病院での診察も仕事の一つなので
オフィスに必ず来るわけではない。)
来ると言っていたのに。
待っていたが来ず、さすがに無為過ぎたので
自分でミーティングをセットするべく歩いて
Dadaabの病院とDistrict Officeまで行く。
病院もDistrict Office前に何度も行っていたので
ここに来れば誰に会えるかはなんとなくわかっていた。
病院の医者と市長?村長?さんとのミーティングが決まる。
ケニアの文化なのか、Dadaabの文化なのかわからないけど
「お話が聞きたい」というと「じゃあ今日か明日の午前・午後で」
という感じで、当日または翌日の予定が決まる。
すぐにでも仕事を始めたいこちらとしてはありがたいけど
もうちょっと早くから予定決めときなよ、と言いたい。

ということで、この時のアクションをきっかけに
自分でミーティングをセッティングできるようになった。
ただ、この時はまだ、どういう方向性で仕事を進めていくか、
どういうことを相手から聞き出せるのか、今一わかってなかった。

仕事について改めて説明すると
HIVとともに生きる人に対する差別事例の調査。
ただ、Dadaab周辺地域は異常に感染率が低くて
どれだけ差別事例があるかわからない。
基本情報は以下(日記を投稿している9月5日現在)
感染率@Dadaab(難民含まない):0.03%
Dadaabの人口:16,830人
Dadaabの家庭数:約2,200
VCT(HIVのstatusを知ることができる施設 Voluntary Counseling and Testing center)に8月に来た人:34人
この一部は9月3日に得たデータで、調査を始めて2週間たってわかったもの。
今現在(9/5)、やっとだいたいこのコミュニティでのHIVの現状がわかってきました。



24日
・一日に4つのミーティング
・同僚のTopyが休暇から戻る
・新しい宿泊施設の最終工事が始まる
District Officer,病院運営を担当するADEOのClinical Officer,
youth,Department of Refugee Affair(DRA)
全部で4人の方にお話を伺う。
前述のように、自分の仕事の方針がほとんど定まっていなかったので
同僚の助けを全く借りないミーティングを経験した、というような感じだった。
とりあえず満足感を得た気がする。笑



25日
・ADEOのボス、Dr.Wesonga来る
・Education meetingに参加
・Dadaabの空港にWesongaをお迎えに行く。空港に行くのはDadaabに来た時以来。
Wesongaが来た。日帰り。
やったら怖いイメージがあったので、
ずんぐりむっくりかと思ってたら
背が高くて普通の体格だった。
最初に少し話をすることができたが、
やはり気後れしてその後あまり話しかけに行くことができず。
どうやらEducation meetingに出席するために来たらしい。
普通、meetingの出席者というのは
meetingのテーマで仕事をしている職員が各NGOから
集まるのだが、この日ADEOから僕を含め4人参加。
Wesonga, Pauline(Dadaabのボス), Topy(school programを持っている)と僕。
また、他のNGOやUNHCRからもかなり上の地位の方が来ていらしたよう。

ミーティング終了後、ADEOコンパウンドで昼飯。
やったら豪華だった。
昼飯のあと、WesongaはUNHCRの方に話をしに行く予定だったそうだが、
どうやらキャンセルになった模様。
Wesongaとは昼飯の後に話すことができたので良かった。
2011年、来年日本に来るらしいです。



26日
・Nutrition Surveyに参加
・Hagadera二回目の訪問
・難民の家にお邪魔しまくる
Nutrition Surveyに参加。朝6時にHagaderaに向かい出発。
終わったのは12時過ぎ。疲れる作業。
3つのキャンプに6チームがあり、
その上に監督チームがある。
23日~28日の6日間が調査期間。毎日6時出発14時ごろ終了。
その後監督チーム(各NGOのsurvey担当者)は夜にミーティング。
ADEOから一人参加していたのでお邪魔させて頂いた。
この日はHagadera_2のチームに加わり調査のお手伝い。
5歳以下の乳幼児とその母親が調査対象。
子供の身体測定とその他、水・食事・衛生に関する質問多数。

難民の生活の様子を見たのは初めてだったので、
言い方が悪いが、「いい」経験になった。
5歳以下ってことはほとんどがキャンプに来てから生まれたということ。
中には僕がケニアに来た日に生まれた子もいたりした。
これからどれだけの間キャンプで暮らすことになるのだろうか。
少なくとも、ケニアの義務教育ではあと13年後までは学校に行く必要がある。

あと、Dadaabには3つのキャンプがあり、
一番古いHagdera、ソマリアに一番近くnew arrivalが多いIfo、
一番人口が多いDagahaley。
そのうちのHagaderaに行ったのだが、
IfoとDagahaleyと比較してみると明らかに土地が狭い。
道は狭いし袋小路だし、
難民の家や庭は狭いし、土の性質から粘土が作りにくく木造が中心。
IfoとDagahaleyでは粘土の家もそれなりにある。
どちらがいいというわけではないのだが。
いろいろと学ぶことが多い新しい体験ができた。



27日
・新憲法施行?で国民の休日
・新しい車がUNHCRから提供される
・女性グループとのミーティングが日曜に(2日後に延期)
・体調が優れなかったが回復。
まあ休日だったんです。
だから仕事しないで休んでても問題なかったのだが
来週の予定を早めに詰めときたかったので
District Officeを訪れるが休日なので当然閉まっている。
その後、女性グループと会う予定だったがそれもできず
2日後の日曜に延期。
何もできなさそうだったのでそのまま休む。

日記を見返しても書くべきことも見当たらないので終わり。



28日
・Nutrition Surveyに参加
・Dagahaley訪問
・同僚のLindahが休暇に入る
Nutrition Survey最終日。今日はDagahaley。
surveyの研修ではIfoに行き、
前回のsurveyではHagaderaに行った。
でこの日はDagahaley。バランスよし。
しかし、前日にDagahaleyであったいざこざのせいで
NGO職員のsecurityのために警察のエスコートと
キャンプ内の安全確保が必要になる。
7時半くらいに着いて、拠点であるMSFの病院に待機してたのだが
9時近くまで待たされる。
その間、MSFの欧米人と話をする機会ができてよかったのかな?笑

Dagahaleyはともかく広い。
道が広いし家も広い。
家の広さが豊かさに比例しているわけでは全くないのだが。
昨日は休んだものの、実は昨日だけで一日10km以上歩いており
やはり疲れが溜まっていた。
前回の調査に比べ大分疲れた。
水も持ってきてなかった上に、前回より調査が終わるのが遅く、
しかもDagahaleyでコンパウンドから15km近く離れている。
さらに調査が終わった後、なかなか帰れず待つ。
昼飯もコンパウンドでとるため、surveyの終わりの方はかなり干からびていた。苦笑
難民の生活の厳しさを体で知った。

一方で、難民の家にお邪魔する調査チームは
家に保管してある水を普通に使ったり、
家に敷いてあるシートの上で住人を除けて寝ていたり
見ていて非常に微妙な気持ちになった。
といっても調査チームもリーダー以外は
難民で、水は地域の水道から無料でとってくることができる。
ただし水を運ぶのは重労働で、しかも非力な女の人の仕事である。
んー。



29日
・女性グループとミーティング
・ハブディの名前を知る
・今までの時間の過ごし方を後悔する
女性グループとミーティングする。
10時に会う予定が10時45分まで待つ。
その間ハブディのお父さんに会うことができたりしたので
あまり暇はしなかったが。
女性グループはリーダーの人だけが英語ができて、
通訳してもらいながらやった。
諸事情により、いろいろと置かれた環境が異なる僕は
コミュニティの人、特に年配の女性から
あまり良いように捉えられていないように見える。
諸事情、に関してはすごく重要だけれども
まだ考えがまとまってないので
研修が終わってからも勉強して発展させていきたいと思います。
翌日が月曜で仕事が始まる上に、
昨日はがっつり、今日はちょっと仕事をして疲れが溜まってるので
がっつり休む。



30日
・ユースとミーティング
・仕事が軌道に乗り気分が楽になる
・研修折り返し?
・久しぶりに運動
ユースと2回目のミーティング。
今日はユースのチェアパーソンとも会い、
HIV啓発活動についてがっつり聞いた。
といっても20分ちょっとくらいだが。
どの人とミーティングするにしても、
agencyで働いている人と違ってすぐに集中力が切れてしまうので
20分が限界。
だから毎回ちゃんと準備して聞きたいことを整理していかないと
最初の方みたいに無意味に終わってしまう。

話は少し変わるが、難民の友達と話をしていて感じたことが一つ。
どんな生活環境におかれても、
趣味、というか自分の好きなことをする、というのは非常に大事。
(それすら出来ないほど苦しい環境に置かれてる人にしたら
全く浮かれた話だということになるが。)
心に余裕を作るものだと思う。
余裕ができると他のことへの活力が湧いてくると思う。
人生が豊かになる。
だから趣味のレベルがどの程度であろうと、
それが自分にとって有意義で楽しいものなら
続けるべき。

ということで自分はバスケが大好きなので
今後もそれが有意義に楽しく続けられるように
今も努力すべきだという結論に至る。
27日の国民の休日の日、日差しが強い昼過ぎからランニングへ。
1周3km超あるコンパウンドを2周。
この日、30日は夕方にランニングでバスケのコートに行き
体を動かす。かなり疲れて、
帰ってきてすぐ夜ご飯にがっつく。
無理をすると体調を崩すと言われたが
9月5日現在、とりあえず異常はないです。
自分はお腹がかなり弱いのですが、お腹も壊すことなく来てます。



31日
・Dadaabにある病院のナース(ADEO)とミーティング
この日はこれ以外、他の人に会う予定がなかったが、
オフィスで仕事のプランを立てたり、今まで得た情報を整理したりした。
いろんな人に会って新しい情報を仕入れ、
それに対する疑問が湧いてそれを次回のミーティングで尋ね、
と言った感じで進んでいた。
情報を深いところまで探るのはいいことではあるが、
仕事の終点がどこにあるのかも意識しなければいけない。

また、先週のeducation meetingに出席したことで
education surveyの資料もメールでもらっていたので
それにも目を通す。なかなか興味深い。

実際問題としては、解決しなきゃいけない喫緊の課題であり、
できるだけ早く効果が出るような抜本的なアプローチが必要なのだ。
そして、先週のミーティングを聞いている限りでは
どのアプローチをすれば一定の効果が上がるのか、
キャンプの運営の面でもお金の面でも非常にデリケートな問題なのに
アクションに移るのが非常に速いようにも見える。
これは批判では全くなくて、素人の感想です。
このキャンプは世界最大だけど最年長ではないのかな。
他のキャンプとの情報共有はどれだけ行われいているのかが気になった。

具体的なことも僕はわかっているのですが間違いなくconfidentialなので
ここでは書けない、よって内容がわかりにくいという悪循環。申し訳ないです。



1日
・ボスのPaulineが休暇に。後から同僚に、ボスにもう会えないことを告げられる。ショック。
・ついで同僚のMaryも休暇に。これで新コンパウンドに居るADEO職員は僕を含め3人。
(※ADEO新コンパウンドの男女比の経過(男:女)
 3:5(4日間)、3:4(14日間)、2:4(2日間)、1:4(12日間)、1:2(3日間)
 要するにジェンダーバランスが珍しいと言いたかったのです。笑)
・午前中、ADEO主催のTB(結核)のtrainingに参加する。
・ユースにQuestionnaireをお願いする。ナースにインタビュー。
マダム(Pauline)と別れる。写真撮っておいてよかったー。
マダムと話すとどことなく緊張させられたけど良い人だった。
ADEOの中でも新規プログラムを2箇所で始めたすごい人。
本当に尋常じゃない能力だと思う。
本人からこのことを聞いた時は本当に感服した。
今度また来た時に会いたいな。
Maryは割とすぐ帰ってくるからいいや。笑
しかし三人は寂しい。
しかも同僚のTopyはProgram Officer(一番偉い人)とsite clerk(ADEOの在庫管理)と
自分の仕事をかけ持ってるのでかなり大変そう。
もうすぐナンバー2で僕の上司のGilbertが戻ってくるので、
2つかけ持ちで済むようになるが、それでもかなり大変だろう。
site clerkくらいなら、彼女が不在の時に代理できそうだから
申し出てみようかな。

この日はIfo hospitalでTB training。
TB(結核)はHIVと併発しやすいので
それなりの対策が取られている。
このtrainingはキャンプで働くCommunity Health Worker(CHW)を主な対象として行われたもので
基礎から実践まで網羅した講義のようなもの。ってか講義。
僕はお客さんのような感じで脇から聞いていた。
背もたれがない細い椅子に座ってたのでかなり疲れた。苦笑

午後はユースに予め用意したquestionnaireを渡し、
翌日までに記入してくることで合意、終了。
その後Dadaab Health Centerまで車で移動。
ADEOのナースにインタビュー。
そのナースが患者の対応に追われていたので
しばらく待つ。
その間、ハブディと戯れる。
ハブディの方からてくてく歩いてくる姿は本当にかわいい。
地元の人は、僕の近くに座ってるハブディを見るとくすくすと笑って通り過ぎていく。
いやー、まじで癒される。
で、インタビューへ。
HIV陽性者に対する差別のケースを調べるというのがメインの仕事で
これまでいろんな人に聞いてきたが、ここで初めて
差別のケースがあるという話を聞いた。
時間の制約もあり、あまり深いところまで聞けなかったが
有意義だった。



2日
・上司に意見を仰ぐためプレゼン作成
・ユースとミーティング
・運動しに行くが、同僚の友人に捕まり満足にできず。
Qalitiという、休暇中のGilbertに代わり僕の上司の籍に居るADEOの職員がいるのだが、
今はまだgtzに住んでおり、しかも普段の勤務地はIfo Hospital。
週に3回くらいはADEOコンパウンドに来るが、
そこまで長い時間いるわけではない。
Qalitiに用がある時は、電話して来てもらう。
本当は自分がgtzに行こうと思っているのだが、
向こうがこっちに来ると言って話が収まる。
まあこっちが正式なオフィスだから道理と言えば道理なのだが。

で、せっかく来てもらうのでちゃんと現状を分かりやすい形で報告しようと思い、
整理し始める。
最初はプレゼンなんか作るつもりはなかったが、
勢い余って作ってしまった。
9時から作り始め、昼休みを挟んで15時くらいまでかかった。
内容はそれなりだったと思う。
が、内容に沿った説明をする、というのはなかなか難しい。
マンツーマンで仕事の話をすることはそれなりにできるようになったが、
プレゼンは難しい。。
でもちゃんと伝わったので良しとする。
彼女と話していて、自分の仕事の中継点がわかったのでよかった。

その後、ユースの代表と会いアンケートを回収、その場で質問をしておいた。
Red Crossのお陰か、かなりちゃんとした活動をしているようだった。
それでも突っ込みどころはあるのでそれを仕事のレポートに反映させる。

ずっとDadaabの敷地内にいてデスクワークをしていたので体力が余っていた。
運動しに行く。
月曜よりかは体力が戻っていたが、同僚の友人が一緒に居たため
あまり本気でできなかった。
妙にまねしたがる。笑 どっか行けとは言えないので一緒に運動してた。



3日
・education meetingが延期
・最終日のTB trainingに参加
・District Office(DO)で統計データを少し入手
・Red Crossの事務所を発見。月曜に会う約束をとりつける
education meetingに行く前に、DOに寄り、何時から開いてるのか確認してみる。
時間にルーズここでは珍しく8時から開いていた。
しかし、秘書がもの凄く怠慢で、
来たばかりだからという理由であんまり情報を提供してくれない。
学校の人と話がしたいから連絡先教えてくれと言ってもわからんと言う。
じゃあ直接訪問するから場所を教えろというとわからんという。おい。
実際知らないのだろうが、そんなんでいいのかよ。苦笑
もう一人の秘書が知り合いなのだが、今休暇でナイロビにいる。
来月に帰ってくると言われて意気消沈。

各NGOの参加者が原因不明で多数欠席。
education meetingが延期になる。わざわざIfoまで来たのに。。
といいつつADEOも、人員不足のせいで1時間遅刻したのだが。。
参加者一同怒っていた。
ここまで人がいないとなると主催者側に何か問題があったんじゃねーのと思ってしまう。

この後最後のTB trainingに参加。
1から10までとりあえず叩きこむ感じなので内容の進行が早い。
僕はついていけなかった。苦笑

コンパウンドに戻り、休む。
この日はすんごい暑くてオフィスで仕事をする気になれず。
それでもなんとか仕事にとりかかり、
DOに再度向かう。
ユースのいろんな人と知り合いになったおかげで
Red Crossの人と次の月曜に会えるようになった。
というのも、ユースの一部の人はPeer Educatorとして
Red CrossのHIV啓発活動を行っているからだ。

少し話は逸れるが、町中を良く歩いているせいでだいぶ顔が知れ渡っているはず。
その上、ユースや他の知り合いから声をかけられて話をしたりすると
ただの訪問者じゃないという風に見せられる。
残された時間は短いけど、こうやってコミュニティに浸透していけたらいいな、と思った。



4日
・ADEO engineerの仕事見学
この日は早起きして技師(建築家)の仕事見学。
この工事は、ADEOの仕事ではなく、彼個人で受け持っているものらしいので
僕は特別来てもいいことになっているけど秘密にしてくれ、と言われいてる。
ので、ここでは具体的な情報が特定できない範囲で書きます。

ここのサイトの訪問は3回目。
かなり工事が進んでいた。
8時に到着して13時に帰路についたのだが、
3時間くらいずーーーっとコンクリートを固める作業を見ていた。笑
建設地がキャンプの中にある上に、その中でもかなり中心から離れたところにあるので
迎えが来るまで帰れないのだ。
ごく一部、機械作業もあるが、
地面を掘ったり、ブロックを下ろしたり、コンクリートの素材を作ったりなど
全て人がやっている。
ここのサイトを訪問する度に、一緒に地面掘ったり
砂を運んだり、ブロックを下ろしたりと
何かを体験するようにしているのだが、
果てしなく大変で地道な作業。
特にこの日のコンクリート固めは超大変そうだった。
でも成果が目に見えるので、見ていてわくわくする。笑

ちなみに、この日だけでものすごく日焼けしました。笑



5日
今日。
朝ごはんをかきこんで、洗濯をしてから、テントの大掃除。
その後読書。
日曜って最高だな、と思った。笑

今日は珍しく雲一つない快晴で、日差しが超強いです。

2010年8月22日日曜日

今週の出来事

こんにちは。
ADEOコンパウンドに昨日、テレビが導入されました。
ESPN(アメリカのスポーツ専用番組)が見れて感動を隠せない今日この頃。
これでバスケのワールドカップが見れる!!!

以下、少しバスケの話です。
さっきアメリカ代表のロスターをチェックしたが、
なんだこのメンツは。北京との差が激しすぎる。
ウェストブルック、カリー、ローズ、ロンド、ゴードン、ビラップス...。
ガード多すぎだし偏り過ぎでは。。ってかゴードンはまず出場機会ないだろ。
しかもセンターはチャンドラーのみ!!
ハワードじゃないんだから無理でしょ。ファールトラブルになったらどうすんの。
しかもフォワードが
ゲイ、グレンジャー、イグダラ、オドム、ラブ。
超高速チームか。チームとしておもしろいけどね。
これで優勝したらすごいと思う。


はい。ごめんなさい。



ブログに日記を投稿することはやはりできないし、
今後どうするか、もう決めたわけじゃないです。
今週忙しかったのであまり考える暇がなかったです。


が、やはり気をつけなければいけない範囲に気をつけて
日々のできごとを簡単に記すだけでも、
中身はすかすかかもしれないけど
こちらの様子を伝えることはできるので
した方がいいのかなー、と思ってます。


日々の出来事とは別に、レポートもできたら載せようと思ってますが、
どこまでちゃんと推敲できるかわからないので
いつ掲載するかは未定です。


日々のできごと

16日
この難民キャンプでのHIV/AIDSの活動は
PEPFAR(大統領エイズ救済緊急計画)というアメリカ政府が作った組織?からのファンドで成り立っているのだが、
そのPEPFARから直接ファンドを受けているケニアのCDC(Center for Disease Control)
という組織(ケニアの政府組織)がある。
そのCDCの視察が16日から始まり、16日から3日間で
Hagadera, Ifo, Dagahaley(それぞれキャンプの名前)を回った。

僕はADEOの上司と一緒にその視察全てに同行した。
HagaderaではADEOは活動してないこともあり、
いろんな意味でいい経験になった。
ユース組織(各キャンプで組織されている。ユースは人口の6割強を占める)との交流もあったし、
IRC(International Rescue Committee)の病院も見れたし。
何より、キャンプで起きている問題を包括的に見るきっかけが
得られたのでよかった。HIV/AIDSの問題の構造の理解にも役立った。
ちなみにこのキャンプでのHIV prevalence(感染率)はかなり低い。





17日
PEPFAR視察の続き。
この日はIfoとDagahaleyへ。
Ifoの大きい病院はADEOとGTZ(ドイツの政府関係の支援組織)によって運営されていて、
視察団に対して僕の上司二人が説明していた。
医療施設に関しては、(Ifoしかわからないが)
一つ大きい病院があって、そのほかにHealth Post(HP)が5つと
Old Hospitalが1つ。
最初、Health Postで診察を受けて、そこで治療できなければ
病院にいくという構造。

Ifoでは病院の他に、Care(国際NGO)が支援している
孤児支援婦人会(名前はわからない)の話を伺い、
Handicap Internationalが運営するDisability Centerに行った。
ただでさえ苛酷な環境の中で
障害者を持つ家庭の苦労は想像を絶する。

午後、Dagahaleyへ。
ちなみに昼食のためにわざわざ国連・NGOの敷地があるDadaabまで
戻っているので往復するだけでも相当疲れる。
さっきgoogle mapで確認したら
DagahaleyはDadaabから17kmあった。大変なわけだ。
で、Dagahaleyではユースの話を聞き終了。
MSF(国境なき医師団)の病院とか見ればいいのに。
PEPFARのファンド受けないで運営してるかもしれないけども。

ユースの話を聞く意味としては、
彼らもHIV/AIDSの啓発活動をしているので
どういうことをしているのかを調査するというところにある。

CDC(Center for Disease Control)の人が指摘していたのは、
ただ、一方的に啓発活動をするのではなくて、
HIV感染者をサポートしてあげるなど
もっと細かい対応も必要ということ。
これは僕の活動にも関連してくるし、大事だなー、と思った。
「大事だなー」という言葉がすごい稚拙で嫌なのだが
この場でその具体的な中身を説明する気になれないので
レポートに書けたら書くということで。





18日
PEPFAT視察最終日。
午前中、Dadaab市内の病院を見て終了。
この病院もADEOが関わっている。
後から個人的に病院の人に聞いたことも含めてわかったことだが、
かなり人手不足である。
しかし、雇う金がないのも事実。
患者の方と話をする機会も個人的に持てたのだが、
待ち時間が長いし、医者がちゃんと対応してくれないなどと言っていた。

視察を通して抜け落ちていたというか、そこまでのキャパがまだないというか、
与えられる情報を整理するので手一杯で、
それ以外にかけている視点を補う余裕がない。
18日に患者の方と話をしたことをきっかけにこれに気づいた。
僕の仕事場はDadaab市内中心で車がなくても行けるので
これから情報収集していきたい。

で、最後にUHNCRのコンパウンドのミーティングルームでDebriefing
(視察団からのコメントと簡単なQ&A)をして終了。
野外だと聞こえにくいのだが、このときはかなり聞き取れてよかった。

PEPFAR,CDCの視察終了。
午後は上司から借りている資料を読んでワードに打ち込む。
とにかく情報量がものすごく多くて半端ない。
日々新しい経験をしているのだが、
それをちゃんと整理していかないとすぐ忘れてしまう。





19日
上司のギルバートが2週間の休暇に入る。
代わりの上司に明日、20日に会って話をすることに。
なぜすぐ会えないのかというと、
住んでる場所が同じ敷地内でも遠くて、
仕事場もそもそも違うのです。

で、この日はADEOで一番仲が良い同僚のお仕事の見学に。
内容は秘密というかここでは書けません。
が、また貴重な体験ができたし、新たな情報・洞察が得られた。





20日
一日中オフィスにいた。
今、ADEOは新コンパウンドに移動中で
仮オフィスがテントなのだが、
超、、あっっっっっつい。
パソコンも熱くて大丈夫なのか心配。

資料を読み、記録する作業を午前中にする。
午後は新コンパウンドの建設をちょっと手伝ってみて、
あまりに無為だと感じたので
地元の人とコミュニケーションをとるべく
Dadaab市内の病院へ。18日に訪問したところだ。
初めて一人で外に出て、ナースや患者の方と話ができた。
一歩大きな前進。
まだまだ言葉の壁が大きいが、今後も時間があれば続けて生きたい。

夕方、時々ジュースを買いにUNHCRのコンパウンドまで行くのだが、
それをボスのポーリンにこの日、発見され、
一度言って帰ってきた後にも関わらず、(往復徒歩で30分はかかる)
「マンゴージュース買ってきて」
の一言でぱしられた。ボスは体調が悪かったから仕方ないか、
と思い、帰ってきてすぐにジュースを買いに再びUNHCRへ。
門番の人によく来るね、と言われた。
好きできてるんじゃないから!笑





21日
土曜日だが、同僚のメアリーについていって
Nutrition Surveyの研修に参加。
来週から調査が始まるのだが、それのリハーサルが今日行われた。
で、そのリハーサルに参加させてもらった。
難民の家を訪れて話を聞いたのはこれが初めて。
もちろん直接コミュニケーションをとったわけではないが、
家の中に入ったし、実際の自分が所属したチームの調査の結果も見たし
かなりいい経験になった。
いい「経験」という言葉を使わなければいけないのが申し訳ないが、
僕の立場上どうしようもない。
越えられない壁というんだと思う。

来週の火曜に同僚の一人が休暇から帰って来る。
その同僚はHIV/AIDSのcoordinationを仕事としているので
僕の上司がいない間はその人の仕事も見てみようと思っている。
が、帰ってくるのが火曜日だし、水曜からいきなりフィールドに行く、
というのは考えにくいので、月曜と火曜は手持ち無沙汰になることが予想される。

ので、Nutrition Surveyにどちらかの日は参加しようと思っている。

で、この日もボスにぱしられた。
Surveyの研修に出発したのが朝8時。
帰ってきたのが17時前。
で、紅茶飲みながら休みつつ日記書いてたら、同僚から
「マダム(ボスのこと)がジュース買ってきてほしいって」
と言われ萎える。

どうやら一日で昨日買って来たのを飲み干したらしい。
毎度毎度頼まれてたらやってらんないので、
まとめ買いしていいか聞きに行くことに。
そしたら、ボスがその時飲んでいたよくわからん飲み物を勧められ、
断れず飲むことに。小麦粉から作ったもので、
飲み物と言うよりどろどろしたスープみたいな感じ。
その前に紅茶二杯飲んでるから飲めない、と言ったのに
飲み干せと言われる。
そんなにまずい飲み物ではないのだが、
バターと砂糖を大量に加えてあったので最後の方は若干吐き気が。

で、3本買ってきたのでしばらくは大丈夫だと信じたい。
ってかこんなに頻繁に買ってたらUNHCRのお店でも
在庫なくなっちゃうよ。







こんな感じです。

日々新しい経験尽くしでいろんな情報・考察を得てます。
やってみないとわからないことが本当に多くて
繰り返しますが、本当にいろんなことを感じています。
あと1ヶ月ちょっとの間、ずっと新しいこと尽くしでもおかしくないと思います。
仕事も少しずつ動かせるようになってきて、
今週がんばって進めたいと思います。



ではでは

2010年8月16日月曜日

ブログの運営について

こんにちは、こんばんは。
昨日ブログを更新したのですが、
ここ、Dadaab難民キャンプでは
情報公開に対してとても敏感なので
このブログの更新も停止したいと思います。

これは自分の判断に基づいたもので
他者からの命令・勧告に基づいたものではありません。



今後どのような形でブログを運営していくか、
または研修終了後にレポートを書くという形にするか、
それとも情報の質について細心の注意を払って日記を公開し続けるか。
どういう形をとるか今後1,2週間検討した上で
あらためてブログへの投稿という形で
今後の方針を書きたいと思います。


ブログの更新を楽しみにしてくれている方がいらっしゃれば
申し訳ありません。
しばらくお待ちください。



ではでは。

2010年7月30日金曜日

ナイロビ散策

こんにちは、書けるうちに
日記を書いておこうと思います。
が、あまり考えみたいなのがまとまってないので
たいしたことは書けてません。
昨日,29日にしたことと30日のこれからの予定が中心です。

昨日は
ブランチを食べて、
ナイロビ中心部をぶらぶら歩いて観光して、
ナクマットなるスーパーに知らないうちに着いてて、笑
ナイロビ大学に行って、
日本大使館行って、
買い物して
帰ってきた!
ここで、ぶらぶらしている時に感じたことなどを
書いていきたいんですが、文章としてまとまってない上に
今はまとめる時間がないのでここでは割愛します。

箇条書きで書くと
・都会。
・すげーsmooky。dusty。
・とりあえずいい印象を受けたけどいい面しか見てないだけだな。
・ナイロビにいる限り生活には困らないな。安全面での自己管理に慣れたら。
・英語できねー。


で、
今日、30日の予定は
10時ごろにマークが迎えに来てくれて
アデオオフィスに向かう。
ウェソンガ(アデオのボス)には会えなくて
かわりに秘書のベロニカが対応してくれるらしい。
聞いたことある名前だ。
で、そのままダダーブというケニア北西にある、
ソマリア難民を主として受け入れている難民キャンプに移動するらしい。
む、本当に今日移動できんのかな?
だいぶ疑問。
最初、アデオオフィスに30日(今日)行く予定で、
29日になったら29日に来てくれと言われて、
移動中にやっぱり30日に来てくれと言われて…。
予定は遅れるのが常らしいのでそれくらいの心持ちでいつもいようと思う。



...まだ朝なのにルームメイトが大音量で映画見始めたよ。笑
朝食食べながら映画見てる人初めてみた。笑
あー、荷物整理しないと。


ではでは。

2010年7月29日木曜日

到着

こんにちは。今、日本ではお昼ですね。
こっちは朝7時です。
一緒に住んでる人は誰も起きてきませぬ。笑


28日
無事にナイロビ着きました!
飛行機の中ではアバター見てちょっと勉強して寝てたので
あっという間に着きました。
成田ードーハ間は機内が混雑してたにもかかわらず
隣二席空いてたのは感動しました。
横になって寝ました。笑 快適すぎるw

次の研修生が読んで役に立つ日記にすべきという
考えが僕の中にあるので、
初めてアフリカに来る不安を抱えた研修生という視点から
気になったことをちょっと書きます。

・飛行機の中で書く入国審査のための書類はちょっと適当に書いても問題ない
・ビザはケニア行った後でも取得できる。ちゃんと書類が用意してあって、
 ビザ取得用のカウンターまである。
・英語わからんw

んー、最後重要ですね。
聞く方は自信あったんですが聞き取れないですね。w
相手の発音の仕方の特徴を捉えて
早く慣れるしかなさそう。


29日、今日はナイロビ市内に繰り出すらしいが
何をするかは聞いてない。
室内用のスリッパを購入したい。

まとまってませんが
とりあえずこんなところです。
シャワー浴びてきます。

2010年7月27日火曜日

出発

いやあ、気付いたら今日の夜出発だよ。笑
ついにこの日が来ちゃった。
起きた後ちょっと改めてどきどきしたけど
今はわくわく感が勝ってます。

気持ちの持ち方で物事の見え方って
大きく変わってくると思うので
わくわくしたまま行きたい。


今日は、荷物の最終確認して
適当に過ごして
風呂入って
移動!
しばらく風呂に入れないだろうし
飛行機長いから風呂重要。
そういえば、ケニア行ったらお湯なんて出ないだろうから
今のうちから慣れとこうと思って
無駄に湯船につからなかったり
水でシャワー浴びたりしてたけど
今思えば普通に過ごしてればよかった。笑

風呂は偉大である。





とりあえず日本での更新はこれが最後だと思います。
できる限りこまめに更新していくつもりなので
これからもチェックよろしくお願いします!

2010年7月22日木曜日

研修でできること

気付いたらもう3日前。
びっくりした。
と言いつつ毎日カウントしてはいたんですがね。笑

以前の研修生の日記を読んでいると
みなさん、直前に焦って荷物を準備していたようなので
僕は昨日の午後にとりあえず放り込んじゃいました!

しかし、現地で常時するカバンがまだ決まってなくて
明日購入予定。
カギがつけられて
なおかつPCも入って。(移動の際にスーツケースに入れたくないので)

―――(以下、ツイッター的つぶやき)―――
あー、やっとメール書き終わった―!!
どこの組織でもありそうだけどmonthly reportは
我ながらいい案だと思った。
―――(以上、ツイッター的つぶやき)―――

あと、日本のお土産も買わないとー。
センスと折り紙と決めているんですが、
ほぼ間違いなく今現在の日本は反映してないので
ちょっと嫌だなー、と思っている今日この頃。
それだったら英語版のドラゴンボールの方が
よっぽど現代日本のお土産だ。

いや、これは真面目な話である。

伝統を捨てるのはよろしくないが
間違ったイメージを持ってもらっても困るし
よくないのではと思う。

ああ!!
東京を動画に撮るってどうかな?
まんま視覚に頼ってるだけですね。苦笑



でも、日本うんぬんより
自分のキャラクターをしっかり理解してもらえればいいのかな。

そうだな。うん。








短いですが本題に入ります。

以前の研修生の研修日記を読んでいて
研修に対するイメージがだいぶ固まってきました。

そこで感じたことは、


「2ヵ月じゃどう考えても短いな」


ということです。
時間にしてみれば長いけど、一年の1/6。
寿命80歳として人生の1/360だけど(現在20歳なので)。

2ヵ月の滞在と一日の流れをイメージして見ると

研修の流れ
7月28日~8月4日頃@ナイロビ
8月4日頃~9月22日頃@ダダーブ(22日までいれたら嬉しいw)
9月22日頃~9月29日@ナイロビ

一日の流れ(@ダダーブ)
朝:起床
午前・午後:フィールドorオフィスワーク
午後・夜:オフィスワークor飲み

ダダーブにいるのが長くて1ヵ月半ちょっと。
現地にいる間は、移動手段が限定されているので
(オフィスからキャンプに行くには
定期的に出ているシャトルバスのようなものに乗る必要がありそう)
オフィスワークを始めてしまうとおそらくその日はキャンプに行けない。
でもキャンプに行ける限り行きたい。
なのでオフィスワークできる時間は限られている。

そうするとオフィスでできることに制限が出る。
具体的には自分に与えられた仕事をこなすことと
アデオの構造やプロジェクトを第三者的に見て
レポートにまとめることを(できれば日本語・英語両方。後者は個人的にやりたいこと)
しようと思っていたが、レポートを完成させるに至らないと思う。



こんな風に考えると研修の目的は2つになる気がした。
正直なところ、3つ目があって一番大事なんだが
まだ言葉にできてないのでここでは書きません。
どうせ書いたところで薄っぺらさ見え見えなのでw


①難民の方々の生の声を聞くこと。現地の実際の状況をみること。
 彼らの世界観を感じて理解すること。
 ―――できるだけ直接コミュニケーションをとろうとすることと
   具体的には動画を撮りながらインタビューしたりしたい。
   できるかわからないが。
   上手く言葉を選べないが、インタビューできたらそれはそれはすごく嬉しい。
   嬉しいとは違うんだが、有益?

②現地のNGO、国際NGO、国際機関のオペレーションを現場で観察する。
 ADEOの仕事には直接関われるので、仕事の目標、到達地点を意識しつつ
 まずはしっかり仕事を終わらせる。
 ―――現地で仕事をするとはどういうことなのかを経験できればいいと
   考えているが、期間が短いので現実と離れた実感しか持てないのでは
   と危惧してる面もある。


三つ目に関しては、自分の人生の目的に関わってくるんですが
社会貢献ってなんなんでしょうね。
自分は仕事の目的は社会貢献にあるべきだと思ってます。
漠然と言うなれば

③自分が自分の定義した意味で将来社会貢献できるのかを判断する材料を得たい

ということです。でも②にも書いたとおり
期間が短すぎて、有意義な物が得られるかは微妙だと思います。
かといって半年行ったからといって本当に有益な材料が得られる保証は
ないんですけどね。



タイトルには「できること」と書きましたが、
これを書いている自分としては
「得られること」に意識がいってますね。笑

ではでは。

2010年7月19日月曜日

わくわく

ブログ自体のタイトルと
投稿のタイトルの字の大きさが気に食わないけど
フォーマットを決めちゃった以上、もう変える気にならない。

だって「わくわく」ってこんな大きい字で書いてあったら
変でしょ。
じゃあタイトル変えろよって話にはならない。



はい。
今日はアデオジャパンの先輩とミーティングして
研修に向けて必要な物と頭に入れといた方がいいことを教えてもらった。

今までちょっとしか知らなかったけど
アデオジャパンの情報蓄積ってすごいな。
何か知らんけど、アデオの活動紹介をする英語のニュースレターとか
自分の知らない過去の研修日記とか。。。
実はADEO本部は相当でかい組織だったりとか。

これをちゃんと生かせば
絶対もっと魅力的な組織になれるのに。笑
これはまじで。
公開して何も恥ずかしいことはしてないんだから
それを成果につなげられるようにもうちょっと努力が必要である。



現地について。
どうやらネットは厳しそうである。
まあ予測はしていたが。
国連や国際NGOと草の根NGOとの差は雲泥である。
住居も国連とかNGO職員の住む敷地内にあるもんだと思ってたけど、
よく考えたらADEOは現地のNGOなので、
(日本に支部があったり、イギリスに支部ができようとしてたり
ドイツ人が雇用されてたり規模としては大きいが)
いわゆるケニアの一般家庭であるのかもしれない。




人の研修日記を読んでいるととてもわくわくする。
もちろんホームシックになって帰ってくる人もそれなりにいるようだが
自分はそうならないと思う。
というかそういう基準で判断したくないし。

いろんなところからだいぶ情報を仕入れて
現地の生活とか研修の像が描けてきた。

誰でも最初は体調を崩すとか
マラリアに怯えて蚊に敏感になるとか
飛行機乗り継いでるうちに荷物が消えるとか(ぇ
予定は予定よりも遅れるものだとか。。


7年くらい前の研修生の日記を読んでいると
ナイロビのジョモケニヤッタという空港でさえ
電光掲示板などなく、木でできた看板だったり
出発案内などなかったりしたらしい。
最近の研修生からそういう話は聞かないが
どうなっているんだろうか。

とはいっても、一般市民が携帯を持てる時代になったんだから
ある程度整備されているんじゃないかと期待。
期待通りところであんまり恩恵も被害も受けないんだが。笑




ナイロビからダダーブ難民キャンプへの移動は
おそらく
飛行機。
車での移動もあるらしい。
車で行った人の話を聞くと、道の凹凸が超激しく、
着くころには超汗だくで大変なことになっているらしい。
日中40℃という気候も手伝って。

どうでもいい服を着て、荷物に被害がないようにすれば
車でも大丈夫。なはず。
少なくとも自分は車の揺れでは酔わない自信があるし。

が、集落のように集まって形成されているDadaabの町や難民キャンプの周囲に
整然と整備されている滑走路をgoogle earthで見てしまうと
あそこに着陸してみたい、と思ってしまう。笑
google mapでも確認できるので、是非みなさんも見てみてください。
Dadaabはケニアとソマリアの国境の中央地点くらいから西に少しいったところにあります。
道路の表示をアリにすれば、主要道路が黄色で表示されると思うので
それを辿ってもらえればみつけれられるはずです。




あーー、なんて便利な時代になったんだ。。。





......「なったんだ」という程、長い人生は歩んでないな。笑




なんであれ、そうそうできはしない体験なので
生活を大事にしてこようと思う。