2010年9月5日日曜日

日々の生活で感じたこと

ずっと、日々の出来事とちょっと考えたこと
程度しか書き留めていなかったので、
ここで自分に大きな変化を与えたことについて
少し書きたいと思います。

勉強不足な面が多いにあるし、
自分の中での思考もそこまで深くできてないので
まだ掘り下げられていないのですが
僕自身、最初気づいた時はとても衝撃的でした。
本当はもっと思考を重ねて、勉強した上で書きたいのですが
途中経過を書き留めておくのもありかな、と思い
書くことにしました。

僕が気づいた時の衝撃をできるだけそのまま伝えたいと思ったので
以下の文章は少しわかりにくくなってます。





民族とは何か。
民族問題とは何か。

僕が研修しているキャンプはソマリア難民が圧倒的多数を占める。
ソマリア人のほとんどはムスリム、つまりイスラム教徒なので
少なくとも女の人は、衣服が違うのですぐにわかる。
この人はソマリア人なのだな、と。

また、地元の人もケニア人だがムスリムが大半を占める。
そのため、元々黒人の区別すら難しいのに、
僕にはケニア人とソマリア人の区別が全くつかない。
中には、エチオピア人のように僕でも違いがわかる民族もいるのだが、
ソマリア人とケニア人は僕から見てそこまで顕著な違いはない。

国連やNGOは、施設の建設や
食事の用意などのためにincentive workerという名で
難民や地元の人を雇っている。
このことはだいぶ後になってから聞き、
Dadaabに到着したその日は、同僚からSomaliを雇っていると聞いた。
だから、正規の職員じゃない人はみな難民なのだと思った。

Dadaabに最初来た時、incentive workerについて知らなかった時、
職員の中で明らかに待遇に差があることに気がついた。
そして、ドライバーや料理をしている人は難民なのだなと思った。

ADEOでドライバーをしている人にソマリア語を教えてもらったことがある。
彼が難民だと思ってソマリア語を聞きに行ったら教えてくれたのだ。
だから最初は彼が難民だと思っていた。
しかし実際は彼は難民でなく、Dadaab出身のケニア人だった。
彼もムスリムである。

Dadaabに住む人々の家は木造りだ。
細い木の枝をいっぱい集めてきて
それを縦に並べて壁にするのだ。
屋根はUNHCRから支給されたと思われるシートや
その他ビニールで覆って作っている。

一方、難民の家は、
土造りの家も多くあるが、Dadaabと同様、木の枝で出来た家も多くある。

Ifo,Hagadera,Dagahaleyは
難民キャンプ発祥ではなく、もともとあったケニア人コミュニティが元になっている。
だからキャンプの中にはケニア人も混ざっている。
しかし、宗教は一緒だし言葉も一緒だし
生活水準も一緒だし食べるものも一緒だし
当然区別はつかない。
同僚に教えられるまで全く知らなかった。

日記の中で登場しているQaliti。
僕の上司代理。
彼女はIfo HospitalでClinical OfficerをしているADEO正規職員だ。
彼女はムスリムで今はラマダーンなので昼ご飯を食べずに仕事をしている。
しかし、ムスリムなのだが、すごいおしゃれに気を遣っている。
なんかムスリムっぽくない。時々普通にシャツ着てたりするし。
ムスリムだからもしかしたらDadaab出身なのかなー、
だけど生活水準が違いすぎるよなー、と思いつつ、同僚に聞いたところ、
彼女はSomaliだと言われた。
いろんな意味でびっくりした。



僕が気付くのに時間がかかったように、
読んでくれているみなさまにも話がわかりにくいと思う。
わかればとても簡単なのだが、気付くのが大変。



英語というのは分かりにくい言語である。
ソマリア人もソマリア語もソマリ族もみな
Somaliなのだから。
つまり、Qalitiはソマリ族なのだ。ソマリア人ではない。
現にソマリア語はしゃべれない。
ムスリムでソマリ族だが、ソマリア語はしゃべれないケニア人。

僕にソマリア語を教えてくれたドライバーは
Dadaab出身でソマリア語がしゃべれる。
彼はSomaliなのだ。
ムスリムでソマリア語がしゃべれるソマリ族のケニア人。

もうここまで来ると核心に触れているが、もう少し。

Ifoに住むケニア人。
Dadaabに住むケニア人と同様、ムスリムでソマリ族でソマリ語がしゃべれる。
上記の例からさらに加えて、住んでる土地まで一緒である。
紛争前は国境を越えた交流があったらしいから
もしかしたら血縁もあるかもしれない。
ムスリムでソマリア語がしゃべれてソマリ族で、
ソマリア人と地縁があって血縁もあるかも知れなくて
文化の違いもほとんどない、ケニア人。



Dadaabに住む人もSomaliaから来た人もみな
Somaliなんです。
言葉も宗教も生活習慣も同じ民族で、
血縁・地縁があり、生活水準すら変わらない。
住んでいる家も生活もほとんどかわらないのだから。
違うことはと言えば、
国籍だけである。
ソマリア人かケニア人か。
物理的には存在しない国境をまたいで
国籍だけが別々。
住んでいる場所がちょっと違っただけで
片方は難民になり、片方は難民ではない。
難民になると祖国への自発的帰還は認められるが
キャンプとホストコミュニティ(Dadaab)間の移動以外は認められない。



これに最初気づいた時に何とも言えぬ違和感に襲われた。
なんて不条理な構造だろうと。
民族境界と国境の不一致とはこういうことなのかと。
複数民族が一つの国家に存在することで
紛争になるという意味で、この不一致の不条理さを理解していたけど
こういう意味でも不条理なのかと。
難民の移動の自由、に関しては
この不条理さに気づく前から必要だと思っていたので
これに気づいたことではがゆさが増した。

特にこのキャンプは世界最大かつ20年間ずっと存在する
ばかでかいキャンプで、
出来た当初の1991年や2年に来たという人もそれなりに居る。
そういう人はその間ずーーーーーーーーーーーーっと
この約30km四方程度のエリアから出ることなく生活してきたのだ。



事前に勉強すれば、少しでも難民キャンプについて考えれば
これくらいのことはわかったのか。

研修前の自分を思い出す限り、
難民キャンプという漠然とした文字しかなくて
調べてもよくわからなかった。

言い訳なのかなー。
言い訳は嫌だなー。
でも過去には戻れないからな。
意味のない後悔はやめよう。


なぜ「民族」というテーマになるかというと、
紛争を生み出すきっかけになっているから。
でも「民族」っていう言葉そんなに単純じゃなくて
その言葉すらよくわからない、というのが僕の意見です。

民族とはなんだ、と。
民族問題と簡単に言うけど
そんな単純なことじゃないと。




民族という観点で考察を深めていこうと思ってます。
ではでは。

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