2014年7月1日火曜日

9/20 シエラレオネ3日目 休憩

私は一人旅をすると金をケチる癖があり、今回は特に出費には慎重になっていたので、毎日満腹にご飯を食べていたわけではなかった。しかも長期のバックパッカーと違い、私の旅は短くやはり非日常なので、限られた時間を充実させようと、あまり休息をとらなかった。
これまでの行程は毎日動き回って毎晩飲んでばかりというわけでは全くなかったが、それでも疲れは溜まっていたらしい。この日はあまり活動せず、午後は少し頭が重かったので部屋で休んでいた。


宿泊していた宿。右奥に見えるのが海。


8時に起床し、シャワーを浴びて昨日買ったバナナ2本を食べて朝食を済ませた。昨日と同じように宿の人に朝食を用意してもらってもよかったのだが、やや割高なので自前で調達することにした。
既に書いたように、この宿はシエラレオネの援助組織で長期インターンをする欧米人のためのもので、私が滞在していた時も欧米人女性3人と日系女性1人が宿泊していたようだった。ようだった、というのは、私がこの宿に滞在していた間、毎朝8時前後に起床していたため、他の宿泊者と生活時間帯が異なり、顔を合わせることが殆どなかったからだ。宿の従業員のマイケル(仮名)が私にアメリカ育ちの日本人女性が滞在しているといつも私に教えてくれていたのだが、出張で彼女が週末も出かけていたこともあり遂に顔を合わせることがなかった。
渡航前に連絡を取っていた知人の方とは明日お会いする予定だったので、この日は特にすることがなく、またメールでもチェックしつつネットを使おうとこの朝もオアシスに向かった。

オアシスに向かう方法は2通りある。1つは、宿の前を通る坂道を上ってCongo Crossの方に出て行く方法だ。もう1つは、宿の出入り口を出てすぐに右に折れ、民家の間を通って、海岸線と平行に歩いていく方法だ。後者の方が圧倒的に近く5分程は短縮できるし、子どもを背中にしょってたらいで洗い物をする母親や、その辺で細い木の枝を持って兄妹で遊ぶ子ども達を脇目に歩けるので、こちらの方が楽しい。
普段の日本での生活で言えば、最寄り駅に歩いていくルートをどうするかといったレベルの他愛のない話だが、自分の見知らぬ土地ではこうしたちょっとした工夫も旅を楽しくするものだ。特にフリータウンで私が滞在していた宿の周辺は、大通りの裏手には、表通りにはなかった地元の人の生活が広がっているからちょっと道を工夫するだけで全く違う世界を見ることができる。一介の旅人ながら、その国の人の生活に少しでも近づけたという気分になる。

学校帰りの子どもたち。

晴れた日の青空はどこまでも透き通るよう。


適当にネットサーフィンをした後、オカダで裁判所に向かった。新しい国を訪れた際には、できるだけ裁判所に行くようにしている。「できるだけ」というのは、言語がわからなかったりすると裁判を傍聴してもあまり内容がわからないので、国によっては行かないこともあるということだ。フランス語が公用語のセネガルと、ポルトガル語が公用語のカーポベルデでも裁判所に行かなかった。カーポベルデは滞在期間が短かった上に島と島の移動に時間がかかるので実際のところ裁判所に行くのは難しかったのだが、セネガルの場合は正直なところ少し面倒だったというのもある。西アフリカの主要都市の一つであるダカールでくらいはせっかくだから行くべきだったと後悔している。
初めての裁判所訪問は、ルワンダで旅仲間に連れられて行った時だった。「アフリカのジュネーブ」と言われるキガリにある、最高裁判所併設の地方裁判所で刑事裁判を傍聴した。フランス語かキニアルワンダ語で行われており傍聴しても何が何だかだったが、後で聞いたところによると、公判(刑事裁判)を流れ作業的に行っていたらしい。ルワンダに入る前は裁判所に行くなど全く頭に思い浮かばなかったので、誘ってもらって非常に感謝している。

その後、ウガンダとケニアで裁判傍聴をしたが、ウガンダの首都、カンパラで裁判傍聴をした際は、現地人でも援助関係者でもない私に興味を持ったのか、裁判官の方に声をかけて頂き、傍聴していた裁判内容を説明して頂き非常に親切にして頂いたこともあった。


裁判所は街の中心部に近いエリアにあり、黄土色の壁と濃緑の屋根でできた建物は平屋だが比較的新しい。ちなみにオカダ運転手に裁判所まで連れてってくれと言ったらちゃんと正確な場所まで連れて来てくれた。前にカンパラでバイタクを使った時は、裁判所と言ったのになぜかバックパッカーの宿に連れられ、仕舞いには場所がわからないから勘弁してくれと、宿泊していた宿から徒歩5分程で行ける司法省で降ろされた。5,000UGX(100円くらい)はするであろう距離を走ったが、目的地に全然着いてないから料金は払わないよ、と言ったら渋々走り去って行った。わざわざ裁判所に行こうという旅人も変わっているが、目的地をちゃんと確認しないドライバーが悪い。

カンパラの地裁。フリータウンのは写真を撮りづらい雰囲気だったので写真なし。

裁判所に入る際にはたいていセキュリティチェックがあるが、国によって厳しさが全く異なる。一番緩かったのがルワンダで、地方裁判所の公判にはノーチェックで入ることができた。外国人なのにパスポートもチェックせずに通してしまって大丈夫なのかと不安になるほどだった。次に緩かったのがウガンダで、衣服の外から検知器を当てただけで終わりだった。ナクマットなど大きなスーパーでも検知器検査はある上、検知器が鳴っても無視するので、これもルワンダとあまり変わらない。ケニアは高裁に行ったせいか、それとも大統領選挙直後の裁判の時期に行ったせいか、かなりちゃんとチェックを受けた。入口に建物があり、そこで空港ばりの手荷物検査を受けた上、パスポートとカメラを入口で預けなければならなかった。パスポートを手放すのはかなり怖かったが、管理場所が小分けにされていて係員が手で適当に扱っているというわけではなさそうだったので、大人しく、絶対失くすなよと散々念を押しながら、置いていった。
シエラレオネはというと、ウガンダレベルで形式的にはあるが、ほとんどないのと同じである。

裁判所は自分が当事者の、もしくは傍聴予定の裁判を待つ人が廊下にたくさんいて混雑していた上にかなり騒がしかった。法廷で傍聴していた際、外が騒がしくて当事者と裁判官が何を言っているのかあまり聞こえなかった程だ。
また、裁判官は英語、当事者は現地語でやりとりをしていたが、英語があまり聞き取れずどういう内容の裁判なのかあまり把握できなかった。隣に座っていた人に内容を聞いたりしたが、どんなものだったか殆ど記憶に残っていない。今考えると、やや体調が悪かったせいだと思うが、どんどん傍聴する気力がなくなってきて少しうたた寝してしまう始末だった。前日、援助関係者の方にインタビューした際、NGO職員で裁判記録を取っている人がいるからその人と一緒に傍聴するといいと言われていたが、なるほどそういうことかと納得した。

シエラレオネ特別法廷、の近くの建物。
テイラー大統領公判の判決日は近かったが、開廷はしておらず。

メモとボールペンを持って何とか記録をとろうと裁判に耳を傾けていると、どうやら審理が終わったらしく、人々が法廷を後にし始めた。私も、そのまま他の裁判を傍聴する気力が起こらず、その足でまたオカダに跨り宿の方に戻り昼飯を食べることにした。とにかく頭が重くて、何をするにも元気が出ない。休息を取った方がいいと思い、涼しくて快適な時間が過ごせそうな、やや高めのレストランに行くことにした。
後から裁判の様子を思い返してみると、突っ込みどころ満載だが、当時はそこまでの知識はなかったし、そもそも気力がなかったから仕方ない。

レストランに向かう道。日差しが強く、昼は頭がくらくらする。

そのレストランは宿から徒歩30分程のところにあり、昼間の強い日差しの中を歩いていくだけでも一苦労だった。レストランに着いて昼飯を軽く食べてネットサーフィンをしたりぐーたらしていればどうにかなるだろうと思ったが、一向に体調は良くならず、むしろますます倦怠感が増していった。仕方がないので宿に戻って横になるべく再び歩き出す。帰り道に大きいスーパーがありアイスを売っていたので、買って後悔しなさそうなものを慎重に選び歩きながら食べたが、冷えたアイスはおいしくてもだるさまでは取り去らない。宿に着いたころには顔の半分に僅かに痺れを感じていた。本当にただの疲れだけなのか微妙なところだったが、とにかく寝ようと思い、15時頃から3時間ほど昼寝をした。
日本から持参していた薬も飲まずに爆睡して目を覚ますと既に外は薄暗くなっていた。体を起こすと頭が軽くなっている。どうやらただの疲れだったらしい。完全回復とまでは行かないが、だいぶ体調は良くなった。やはりダカールの最終夜に殆ど寝られなかったことが響いていたのだろうか。宿のアメニティは非常に重要であると痛感させられた。

子どもはどこでもかわいい。

その後は、宿の近くにある地元の人向けの小さなお店でチキンと魚肉の団子を頬張りながら地元民と1時間程話をした。シエラレオネではキャッサバや芋が主食らしく、せっかくだからそれを食べたいと思って地元の人がよく使うお店を紹介してもらったのだが、キャッサバばかり食べているわけではなく、こうした肉も食べているようだ。欧米人が入ったからなのか、それとも元々そういう食習慣だからなのか、どこに行っても食べられるものは変わらない。先入観を持ってはいけない。

夜ごはんを食べたお店のある通り。朝方ほぼ必ず雨が降るので地面が湿っている。

こうして特にハイライトもなくこの日は終わった。お休みは必要である。

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